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言葉の慣習について
以前に何度か、ここのカテゴリーで質問 をさせて頂きある程度、理解できた事なのですが もう1つ気になる事があるので再度、質問させて頂きます。 「140キロの速球」と言えば野球に関する文なので この文の「140キロ」と言うのは「140km/h」であると皆様は解釈 すると言う事ですが、なぜ野球に関する文でキロと言えば 「km/h」しかないと皆様は思われるのでしょうか? 慣習で考えると、この場合は「km/h」以外考えられない と皆様は言われますが 『野球に関する文でキロとあれば「km/h」の事である』 と世間に浸透していった経緯が全く分かりません。 なぜ、野球に関する文だからと言って「km/h」 だと思われるのでしょうか? 『慣習だから』と言われても速球の威力を測定する単位は 速度しか使わないと言う規定もないのに何故「km/h」が 世間に浸透し慣習として根付いたのか、その経緯が全く 分かりません。 衝撃力でも速球の威力を測定出来るのに、また『慣習』と 考えても、あまりに不確かなのに何故「140キロの速球」と 言えば『140km/hの事を言っているのだろう』 と何故、皆様が自信を持って言えるのかが逆に私には疑問 なんですが、どうなのでしょうか? スピードガンが誕生した事で野球の速球の威力を 測定する時は速度で表す事が定着したと言う事でしょうか? 何度も質問をしてしまい本当に申し訳ありません。 回答よろしくお願い致します。
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同じ質問をなさるのは3度目? 4度目? 男A「(腹をさすりながら)ヤバいよ、俺、100キロ超えちゃったよ」 男B「そりゃあメタボだなあ(笑)」 という会話の「100キロ」とは「身長100km」だと思いますか? 「時速100km/h」だと思いますか? 「体重100kg」だと思いますか? それはなぜですか? 自動車を運転していて「目的地まで100キロ」という標識を見たとき、あなたは「目的地までの距離が100km」だと思いますか? 「目的地まで時速100km/hで走れ」だと思いますか? 「目的地まで体重100kg」だと思いますか? それはなぜですか? 球速の球威を表現するのに「衝撃力」を用いるのは「慣習」ではないと、これまでの回答から読み取れませんか? >速球の威力を測定する単位は速度しか使わないと言う規定もないのに何故「km/h」が世間に浸透し慣習として根付いたのか、その経緯が全く分かりません。 言葉の意味は規定があって決まり、それから慣習として根付くと思っていらっしゃるようですが、逆です。みんなが使っていく中で意味が決まり、辞書的な規定はその後です。ですからあなたのおっしゃる「経緯」は分かるも分からないもなく、元々ないものねだりです。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#4です。 相手に意味が通じるなら、言葉を出来るだけ短くしようという傾向があるようです。「テレビ」、「きもい」等がその例です。ところが、これも文化に強く依存しているようです。例えば、アメリカではテレビとは決して略しません。 TVと略します。 前には日本にはなかった現象ですが、最近は省略形までアメリカを真似するようになって、DV(家庭内暴力)だのEV(エレベーター)だのの省略形を新聞で見かけるようになって、意味が分からず戸惑っています。マッカーサー以来のアメリカの謀略がついに功を奏したのかと、嘆いています。 昔の日本人は大和言葉(すなわち訓読みの言葉)を唐言葉(すなわち音読み)にすることで言葉を短くする方法を楽しんでいたみたいですね。この方法では、発音を短くすると同時に教養まで見せびらかせるので、きっと楽しかったのでしょう。米英の人はフランス語やラテン語で言い換えて教養を見せびらかしますが、それでは言葉を短くすることは出来ません。 面白いことに、ドイツ人は殆ど全てを元のドイツ語で表現しようとするので(すなわち訓読みだけなので)単語がやたらに長くなっていますね。ドイツの田舎の道路名標識をみて単語の長いのに感心したことがあります。聞くところによると、モンゴル人は日本人とは反対で、ほとんど省略形を使わないとか。
お礼
度重なる回答誠にありがとうございます。 私も言葉を省略するのは分かりやすくて良いと 思います。 野球以外の記事では「キロ」とあれば私も文脈や常識で 判断してますが野球だけは疑問を持ってしまいます。 しかし野球に関する新聞記事で「キロ」と表記していると言う事は 常識で考えてくれ。と言う事ですから世間に浸透しているkm/h で考えて良さそうですね。 まだ野球で速度と衝撃力は似た数字になるのか不明ですが 常識で考えないとやっていけないですね。
- gootaroh
- ベストアンサー率47% (396/826)
『野球に関する文でキロとあれば「km/h」の事である』と世間に浸透していった経緯が全く分かりません。 ・世間ではそのようには考えられていません。正確には、『野球(のボールの速さ)に関する文でキロとあれば「km/h」の事である』ではないでしょうか。もし、野球選手の体重に関する文であれば「キログラム」と考えます。 要するに、「前後の文脈」というのがありますので、「前後の文脈から誤解が生じないだろう」と書き手なり話し手が判断すれば、単位は省略します。 「誤解が生じるおそれがある」と書き手や話し手が判断すれば、正確な単位を用いるでしょう。 あるいは、相手の、野球なり現在の話題についての知識水準によって、省略の可否を考えています。 例えば新聞記事において、多くの読者から「『キロ』だけだと、速さのことだとは分からない」というクレームが新聞社に寄せられたとしたら、新聞社としては表現を変えるでしょう。しかし、そんなクレームは寄せられることはないと思います。だから、そういう表現を用いているわけです。 >『慣習だから』と言われても、速球の威力を測定する単位は速度しか使わないと言う規定もないのに、何故「km/h」が世間に浸透し慣習として根付いたのか、その経緯が全く分かりません。 ・速球の威力を測定する方法としては、速度以外に「圧力」もあり得ますね。 ただ、特に物理学に携わっている人でもない一般人が、日常生活において「圧力」を気にする場面はほとんどありません。 でも、「速度」であれば、自動車の運転などで日常生活にも登場します。 例え自動車を運転する機会のない人であっても、道路上には制限速度の標識や道路標示などがたくさんありますから、なじみがあります。 そこで、「140キロ?自動車より速い!」と、そのすごさが実感しやすいので「km/h」が用いられているのではないでしょうか。 蛇足ですが、風速は「m/s」が用いられています。「風速30m」といえば「秒速30m」のことです。 なぜ「風速108km/h」といわないかというと、私見ですが、気象情報は防災情報にも活用されるからだと思います。 つまり、「暴風だから戸外へ出ると危険だ」と一般人が判断しやすくするため秒速で表示し、「一瞬のうちにこんなに飛ばされてしまうのか」と思わせるためだと思います。 こんな風に、それぞれについて、比較対象などを勘案し、最も適切な単位を用いているわけです。ただ、何が最も適切かは国により文化により、あるいは業種により異なるかもしれません。違う国では全然別のモノと比較しているかもしれないからです。 その上で、前後の文脈から必然的に発生する「自明の理」というものがあります。この辺は「まともな社会人であれば分かりますよね?」という暗黙の了解のレベルです。このレベルで「何のことですか?」と聞き返していると「常識がないヤツ」と社会不適応扱いされてしまいます。 あと、正確に表現してしまうとかえって冗長になり、表現に支障をきたすということもあります。だから誤解が生じない範囲で適当に省略するわけです。 以上はあくまで日常会話や一般人向けの新聞などにおける表現です。例えば、学術論文など厳密な表現が求められる場面(文脈)では、当然省略は許されず、正確な単位を用いるべきです。 いずれにせよ「文脈」次第です。
お礼
この様な、おかしな質問にも丁寧に答えて 誠にありがとうございます。 そうですね、文脈で判断して良さそうですね。 確かに日本人には衝撃力を気にする場面は殆どありませんね。 小説とは違い、こういう記録に関しては正確に書いて 欲しいと思ってしまうのは私の常識の無さですね… 回答、本当にありがとうございます
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
哲学欄での同じ質問に対して「補足要求」をした、cyototuです。貴方のご希望通り、この欄で私の考えを述べましょう。貴方の質問にはいろいろな側面がありますが、私はこの問題を「文化論」の立場から答えてみましょう。 私はヨーロッパで長く暮らしたことがあるのですが、例えばベルギーでは「2キロ」というと、ほとんどの人が2Kgだと考えるようです。日本ではどちらかと言うと2Kmと考える人の方が多いと思いますが、どうでしょうか。 なぜ私が貴方にこの質問をしたかというと、言葉や行いには「暗黙の了解」という便利なものがあるからです。そして、その暗黙の了解の違いが、文化の違いを産み出しているわけです。 「言葉」は情報の伝達の一手段です。正しく情報が伝わらなければ意味がないので、「言葉」は論理的に出来ている必要があります。ところが、情報の伝達手段は言葉だけではありません。アメリカ人は普段から日本人の何倍もおしゃべりですが、そのアメリカ人でも普通の人は情報伝達の80%をボディー・ラングウィッジでやっているという研究結果が出ているそうです。考えてみれば当たり前で、犬は言葉なしでも、結構情報伝達をやっています。 この事実を知った後で「人間は言葉がありながら何故、そんなに多くの割合を言葉を使わずに表現しているのか」という疑問が出て来ます。その理由を数え上げみると、 (1) 人類の種としての、言葉による論理体系がまだまだ未熟である。 (2) 各個人でも、言葉による論理体系をこなしきれない人がいくらでもいる。 (3) 情報伝達は相手が判れば良いので、余計なエネルギーをどうでもいい問題に使いたくない。そのエネルギーはもっと大事なところに使うべきである。 他にももっとあるでしょうが、今思いついたのはこんなところです。 そこで、情報伝達や意思伝達のときに「暗黙の了解」が使われているのです。例えば、貴方の質問の最初の文には「私は」という主語が訳されていますね。もしこれが英語だったら、この文は意味をなさないといわれてしまいます。でも、日本人には日本人の暗黙の了解のお陰で意味が通じているのです。 他の例では、お礼をするときに日本人は「つまらないものですが」という言葉を良く使います。その言葉の裏には「私は貴方に感謝の気持ちを表現するために、一生懸命お礼の品物を探してこれを選びましたが、こんな物で感謝の気持ちを帳消しに出来るなんて思ってもいません。それぐらい貴方に感謝しているのです」という意味が暗に含まれているのです。この暗黙の了解を理解できない人は、「つまらないものだったら、持って来るな」という屁理屈をいうようになるのです。 そして、その文化の持っている暗黙の了解をどれほど多く理解できるようになったかで、その人がその文化の中でどれだけ成長したか、あるいは、その人の先人達が造り上げて来た高度の文化が体得できたかの指標になっているわけです。 実際、未熟な言葉を使って何でもかでも論理的に表現しようとすると、困ったことが起こることは経験で判っています。例えば、異文化の集合で出来ているアメリカが良い例で、彼等は互いの暗黙の了解を理解できず、したがって、すぐに裁判に持ち込んで理詰めでものを解決しようとします。その結果、彼等は喧嘩ばかりやっています。実際、アメリカ人の弁護士の数は全世界の弁護士の数の50%を越えているそうです。 暗黙の了解のなかで、最も重要なものに「価値観」があります。したがって文化の違いとは価値観の違いであると言っても良いでしょう。 暗黙の了解が理解できないということは、その文化の持っている価値観と自分の持っている価値観にズレがあるということです。したがって、その人はその文化の中で生活する限り、自分は除け者であるという疎外感を味わい、なかなか幸せ感を味わえないものです。その辺のところを無意識のうちに理解していた昔の親達は、「理屈をいうな、黙って見ていろ」という、一見理屈に合わないことを言って子供を育てていましたが、この態度は、結構理屈にあっているわけです。
お礼
ありがとうございます。 >したがって、その人はその文化の中で生活する限り 自分は除け者であるという疎外感を味わう 良く分かります。私も非常に、それと良く似た感覚だと 思います。 理屈を考えず、そういうものだと理解するしかなさそうですね・ ありがとうございました。
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
野球のことに限っているとは思えません。 日本で「キロ」と言って普通に(物理の知識や文脈ではなく)実感をもって想起されるのは、長さ(km)、質量(kg)、速さ(km/h:時速限定)だけです。特に速さは一般的な乗り物の速さが km/h で表されるのでそれ以外の単位では実感がわきません。「風速○m(/s)」と言われても強いか弱いかしか分かりません。 そのような背景と野球がどんなものかという知識のために、「○○キロの球」というと速さのことと人は考え、記事を書く方もそれで充分と考えます。数キロの重さのボールを使うことはありえないし、ホームランが何キロも飛ぶことはないからです。それ以外のキロを使う単位が野球にあるとしても、もはやそれは高校以上の物理で使うような単位で一般人の知るところではありません。 野球以外の文脈で「100キロの走り」、これは単位が何かこの文だけでは分かりません。走る距離かもしれないし、100キロの人が走るのかもしれません。あるいは時速100キロで走る乗り物かもしれません。 キログラムもキロメートルも入ってきた当初は略さずに使われていたのかもしれませんが、学問的な文脈以外では他の略語のように短くするのが一般的になったのです。長さ・質量・速さという全く違う量を同じ単位で言えるのは、通常誤解が生じないからです。しかし(野球の場合はともかく)時に説明不足で誤解が生じることがないわけではありません。
お礼
ありがとうございます。 そうですね、野球の場合では速度と衝撃力が 全く違う数字になると分かれば、こんな事を考えずには すむのですがね。 野球で「150kgw」と言う値が出ることはないと分かれば すぐ解決しそうですね
- miracle3535
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日本人の貧困な知識によるものと島国だからだと思います。 速さ=時速=km/hr しか連想しないのだからではないでしょうか。 また日本では距離、長さを表すのに「m」しか用いないためでもあります。 アメリカなら時速何マイルでしょうね。 オーストラリアでは風の速さを時速「km/hr」で表しています。日本では秒速ですよね。
お礼
ありがとうございます。 出来れば、はっきりと 単位は明記してほしいですね。 ありがとうございました
お礼
何度も質問をしてしまい大変申し訳ありません。 繰り返しますが野球で投手の投げた球の威力を測定 する時は球速の「140km/h」でも衝撃力の「140kgw」でも通じると 思い2通りの解釈があるのではないかと思ったから質問しました。 >男A「(腹をさすりながら)ヤバいよ、俺、100キロ超えちゃったよ」 この文ではkgしか解釈の仕方がないのは私にも分かります。 >みんなが使っていく中で意味が決まり、辞書的な規定はその後です。 私はアンケートをした事もありませんし本当に全員が、そう 思っているのか私には分かりませんし断定出来る事だとは思いません。 慣習で考えなければ野球で「100kgw~160kgw」と言った値が存在 しないと分かれば素直に納得出来ますが物理版でも誰も分からない みたいなので、ここで文法的に解釈しようと思い質問したと言う事 です。