※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:クライシス)
絶望的な現実に立ち向かう生きがいの探求
このQ&Aのポイント
質問者は長年の経験から、自分には生きがいが見つけられないという絶望感に苦しんでいます。
過去の経験や他者との関係によっても、生きがいを見い出すことができず、絶望的な現実に立ち向かうことが困難です。
回答者の意見も届かず、希望を持つことができませんが、生きがいを見つけるために頑張り続ける決意を持っています。
先の質問「生きがいが欲しい」に関しては、
「心理学」のカテゴリーから大きく軌道を外してしまいましたが、
そのお詫びと共に、
皆さんから色々なご意見を頂きましたことに改めてお礼申し上げます。
例によって前の質問に触発されての継続的質問になります。
「生きがい・・・」に関して、みなさんから、
ああしてみたら?
こういうのはどう?と・・・
でもお答えを読んでいるうちに、
余りにも自分の現実と乖離している感じを否めませんでした。
それは決して職種のことばかりではありません。
ご回答の中でも、「仕事」と「生きがい」というものを分けて考えたらというご意見もありました。
けれども結局皆さんのお答えを読み、感じたことは、
「やはり自分は敗残者でしかないのだ」という思いでした。
求める場所が仕事であろうとなかろうと、
生の充足感など私には遂に無縁だというある種の絶望です。
私は19歳ー大学一年、
初めて女性と夜を過ごした時に、
何故だか涙が止まりませんでした。
それは何か?
「私は生涯幸せにはなれない。私は既に敗北者として運命付けられていて、これはいかにしても動かしようがないのだ!」
・・・強く、こみ上げるようにその「事実」を突きつけられて、
私はこぼれる涙を抑えることが出来ませんでした。
その後30歳。
行き詰まりを感じ、
私が唯一敬愛する作家の家の電話番号を出版社から身分を偽って聞き出し、
無理に合ってもらいました。
そして現在。
ここで同じ事を繰り返している・・・
恋愛している自分。
家庭を持っている自分。
仕事に遣り甲斐を感じている自分。
・・・とにかくどのような形でも、
これまでの自分でない自分というもののイメージが全く見えない掴めない。
回答者の皆さんには失礼な話しですが、
「生きがいが欲しい」の質問に関しても、
最後は読んでいるのが居たたまれなくなってきました。
これは一体誰の話だ・・・
二十歳の涙。
三十歳の時の作家への人生相談。
そして四十四歳の抵抗・・・
何も希望が持てません。