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仕事=生甲斐ですか?

現在、仕事で心を壊して療養中の者です。 まだ学生だったとき、よくOB・OGの方が「仕事が生甲斐」「仕事がつまらないと人生はつまらない」とおっしゃっていました。 ですが、いざ自分が就職すると、自分の仕事に対して責任感はあれど、さほど生甲斐は感じなかったし、生活のために働かないといけないからという気持ちもありました。その結果なのか、我ながら情けないのですが、重度の鬱を患い、自殺未遂・自傷行為を行い、周囲の勧めもあって、わずか半年で会社を退職してしまいました。 私自身、病状がよくなってまた就職するときは、楽しい・やり甲斐があると感じられる仕事をしたいし、現在、そういう興味を持てそうな仕事を探しています。ですが、実際、是非やりたいと思った仕事でもどこまで生甲斐を感じられるのか不安です(私は、仕事は生甲斐よりも生きていく為にすることという冷たい感情のほうが先に出てしまいますし、また、仕事のやりすぎで死んだりするのは嫌だ、と思ってしまいます)。 そこで働いていらっしゃる方に質問です。仕事=生甲斐ですか? 仕事をするのは生活の為、と考えるのは悪いことなのでしょうか?(私は未だに以前勤めていた会社の仕事に生甲斐を感じなかったことに罪悪感を覚えてしまいます)

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  • unun000
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回答No.5

 仕事=生き甲斐、と感じられなきゃダメ、なんてことはありませんよ。仕事をするのは生活の為、と考えるのは悪いことどころか、当然の考えです。なので、このことで自分を追い込む必要なんて、全然ないですよ。  私も質問者さんと同じく、仕事=収入のため、という意識が強いです。けど、得た仕事は真面目に取り組むし、その中で充実感や達成感も感じます。けどやっぱり「生き甲斐」ではないですね。・・・それって冷たい考えかしら?そんなことないと思う。  そもそも、生き甲斐って何でしょう?  私の生き甲斐は、遠く海外に暮らす里子(難民キャンプで暮らしています)の手助けをすること。私の彼の場合は、好きな写真を撮って、たま~に小さなギャラリーで個展を開くこと(ちっとも採算合いません)。  ね。何が「生き甲斐」なのかは人それぞれなんです。  生き甲斐と思える仕事と出会えたら、それはそれで素敵なこと。けど、心身を犠牲にして自分を仕事に‘捧げる’ことは生き甲斐とは違うでしょ?  だから、前の職場でのことで、質問者さんが罪悪感を感じたりする必要なんてないんです。  仕事探しって、自分探しと似ていると思うんです。私は、自分については一生かかっても探し当てられないんじゃないかな、って思ってます。でも、それが人生のテーマなんだと位置付けて、だからこそ「そんな簡単に探し当てられるものじゃない」と思い、結論よりも、模索する大切さのほうに重きを置いています。  そう思えるようになってから、とてもリラックスして毎日を過ごせるようになりました。  生き甲斐探しなんて、ゆっくりで良いんだよ。気付いたら生き甲斐になってた、というものであって、最初から生き甲斐を求めて奔走するようなモノじゃない。まして、それが仕事じゃなくちゃダメだなんてこと、ない。  だから、リラックスして、まずはちゃんと静養をして、自分に栄養補給してあげてくださいね。

02ha077
質問者

お礼

unun000さんのコメントを拝見して、仕事以外に生甲斐をもつ人のほうが正直魅力的に感じました。なんといったらいいんでしょうか・・・・ビジネスの観点以外で、もっと視野を広げて世の中を生きていらっしゃるといえば、よいのでしょうか。 自分が働いたお金で里子の手助けをするunun000さんや、個展をひらいてしまうほど写真に夢中な彼氏さんの姿は社会人以前に人として素晴らしいと思います。人生を有意義に送っていらっしゃるなあ、と圧倒されました。 ちなみに現在、私は鬱で仕事ができない状況ではありますが、逆に仕事していたら絶対できないことを今やろう、と考えています。 ありがとうございました。

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回答No.12

こんにちは。 とても責任感の強い方なのですね。今はどうぞご自身を労わってください。 私の場合は、「仕事=単なる生活のための手段」ですね。 会社に入って2年目くらいに大変忙しい仕事をし、結果として体を壊して入院する事になりました。 同僚は見舞いに来てくれましたが、上司は一度も来る事はありませんでした。 その時に、会社なんていざとなったら何にもしてくれないんだなぁと思い、完全に冷めちゃいましたね(笑) どうか、罪悪感を感じずに気楽に過ごせる日が来る事を願っております。

02ha077
質問者

お礼

入院までされたとは、本当に大変でしたね。 それにしても、お見舞いに来なかったなんて、ひどい上司ですね。 そんな上司を見ていたら会社が冷たく見えるのも当然です。 でも、中には本当に社員一人ひとり親身になってくれる上司もいるので(私の場合、上司が典型的に皆できた人だったので、その分、罪悪感がひどいのかもしれませんねぇ)、これからそういう素敵な方と会えることを祈っています。 アドバイスありがとうございました。 お体を大切に。

noname#194289
noname#194289
回答No.11

存在理由という言葉がありますがフランス語では同じ言葉が生きがいという意味だそうです。仕事というのを社会が必要としているものとすればやはり仕事も存在理由になると思います(レゾンデートル)。人間の存在理由というのは社会から離れたらないのではないかと思います。仕事によって支えられているからこそ存在理由があることを信じられるのではないでしょうか。

02ha077
質問者

お礼

フランス語にはそういう言葉があったんですね。 言葉って奥が深い・・・・・・・。 社会があってこその自分、仕事あってこそのアイデンティティ・・・・・哲学的な面でも仕事は重要なんですね。 ありがとうございました。

回答No.10

 自分の父親は仕事の他に大した趣味も持たないような人間だったんですが、リストラされて酒浸りになったあげく池に浮かんでいるのを見つかりました。  自分の考えは「仕事が生きがいなんて冗談じゃない」というところです。仕事がなくなった途端に生きがいが消滅してしまうなんて恐ろしすぎる。

02ha077
質問者

お礼

tiltilmitilさんも大変でしたね。 お父様もお話をきいて戦慄しました。 私の父はなんとかリストラされずに今も仕事を続けてはいますが、お父様同様、仕事人間なので、もしリストラされていたら同じ運命を辿っていたかもしれない、と考えてしまい、背筋が寒くなります。 それから、仕事だけが生甲斐だった人に限って定年後に鬱になるとよくきくので、仕事だけが生甲斐というのは問題アリなんでしょうね。 お辛い体験をふまえてのアドバイス、ありがとうございました。

  • ZXYZY
  • ベストアンサー率25% (199/777)
回答No.9

仕事は生きがいじゃないけど暇つぶしでもない。 私は仕事人間じゃないんで好きじゃない仕事をどうにかして”やっつけちゃえ”って感じかな~。 如何に効率よく、問題が無いように済ませて早く家に帰ろうっていつも考えてます。

02ha077
質問者

お礼

確かに暇つぶしでできるほど、仕事は甘くないですからね。 私は仕事を効率よくさっさと終わらせられない人間なので、ZXYZYさんが羨ましいです。 くそまじめに長時間やらずに前の会社で要領のいい人や賢い人の仕事術を盗んで仕事していれば鬱で退職、なんて目にあわなかったかもしれませんねぇ・・・・・・。 ありがとうございました。

  • flyaway
  • ベストアンサー率19% (306/1541)
回答No.8

私は今の仕事は本当にやりがいのある仕事なので、ある意味「生き甲斐」です。もっとお金になる仕事もあったのですが、今の仕事のほうがやりがいがありそうだったのでこちらを選びました。 でも仕事を生き甲斐と感じる必要はないと思います。それなりに楽しくて苦痛でなければいいんじゃないでしょうか。やりがいはなくても人間関係が良くて楽しい職場・・・とかでも良いと思います。 >「仕事がつまらないと人生はつまらない」 これは同感です。おきている時間の半分以上は仕事をしているわけですから、楽しいにこしたことはありません。 つまらない仕事だと、いくら「お金のため」と割り切っても、そのうち苦痛になってくるでしょう。一日の半分が苦痛だったら、生きているのもつまらなくなりそうです。その他の時間がよほど充実している方なら何とかなるのかもしれませんが。 仕事にまったく楽しみを感じないのも問題ですが、仕事「だけ」が生き甲斐でもまた問題アリですよね。個人的には、そこそこやりがいがあり楽しくて、でもその他の趣味や家族との時間などを楽しむ余裕(金銭的・時間的に)を与えてくれる職場が一番かな、と思います。

02ha077
質問者

お礼

ありがとうございます。 以前、勤めていた会社は人間関係はとても良かったので(ただ、仕事内容があまりにもハードなので、他人のフォローをしたくてもできない状況ではありました)、その会社で人間関係の大切さはよく理解できました。 やりがいのある仕事があって、それに加え職場の仲間にも恵まれる・・・・・私を含め、恐らく誰もが切望するであろうものですね。

  • bagnacauda
  • ベストアンサー率18% (228/1247)
回答No.7

50代の男です。 概ね30年間仕事をしてきた僕の「本音」を書いてみましょう。 大学を卒業してある大企業に入社しました。 一生懸命仕事しました。 周囲もそれなりに評価してくれましたが、僕は全く満足できませんでした。それどころか、「このまま20~30年ここで働いてどうなる?あの部長や役員が僕の末路か?それすら危ういとしたら耐えられない!」 と思いましたねえ。 様々な準備をして僕は29才でその名の通った大企業を退職し、1年間知り合いの中小企業で修行というか自分なりの最終チェックをして30才で満を持して独立しました。 うまくゆきませんでした。(笑) しかし、諦めないでいるうちに運が向いて、まあそこそこ成功しました。どう少なく見積もっても、かって勤務した会社の部長あたりの5倍以上の年収は稼ぎ続けたと思う。 しばらく仕事が楽しかったです。 いや、仕事が面白かったんじゃないんですよ。 サラリーマンでは考えられないくらい金を儲けるのが面白かった。 でも、一生食えるほど残したわけでもないのに、段々と仕事も、金を稼ぐのも面白くなくなりました。 ところが、僕には仕事をすることしか思い浮かばないんです。 僕は無趣味な男じゃありません。 学生時代から続けている楽器演奏は、アマチュアとしては自分で言うのも図々しいけれど、それなりのレベルだし、最近はウエイトトレーニングにもはまっている。 女性にももてます。不自由したこと無いです。(笑) でも、一日の大部分を過ごす時間としては「仕事」しかありえないんですよ。 仕事しないで趣味だけ楽しんでいる自分を想像できないんですよ。 専業主婦だった妻が、子供達が大きくなって、わざわざ2年以上も学校に通い直して社会復帰して働き始めました。 彼女の年収は、全盛期に比べて随分減った現在の僕の年収の30分の一程度ですが、働く姿はなんとも生き生きしている。 人間って、仕事が生き甲斐とか楽しいと言うよりも、仕事しないと充実を感じないんだと思う。 仕事はストレスそのものです。 しかし、仕事しないのはもっとストレスです。 これが、30年働いて、現在でもそれ相当に稼いでいる僕の「本音」。 僕は生活のために働く必要はすでにさほどないです。 でも、仕事せずに楽しい人生は送れそうもない。 仕事は生き甲斐じゃない、生活のためでもないけれど、仕事しないと多分「不幸」になりそうです。 仕事しないでも人生が充実して、ストレスを感じずに楽しめるのなら、僕は明日にでも仕事を辞めたい!(笑) 貴方も仕事しないのがストレスになっていませんか?

02ha077
質問者

お礼

すごく波乱万丈の人生だったんですね。 また、貴方の年齢のことを考えると、団塊の世代の方の仕事への感覚についてもよく理解できました。 確かに、仕事していると生活に張りが出ますよね(例えそれがアルバイトやパートであったとしても)。 私も入社してから一ヶ月ほどは研修を受けているだけとはいえ、今までにない充実感を味わい、「これが社会人になることなのか」と勝手に満足していました(その後の鬱で全てがぶち壊しになったのは言うまでもありません)。 現在、鬱状態が落ち着いてはいるものの、まだ転職活動・フルタイムで働くのは無理だと医師からいわれているので、たまに短いアルバイトをしてはいますが(ちなみに鬱時はアルバイトでも激しい仕事をすると鬱状態が悪化するそうなので、ものすごい単純作業のバイトをしています)、空虚感がぬぐえません。恐らく、貴方のおっしゃるとおり、療養ばかりで仕事をしていないのにストレスを感じているんだと思います(別の鬱患者さんからは「鬱病患者のお仕事は頑張って休むことです」といわれましたが、休む仕事ってある意味苦痛です)。 アドバイスありがとうございました。

  • cook_cook
  • ベストアンサー率14% (4/27)
回答No.6

02ha077さんが「仕事をするのは生活のため」と考えるということは全く悪いことではありませんよ。 「仕事=生きがい」というのは単なる一つの考えであって、必ずしもそうでなければならないなんて決まりはありません。正直私も仕事なんかのために自分の大切な体を壊したり死んだりするのは絶対に嫌ですね。 私自身は基本的に新橋や品川辺りでうろついている企業のコマのサラリーマンのようにはなりたくなかったですし、自分で昔からなりたかった職業があったので自営業?のようなことをしています。大好きな仕事ですし、嫌々仕事をしているという感覚は全くありませんが、生きがいは仕事だけじゃありません。 仕事だけにしか生きがいを感じることができずに終わっていく人生なんて寂しいですよ。仕事以外にも楽しいこと・生きがいがあったほうがいいです。

02ha077
質問者

お礼

大学の就職セミナーなどで今まで「仕事=生活のため」はよくない、と叩き込まれていた為、悪いことではない、といわれて目から鱗状態です(今の就職セミナーは画一化が激しいんでしょうか。それとも、私が通っていた大学が酷かったのか・・・)。 それでも、やりたい仕事がやれるのに越したことはないですね。もっとも、仕事ができるようになってからも、私にも仕事以外にもやりたいことは山のようにあります。 貴方同様、仕事のみで人生終わらせるのだけは嫌だ、と思っています。 ありがとうございました。

  • sibako
  • ベストアンサー率55% (11/20)
回答No.4

自分で商売をしているので仕事がいやだと思ったことがありません。 サラリーマンをしていたときは、サラリーマン同士の人間関係がいやでストレスを良く感じていました。 今は、仕事はいいなーと思っています。人のために動くとかいて働く、 はたの人がらくになるから働くとも言います。 自分が動くことで、はたの人が、楽ができて、その人から感謝されてお金が入ってくる。人間は、ささえあって生きているから。 自分も人に働いてもらって支えてもらい。自分もひとをらくにさせるために働く。お互い様の精神だと思います。人間は無人島で一人で電気もガスもないところで生きるのはとても大変です。みんなが働いてくれるから電気もガスもバスも電車もある。だから、みんなにしていただいていることに感謝して自分もはたの人を楽させるために働く。 働くと、周りのひとが楽になって喜んでくれる。 ある人が、働かさせられているから、つらい。自ら働きたいと思うとつらくないといっていました。働かさせられているうちは、仕事はつらいかもしれません。自らその仕事をすることで、周りの人のために自分はいきれていると喜びを感じることができれば、つらいことではないかもしれません。そんなに責任を感じることはないと思います。 人生はもっと楽しくいきないともったいないと感じます。えらそうなこと書いてすいません。

02ha077
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 働かされているのではなく、誰かのために働いている、またその誰かも自分たちのために働いている、だからみんな快適に生活できる・・・・・・当たり前のことなんですよね。ですが、私は今までこの当たり前のことに気付いていなかったんだな、と思い知らされました。 今後、再就職ができたときはこの言葉を念頭に置いて仕事していきます。

noname#70726
noname#70726
回答No.3

こんにちは。 > 仕事=生甲斐ですか? 私自身は「仕事≒生甲斐」ですね。多少のやりがいはありますが、どっちかというと、やっぱり自立して生活していくだけのお金を稼ぐため、という意味合いの方が強いです。 > 仕事をするのは生活の為、と考えるのは悪いことなのでしょうか? 別にいいんじゃないでしょうか?何に生甲斐を感じるかって、結局「その人にとって何が一番大事か」って価値観の問題ですよね。なので、生甲斐が「仕事」でも「恋人」でも「趣味」でも「家族」でも、その人にとって生甲斐と感じられるんだったら、他人に悪いといわれる筋合いはないのでは。まぁ「酒」とか「ギャンブル」が生甲斐ってなると、ちょっとなぁ・・・とは思いますが。「仕事に生甲斐を感じなきゃだめだ!」なんて決まり、どこにもないですよ。 ちなみに、私の周りには、生活のために仕事してる人、いっぱいいますよ。まぁなんだかんだと愚痴をいいながら、働かなきゃ生活できないから頑張ってます。ご質問者様のOB・OGの方は、たまたま、生甲斐を感じられるいい仕事につけた幸運な方だったんでしょう。もしくは、後輩の前で仕事の愚痴を言えなくて、ちょっと格好をつけてみただけかもしれないですよ。生甲斐と感じられるほどの仕事にめぐり合えたらラッキー、くらいに考えてみられてはいかがでしょうか? ご参考になれば幸いです。

02ha077
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました。 昨今のマスコミでは「仕事は絶対に生甲斐があるものを」「子供たちに労働の素晴らしさを教えよう」という言葉がよく出てくるので、そんな言葉が出るたびに「今、働いている人はみんな生甲斐がもてる仕事しているのだろうか。みんながみんな、やりたい仕事に就けるほど、世の中甘くないだろう。だとしたら、子供に労働の素晴らしさだけを教えても無意味なのでは?」と悶々と考えることが未だに多いです。 yuki__yukiさんは生活資金としての意味合いのほうが強いとはいえ、やりがいをもてる仕事についていらっしゃるようなので、羨ましいですし、立派だと思います。 また、生活のために文句いいながらも働いていらっしゃる方も素敵だと思います(やりたくないから、と放棄していないという面で)。 生甲斐のある仕事を、とこだわる必要はさほどない、ということをきいて一安心しました。

  • leetegon
  • ベストアンサー率15% (11/70)
回答No.2

男です。私もあなたと同じかもしれませんね。大学卒業後就職しました。 2年くらいは、仕事を早く覚えて役に立たないとと思っていました。長時間残業や休日出勤など、あたりまえ「これが働くということか~」と 思っていていました。責任感だけで働いていたような気がします。今日の中給料もあがらず、でも仕事をこなす事に楽しさを感じていました。重要な仕事や地位が上がっていくごとにその状態がきつくなり負担に思っていきました。その後6年目くらいでその糸が切れ掛かってしまい、これはダメだて感じ、退職しました。 働いていた中盤は仕事を覚えて役に立つ事が楽しくも覚えましたが、月日が流れるにつれ、それも薄れつついろいろな事に追われ仕方ないから働いているような感じになります。 今再就職先探して活動していますが、仕事に対してはやりがいとか出世・生き甲斐とかは一切ないです。それなりに生活に困らないほどの所を探しています。 >「仕事が生甲斐」「仕事がつまらないと人生はつまらない」って言っているのは、私にしてみたら、プライベートが充実していないからではないでしょうか?プライベートより仕事が面白いって事ですからね。 確かに、経済的地盤が安定してって考えもありますが、それって別に仕事がつまらないくてもいいわけで、ちょっとバブル以前の人の考え方ですね。この不況の中低賃金で働らいている中でそんなこと言ってられませんよ。「仕事が生甲斐」って言っている人に限って家庭が上手くいっていなかったり、離婚・そして熟年離婚になります。 生活していく金を稼ぐ手段に過ぎません。

02ha077
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました。 leetegonさんのように、私も会社員であった半年間は責任感だけで自分に鞭打って会社に行って働いてました(とはいえ、入社してからのたった半年間なので、仕事らしい仕事はしてませんでしたが)。 責任感だけだと人は潰れてしまうということがつくづく身にしみます。 良い再就職先が見つかることを祈っております。 また、後述の仕事が生甲斐の方ほど、家庭がうまくいっていないというのもうなずけます。現在、高度経済成長期にモーレツサラリーマンとして働いてきた団塊の世代で離婚が大量発生していることを考えると、仕事のことしか目に入らず、家庭で起きている問題(子供とか奥さんの悩みとか)を無視してきた代償が今来ているんでしょうね。