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人付き合いと食事

社会人になると、同僚達と食事に行ったりしますが、人間関係と食事って何か密接な関係があるのでしょうか? 一緒に食事をとるというのは、仲間意識を高めたりすることなのでしょうか?

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  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.2

他の人と食事を共にするのが楽しいと感じる人、場合ばかりとは限りません。ですがまあ、ここでは、それはそれとして。 昔から「同じ釜の飯を…」という言いかたがありますね。つまり「同釜」(おなかま)笑。。。 スミマセン。 冗談は、さて置き 食事というのは生理的三大行為とでも言いましょうか生殖行為、排泄行為と並んで、生きていくうえでの根本的行為であると共に最も無防備な姿でもあります。 動物、それも警戒心の強いものほど食事中といえど、ひと口食べては、あたりを見回し、ひと口食べては周囲を窺いという、しぐさを繰り返すところが観察されますが、こうした姿にも本来、食事行為というものが無防備になり易いことだったというのが思い起こされます。 また仲間であっても食物に関しては俄然、敵対心剥き出しで争奪戦を始めるというような姿もサル等で顕著に見られますね。ヒトの場合は食物に関しては、まずまず潤沢に保証されている我々ですと、異性の争奪等のほうに、より関心が向くようです(笑) その本来、無防備な行為を共にすることができる相手というのは取りも直さず警戒や争奪が不要である安心している対象であるということに他なりません。 また太古の昔には食物用の獲物を獲得することは当時の人々にとって最高のイベントでもあったでしょうから、それを分け合う喜びを共有し、その美味さを共有するということの名残もあるように思われます。 もちろん会社の同僚などは必ずしも気が合うとも親しいとも限らないわけですから、そうしたシチュエーションが形式的な面を持っていることも事実でしょうし、また「カタチから入る」ことで実質の親愛感の醸成へと図っている面もあるでしょう。こうした意図は人間のマナーや儀礼行為全般の根底に横たわっていることでもあるかと思われます。 余談ですけれど生殖行為になりますと大抵は一対一で行いますし(例外もあるでしょうけど笑)食事行為以上に無防備な姿になるわけですから、それだけ、共行為者の数は限定され、また第三者の目に触れないようにいたしますね。(見られたい人とかもいるのでしょうが例外として捨象します笑) まして排泄行為ともなりますと個室で、ただ一人…となるわけですね。(これも例外は捨象。笑) ヒトの場合は、本来の、無防備ゆえの危険行為が文化的発達に伴って、警戒心防御心から羞恥心へと変化していることが多いように見受けます。

noname#37675
質問者

お礼

とても参考になりました!!

その他の回答 (1)

noname#45642
noname#45642
回答No.1

あなたは一人で食事するのと、仲間と食事するのは、どちらが楽しいですか?

noname#37675
質問者

お礼

大勢が楽しいですね。ただ、何で食事という行為に固執するのでしょうか?

noname#37675
質問者

補足

ただ一点、質問に質問返し。しかも短文。これで自信ありとしてるとこがすごい。あなたを見習いたいと思います。イヤミじゃなく。

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