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日本人の心のあり方について
私は、なんの武力も持たない天皇と 武力を持って地域や国を統治している武士団と並存しているのは どうしてでしょうか? 普通に考えると、武器をもたない天皇は、武士団に虐殺されても おかしくないのにそれをしてこなかったのは 日本人独特の心なのでしょうか? 不思議な日本人の心のありかたを教えていただけないでしょうか? なお、私は純然たる日本人ですのでよろしくお願いします。(笑)
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逆ではないでしょうか。 武力を持たないから、武士団と並存できたのだと思います。 権威を持っている天皇が武力も持っていたならば、必ずそのときの有力な武装集団の有力者と衝突したり、連携したりして有力な軍事勢力の一角を形勢するでしょう。 『承久の乱』以後、武力をもたなくなった天皇をトップとする朝廷は、寺社組織・学芸の家元制度などをフルに利用して、各大名家の内部情報の収集・分析と全方位外交を続け、『サバイバル戦略』を貫徹します。(承久の変前後が、日本の歴史の性格を決めるターニングポイントになっています。それぞれの人物の伝記を複数読んで自分なりの人物・歴史像を掴むと、日本史の史観を自分なりに形作る原点となるでしょう。) 情報収集は軍事行動と違って目立たず、高校の歴史でも教えませんが、戦国時代の公家の情報収集能力は驚くべきもので、有力大名との間には、必ず友好関係を作りあげています。 公家が直接全国各地の有力大名のところまで出かけていって、連歌・和歌・蹴鞠などの会に参加したり、寺社:門跡寺院など(神社のまとめ役は昔から朝廷。有力寺院のトップは、門主といって、皇室・摂関家出身者がほとんど。)の元には、全国の末寺からの情報が入りました。また、戦国時代の商人の組織である座の多くは社寺と密接な関係にあり、現代風に言えば、これらの商人組織の事務局が、門跡寺院に置かれていた。また、室町時代に皇室の菩提寺となった泉涌寺は、河原者に対する保護者として存在感を持っていました。 農業生活に密着した暦の製作なども、依然として朝廷が行っていました。 このように、武力はないものの天皇・公家の形作る朝廷は、全国ネットの生活・文化・流通などに強い影響力を持ち、どんな大名(どれだけ武力があろうと所詮、地方政権ですから)の情報力をも凌いでいました。 有能な政治家でもある戦国大名は、利用のメリットは考えても、滅ぼすメリットを見つけだすことは難しかったでしょう。 また、地方独裁政権である戦国大名の政権が、トップの死亡によってその根幹が揺らぐのに対して、朝廷の場合は天皇を殺しても、このシステム自体が崩壊することはなく、別の天皇が擁立されるだけで、システム自体に対する影響は致命的ではありません。 小武装集団が天皇を殺せば、回りの中規模以上の武装集団にとって、これほどおいしい状況はありません。天皇を殺した小武装集団を壊滅させ、朝廷に恩を売って、その情報網を提供してもらうチャンスです。 ですから、将来を読まない盗賊集団以上の武装集団から命を狙われることはほとんどありえず、仮にかなりの大きさの武装集団が天皇の命を狙ったとしても、その計画段階で情報が筒抜けになることは、間違いありません。 織田信長が台頭し、武家政権が自前の全国ネットを構築することが可能になるほど力をつけてくるまでは、この状況が続いたと考えてよいと思います。 No.2の方の正当性これも根拠ありです。 歴史は、『建前と本音』の両方で動きます。No.2の方の建前と私の回答の本音が組み合わさっていると考えてください。 尚、『武力を持たない権威システムが出来上がった。』ことが、日本の特殊性といっていいと思います。 ローマ教会などがそれに近いと思いますが、宗教性をメインの柱としており、多数の柱を持ったより普遍性の高いバランスの取れた権威システムは、良くも悪くも『奇跡的』かも知れません。
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- aburakuni
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第二次大戦までの歴史で言えば、 天皇家王朝が成立以来、外国に征服されていない。 狭隘ながら長い国土に多数の人間が所在し、連合国的な支配体制のもとで、中央集権的な支配が実現されていないため、権力者にも権威付けが必要であった。 カトリックの教皇の様な、宗教面での統一権威が存在しなかった。 という背景の中で、既存権威を利用しないで廃絶するだけの強烈な個性を持った支配者が現れなかったと言うことでしょう。 良く言われるように、そういった可能性がもっとも濃かったのは織田信長しかなく、彼は既存権威であった足利幕府を終了させました。 国民性という事で言うなら、政治体制に対しても、流入してきた知識に付け加えを行なって利用する面には長けているが、根源的な独自のアイデアによって体制を作り上げる事が出来ないと言う特性が日本人と言う気がします。
お礼
歴史にたいする洞察力に感心しました(●^o^●)たまらん! ありがとうございました。
- jamiru
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権力分散とその分散の大義名分の為。 確かに大義名分の為でもありますが、何よりも権力分散が目的でしょう。 兵権を持つ中央集権を取った中国皇帝は傾くと国土が焦土と化す。 日本は地方豪族(後の武士)と天皇の中央との権力分散で 中央腐敗が起きても地方は自治として荒廃を免れる。 平安末期に京都が乱で明け暮れても奥州藤原氏は天皇を立てて荒廃することなく繁栄していた。 さらには地方豪族でも君主が暴れだすと家臣が幽閉する習慣がある。 これがやがて戦国の下克上の礎となりますが。 太平の世を築くためには権力分散は不可欠である。 という理論を太古から身にしみて知っていたのではないでしょうか。 人が太平の世を望んだが故の結果でしょう。 王族貴族特権の根幹である血統依存が日本には薄いのが特徴でしょうか。 江戸幕府は綱吉、吉宗とか慶喜など天皇と違って直系に頼らずにそれなりに能力ある者を立てていますし。 民間では血統依存は無く、実力主義の相伝ですからね。 民間企業の二世、三世社長会長とかは…破綻してるでしょう? 日本では権力の血統世襲は似合わないし、民衆や部下の反感を煽るだけ。 しかし、これを知らない人とか習わない人が多いようですね。 さっさと特権を返上しないと業火に沈むだけなのにねぇ。 権力を次世代にまで伸ばせ!と日本で言う連中は何を言っているのか理解していないようだ。
お礼
ありがとうございます。 経営論にまで言及されて指摘しているのは さすがだと感心しました。 日本人の昔からの知恵というのは日本人が 意識するしないにかかわらず凄いものがありますね。 これこそが日本人の心のありようなのでしょうね。
- outerlimit
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質問者の感想の通りです 政権を奪取した者が、前政権をある程度の権威を残して温存させた例は、日本以外では皆無です そこに、日本人以外には理解できない、当の日本人にも良く判らない原理があるのでしょう 井沢元彦の「逆説の日本史」シリーズや「仏教・神道・儒教集中講座]等をお読みなると大いに参考になるとことと思います 学校で教わってきたこととは、全く異なる観点から書かれていますから
お礼
ありがとうございます。 どんなに美しい言葉よりも 行動が大切ですね。・ お勧めの本はもうすでに読みましたが それでもよく分からないので 日本人の心のありようについて質問しています。
- nemosan
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日本人独特の心は関係無いのでは? 大日本帝国軍は天皇の軍隊だったし… 逆に中国でも、軍人の董卓や曹操が献帝の神輿を担いでたし…
お礼
日本人の心は、おもてなしの心だと感じました。
- yokihito005
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たぶん、、、、天子(天皇)をいただく思想の根源は中華思想にあると思います。 周の時代に”天”が発明されて、その正当な任命者として天子思想が生まれたと、、聞いたことがあります。この思想の下では諸侯が武力で天子を排しても単なる覇者に過ぎず、”天下”を司る正統権が得られないものとされていたようです。覇者が天下を握るにあたっては、周朝の皇位継承者を傀儡していたわけです(たしかなことは、宮城谷昌光の大河小説やWikiで検証してみてくださいね)。 孔子はこの周の時代の政を理想としましたので、天子思想は儒教とともに5、6世紀ころには日本に伝わってきています。周は紀元前ですから、天子思想そのものは日本では歴史の原初よりあったかも..... と、いうわけで、この”天子思想”が導入されたことによって、徳をもって治める仁治の天皇と、武をもって治める覇者との棲み分けができるようになったのでしょう。 ただし、古代においてはやはり(日本の)皇家が最大の武力勢力だったはずです。
お礼
当の中国の王朝とうのは、権威だけでなく武力で 統治していた武装集団ですよね!? 日本には、その面に関しては中国的な形態をとらなかったのですね。 これが所謂日本人の良いとこどりの思想つまり心なのでしょうか。
- phj
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どのような国でも、その国の指導者を規定する根拠というものがあります。これを国権の正統性といいます。 現代はほとんどの国が民主国家のため、指導者は大統領などであり、その正統性は国民投票の結果選ばれたということにつきます。 王様がいるような国は、例えば異教徒からその国を守った英雄の子孫であるとか、群雄割拠の時代を終わらせて、国(この場合は同じ文化圏を)を統一した子孫であるなどの理由が、正統性の根拠になります。 日本の天皇は、日本書紀などによると、古代の日本列島をひとつの国にまとめ上げた人の子孫ということになっています。 それが飛鳥時代で、この辺りで日本が「国」の形を整えていくことになります。 それからしばらくは天皇が直接支配者の時代が続きます。この時代支配者行なうことは、軍事的なこととマツリごと(政治と宗教)でした。 軍事的なことは説明が要らないと思いますが、マツリとは祭りでもありますし、政でもありました。現代のように政教分離ではなく政教は一体だったのです。 そのうち、力をつけてきた武士階級が、支配者階級に不満を持つようになり、平氏政権をへて鎌倉幕府が誕生します。 この辺りは、政治権力と経済的な権力を軍事力で武士階級が貴族階級から奪っていったといえます。 ただここで問題がおこります。正統性の問題です。先にも書いたように天皇家は日本を統一した最初の王朝です。そのときの天皇を倒しただけでは、普通の人は逆賊とみなすということです。 もし本当に日本を支配したいのならば、もう一度武力で日本統一を行なうか、それとも天皇を懐柔して支配権をゆずってもらうことという方法でないと普通の人は納得しません。 鎌倉幕府は後者を選び、征夷大将軍という国の全権を持つ役職を天皇からもらうことにしたのです。 このようなことは他の国でもあり、有名なローマのカエサルはまさにこれを同じことを行い、ローマ帝国の皇帝の地位を形作っていくのです。 このようにするとメリットも多くあります。第一に国内戦争で国力を削ぐことがありません。もちろん大反対の人もいたのでしょうが、大体は天皇がこの人(鎌倉幕府)のいうことを聞きなさいというから従うというものだったでしょう。 また、日本にある役所の体制もそのまま引き継ぐことができます。軍事政権でも庶民のための行政はおこなわなければならないからです。 この方式がうまく行ったため、後の幕府もこのやり方を行なっています。戦国時代、京都をとれば天下人になれたのは、この方式で天皇から「あんたがチャンピオン」と言ってもらうためでした。 そしてもうひとつ忘れてならないのは、政のことです。軍事政権(幕府)は行政や政治はできます。しかし祭り(宗教)を取り仕切ることだけはできません。神様に対する正統性がないからです。 そのため、日本から天皇家をなくしてしまうと、国の宗教に対する制御ができなくなり、別の形で騒乱がおきてしまうのです。 このため、現在でも天皇家は存続しているともいえます。 正統性は国の象徴ともいえます。どの国でもその国が成り立っていく過程で得たものは、文化として色濃く残りなかなか捨てることができないものなのです。
お礼
ありがとうございます。 歴史を勉強する事ができました。 成るほどとうならせる回答です。 教授の回答に感銘をうけました。
- Kiriyama-taicho
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ヨーロッパ人は王権を神に認めてもらってきたのだと思いますが、 日本の場合はその「神」のところを天皇にしていたと考えると似ているように 思います。 源頼朝は自ら支配地域を持っていませんでしたが、関東の武士団の所領を 安堵する(所有権を認定する)ことで武士団の頭領という地位を維持していました。 天皇はその頼朝が認定できることを認定していたわけです。 このように鎌倉将軍も天皇も自ら支配せずに支配するものをオーソライズすることで 各支配者たちから共通に除外され且つ共有されて存在していたと考えると 天皇があったほうが平和(均衡?)が維持しやすかったということに 思い至ると思います。
お礼
ありがとうございます。 大変新たな認識です。 天皇制度の維持は、日本人の知恵ですね。
お礼
ありがとうございました。 一冊の本がかけるほどの実力者の方とお見受けしました。 (●^o^●) とても深い歴史的認識に言葉もありません。たまらん!