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船板殺人について宗教別解釈はあるのか

船が遭難して板切れにつかまって浮いているところへ他の人が板につかまろうとしてきたが、板の浮力は一人分しかなく板を争って結果的に殺人となっても緊急避難措置で罪には問われないと聞きますが、法的に罪はなくても宗教的な罪についてはどのような解釈でしょうか。 仏教とキリスト教ではどのような行動が正しいのでしょうか。 それと、回答者さまが船板の当事者ならば A 船板争奪戦 B 板を譲る C 交互に板を使う提案を出す D 提案を無視され争奪戦をする E 提案を無視され板を譲る C その他の行動をとる 教えてください

みんなの回答

  • Roman0
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回答No.2

> 家族がその宗教に属さない場合、家族はAを望むと思います。  だから、何なのでしょうか? > そうなる前に先立って宗教的見地からの回答が用意されてい > れば、宗教が社会を牽引して社会倫理や道徳心が向上するの > ではないでしょうか。  Bを上策とすると述べたとおり、既に回答は用意されていますが、それだけで向上したりしないのは歴史の示す通りです。  が、そもそも極限状態の話と社会倫理や道徳心をごちゃまぜに扱ってはいけません。 > 徴兵制の国で戦地へ赴く兵士は船板殺人の事後のケアではな > く宗教的見地から殺人を明確に認めるのか認めないのか事前 > に公式見解を出していれば迷いはないと思います。  歴史を見れば、殺人に対する公式見解など出しまくっています。  キリスト教会は神の名のものとに異教徒を殺すことは善であるとして十字軍や南米・東南アジア等の植民地化の精神的指導をしましたし。  で、だから、何なのでしょうか?

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.1

 いわゆる「まっとうな」宗教だったら、公式見解はBを上策とするでしょうね。が、緊急時の具体的な行動について、具体的な指示を出すとしたら、それはいかれた新興宗教と思って間違いありません。  社会が宗教に求めている役割は、そういうときに相手を殺したときの心のケアです。  で、私なら、「その場になってみないと分かりません」ですね。  相手にもよるし、自分の状況にもよるし、水温にもよるし、位置にもよるし、持ち物にもよるし、周りの状況にもよるしと、条件があいまいすぎてどれと答えても正解になりません。

dokidoki7
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました >いわゆる「まっとうな」宗教だったら、公式見解はBを上策 Bの見解を出す宗教を家族ぐるみで信じていればそれで良いのでしょうが家族がその宗教に属さない場合、家族はAを望むと思います。 >社会が宗教に求めている役割は、そういうときに相手を殺したときの心のケアです そうなる前に先立って宗教的見地からの回答が用意されていれば、宗教が社会を牽引して社会倫理や道徳心が向上するのではないでしょうか。現実社会を後追いする宗教の理屈では儀式商売宗教の範疇だと思います。徴兵制の国で戦地へ赴く兵士は船板殺人の事後のケアではなく宗教的見地から殺人を明確に認めるのか認めないのか事前に公式見解を出していれば迷いはないと思います。 >その場になってみないと分かりません 私の考えも回答者さまと同じです。 >条件があいまいすぎて ご指摘をありがとうございました 条件は船板がないと死ぬと感じることと相手が見知らぬ他人です。

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