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いかなる理由があろうとも殺人を認めない宗教は?
いかなる理由があろうとも殺人を認めない宗教はジャイナ教くらいのものなのでしょうか? そもそも宗教はある種の理想を説くものだと思うのですが、そんな理想の段階で殺人を容認してしまうようなことは、納得しがたいものがあるのですが。
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- masayuki
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キリスト教の一派クェーカー(フレンド)派も絶対平和主義をとっています。 因みに私はニュージーランドのこの派の礼拝に出席し格闘技をめぐって論争しました。
- nayamuotoko
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少し質問の趣旨と違うので恐縮ですが、宗教というもの自体が閉じられた空間ですから色んな思想が生まれてくるんですよね。人間は本能的に何かに頼らないと生きて行けませんので宗教によってはその人に拠り所になってしまう場合もあります。オウムもそうですが、そういう人達は自分達の殺人を美化する傾向にあります。歪んだ秩序と閉じられた空間、危険な思想がそうさせるのです。 穏便な宗教と過激な宗教とありますが、過激な方は理想を説く段階で熱心な信者であれば、「この世は悪がはびこり、危険な世界であり、我々が浄化せねばならない」と勝手な妄想を抱いてしまうのです。それ故、自分達は選ばれた人間という認識をしてしまい、末法思想を自分達で実現するかも知れない恐れがあります。そういう人達は決して殺人を殺人と認めようとはしません。自分達が正しいから魂を生まれ変わらせる為にやったのだから死んでいる訳ではなく、新しい魂の誕生だとか訳の分からない論理を出してきて正統化するんですね。ライフスペ-スもそうです。 結局イスラム教過激派のテロ行為といい、日本の宗教もそうですが、理想は素晴らしいのが多いですが、必ず何処かで捻じくり曲がって歪んだ理想から危険な思想に移行してしてしまうのは起きるべくして起きる事であり、宗教という密閉された空間がある限り、避けては通れないものなのかも知れません。倫理に任せるしかないといったところですかね。
お礼
ありがとうございます。 >穏便な宗教と過激な宗教とありますが、 現状においては穏便な宗教と思われるキリスト教や仏教を信奉する人ですら、 「死刑」や「戦争」を容認するケースがあることにはなはだ疑問を感じています。