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もしもこの世から。。。

もしもこの世からお金が無くなったら、世の中はどうなると思いますか? 漠然とした質問なのですがよろしくお願いします。

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noname#96295
noname#96295
回答No.21

12です。経世済民と分離した経済学 やはり成り立たないでしょう。 ただ、経済学の切り口が ニーズに合わせて生産されている ということはたしかに言える。 世が金に統べられることをえらび、 民が金に救われることを望む背景には 快楽の追及と 快楽の質の差別 が 数値化される そして 再認できる という簡便さがあるのでしょう。 このことは功利主義の発動原理にちがいないのですが  けっして 功利主義にのみ見出しうる精神状態ではなく むしろ、 個の生 というものに目が向いたときに現れる自意識。。。 社会共同体によって発明されることになった 個 が 再認によって 社会に繋ぎ留められる という現象が生んだ功罪だと思うのです。 つまり、個の意識に深く根ざしている。 近代的な個という意味ではありません。 いつでも  共同体が成熟したときに思想が成熟しないと おそらく生起してくる 生命の保証と死の神話化の 失敗が、 死への向かい方の差を ひとりの人間に負わせてしまう。 そのことが 生の姿勢を決定していく。。。相互作用する力の場で。 政治は 管理ですが 同意ないし合意を 均質にするための管理 ではないでしょうか。 原始的農耕社会においても 権利譲渡の概念があることがわかっています。 記録というもののほとんどが 天文学と農学の記録のほかは 権利書だからです。 権利譲渡をあきらかにする意思が 文字概念の使用を より促したとわたしは思っています。 文字の文明と 合意形成の均質性は 本質的に分かち難いもので 文字のメディア度の増大にしたがって 均質世界は近く狭くなります。 たぶん 文字の発明と同時に お金は必要なのです。 そこに 政治が後を追って行われざるをえない。。。 生の均質化の保証 として。 とほうもない発言をしてみるならば 言葉がなくなれば お金がなくなる可能性は ある と言ってみたいと思います。 伝達のあきらかさにかかわるところに 阻害をもつこと、また 不均質さにおいても 合意形成が可能な 共同体システムをもつこと。 そのようにして成り立つ生がある ということを証明はできないのですが。

noname#35986
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 僕の中で漠然として表現できない何かを 明確な言葉で表現していただき感謝しております。 澄み一点を観る 言葉

その他の回答 (20)

回答No.20

「風と太陽」の寓話の示すことは、誰かが言ったように「それが得なのだと示せば、それが実現する」ということかもしれませんが、強制的に奪うよりは、不必要であり、無い方が得なのだと、示せればよいわけです。 それでは、皆さん、想像して見て下さい。 今は、2007年の7月の終りですが、 仮に2006年1月1日から、一年間、一切のお金が廃止されましたとします。 ただし、現実に起きた過去の生活はそのままです、皆さん仕事もしますし、買い物もして、休暇に旅行もします、但し、賃金も貰いませんし、買い物をしても、お金は払いません。農業も工業も商業も、現実にあった過去の通り、再現されますが、一切のお金が使用されません。つまり、現実にあったことが行われても、お金のやり取りが、まったく無かった、と言う事です。そこで、銀行や証券の金融業に変化がおきます。彼らは会社に来ても仕事がありません。でも、誰も賃金を貰わずに、お金も払わず買い物ができるわけですから、銀行に勤める人は、退屈しますが、生活には困りません。 そして、2006年12月31日、来る2007年にお金を使うかどうか考えなければなりません、一年を通して、お金がなくても、現実にあったことを、想像の上でも、お金無しで済ましてしまうことは、可能のようです。なぜって、想像の上での一年間と、現実に起きた過去の一年間は、お金が有るか無いかの違いだけで、皆さんの生活上の行動に変化があるわけではありません。お金は有っても無くても同じだとしたら、さて、どうしましょう。 お金がないと、損する人、困る人、そういう人だけが、お金の復活を、断固主張します。 以上、本回答以外にも、論理的な回答は可能で、曰く貨幣形式の人間にとっての根源性をいかに批判するかと言う事ですが、正直面白くない。今回の回答は、面白さを主眼に置いた、受け狙いの、御伽噺です。くれぐれも、本気にはしないで下さい。←言論規制への予防線(笑。

noname#35986
質問者

お礼

回答ありがとうございます

回答No.19

●現金を使用しなくしてカード化することは脱税を防止できると思うのです。 ↑ って、こう言ってること自体がいかさまじゃない?つぅーか、これ『カジノ』の話か『ババンク』かと? http://www31.tok2.com/home2/tegata/game/others/Vabanque.doc 漏れるよ筒抜け 現金をカードに置き換えたからといって完璧に脱税を防止できると思う?あまいは、家の元栓閉めてもそこまでにひかれた間の管がひび割れおこしたらだだ漏れや。水道管破裂して道路水浸しなんてこともまま起きてるやん。現金をカード化とばかりに躍起になって肝心要の管の老朽化とかには気もいかんようなって点検がおろそかになる、気にかけたらどないや。上手の手から水が漏る。なんてことにならんとも限らんのんちゃうか? おっと、≡、三行半、絶縁状ではなしに、絶縁といえば絶縁体そそこっちは、漏れ防止の精度かなり向上しつつあるとか。 http://pr.fujitsu.com/jp/news/2005/06/6-1.html http://ci.nii.ac.jp/naid/110003175648/ http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070129/259818/ http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0129/ibm.htm

noname#35986
質問者

お礼

別に世に完全などあると思っては居りません。 むしろそういうものは無いと思っております。

noname#35986
質問者

補足

色々可能性は考えるけれども できるけどしないという倫理観は大切だと思うのですよ。 どういう人であろうと。 どの立場の人であろうと。 勘違いしてるのかもしれませんが お金をカード化しようという意図でこの質問を出したわけではありません。 あくまでも人が生きていく上でお金は必要なものなのかという問いなのです。 カードでもいくらでも脱税の方法がありますよ と言われれば ああそうなんですか。 ただそれだけのことなんです。

noname#80116
noname#80116
回答No.18

漠然とした回答になりますが インタムライスムを提唱します。 市町村単位の自治態勢で 世界のあらゆるムラ(自治体)と 縦横自在に 人びとの文化的・経済的な交流をすすめていくという一案です。市町村議会議員を 提携した相手のムラと 相互に決めて相互に派遣するのもよいでしょう。 安全保障の問題などで いましばらくは 国家関係も続くでしょうから 国家次元での活動も必要なのでしょう。ただし インタムライスムとしては この国家とは できれば関係なしに すすめていく運動です。

noname#35986
質問者

お礼

造語に加えることの漠然では何のことやら見当も付きません。 回答ありがとうございました。

回答No.17

こんにちは、terre666さん。 ●もしこの世からお金がなくなったら… ↑ うわぁー、何か日本昔話に出てくるお話のよう。新美南吉「てぶくろをかいに」が思い起こされる。だってさ、今はまがりなりにもお金ってものが世界って大きな共同体の中で通用し運用され秩序つぅーのが形成されてる。共通の認識というのか共同の幻想をみてる抱いてる。ある意味、このことはスゴイっちゃぁー、スゴイことだと思う。何でそう思うかと言えば、ここのところ「世界って狭くなった」と言う声を耳にするけれど、とはいえやっぱ広いよ。行方不明者を探すかのように野山に分け入り地を這いずりまわり、歩き歩き探す。あっちやこっちへ、見たことも聞いたこともないようなところにも土地があり、そこに住み暮らす人たちをみつけに。で、どこのだれがどうやって行き来して来たのかはよく知らないけれど、言葉交わし意思疎通をはかり共通認識を深めてきた経緯があるんだろうな。そうでないと、旅行に出かけた先で何も買えない。しかし、いまでは行った先でものが買えたりできることをみれば土壌は整備されてきている。ということは、整備にあたってきた人がいたという証。世界というドデカいテーブルの上で通貨というカードを用いもののやり取りがおこなえるまでに至っていることを見れば、いつの頃から始められたのかはわからないが世界というドデカいものを想定した大掛かりなプロジェクトが地道ではあるが時を越え時を継いで着々と進行してきていたのであろう。「継続は力なり」とは、よくできた言葉だ。人に備わる潜在能力を垣間みたような気にもなる。畏るべし、共同幻想。膨大な意見やデーターを統合し共通認識を構築していく作業、ちょっと考えただけでも気が遠くなる。それを、通貨としてやり取りできるようにまで構築してきたことはやっぱスゴイの一言につきる。だって、「群盲、象を撫でる」の諺ではないけれど、各人が思い思いに口にする言葉を聞き取りひとつに集約して行くって、なかなかできることじゃない。往々にして途中で面倒くさくなって投げ出してしまいがちだけど地道にやっていくより他にない。この世からお金がなくなったら…、それは、そう心配することもない。通貨の仕組みはひとつ構築されているのだから、基礎はすでに学習済み。お金という存在が仮になくなったとしてもいま現在に於いてもカードやオンラインショッピングでものの取引がなされている現状を鑑みればすでにあってないが如し。それでも世の中まわってる。人の体が未知の如く、なけりゃないでそれを補おうとする働きが芽生える。人はなんかかんか考え出しよる。不思議だけどね。これが、潜在能力に秘められた人の力。人はそうすてたものでもないよ。捨てる紙あらば、拾う紙ありと。 岡本綺堂『夢のお七』 新美南吉『てぶくろをかいに』

noname#35986
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 現金を使用できなくしてカード化することは脱税を防止できると思うのです。

noname#35986
質問者

補足

過渡的な 一つの方法として。 例えばの話ですが。

  • cse_ri2
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回答No.16

>日本における支配者とは誰を指すのでしょう? >日本において誰が支配者であり、鞭打ち民を酷使するのでしょう? No.15の回答をよくお読みになってください。 私は外国からの侵略という事態が発生し、具体的には北朝鮮や中国政府のような無慈悲な支配者が、日本人を支配する事態を想定しているのです。

noname#35986
質問者

お礼

自覚と結束力というセーフティネットを構成することと外国からの侵略の可能性との関連性はどこにあるのでしょう。 侵略の可能性を言ったら、いまでもいつでもありえる想定なのではないですか? アメリカの核の傘下にあることによって、いたるところにその圧力が強く加わるのなら、それをまともに受けないでかわす方法を考えるということになっていくのではないでしょうか。 侵略はアメリカの核の傘下を離れるという想定なのでしょうか? 僕はそこまで言及はしておりませんが。

noname#35986
質問者

補足

>無慈悲な支配者が日本を支配する事態を想定している。 それに対抗するのがセーフティネットです。 その他には 工場を全国に細かく分散させるとか。 大規模農家を志向するのではなく極小規模農家を志向するとか。 昔の口分田方式のような自分の食い扶持は自分で作るみたいな。 もう少し拡大して機械化しなくても作れる位の規模で口分田して何世帯かの食を賄わせ他は余剰人員として分散した工場等に吸収させる。 とか。 かつて故郷を後にして都会に出て稼いだ人も強制送還(大げさですが)させて年金の替わりに口分田を支給する。 とか。 美しい日本を再生させるための 戦後レジームから脱却して レジューム再生させるとか。 例えばの話ですけど。

  • cse_ri2
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回答No.15

No.13です。 >原始共同生産社会の発生の仕方に学ぶ自給自足する最小国家の在り方を >演繹していけば現代の複雑化した社会においても適用していけるのでは >ないか。 >そして日本も元々そうした思想は根に持っている民族だと思います。 >だからこそ世界で最も社会主義が成功した国家といわれたのではないで >しょうか。 言いたいことはわかります。 日本の古代・中世におけるムラ社会のように、最小限の共同体を組織して、その中で生活したらどうかという提案でしょう。 私は、これはこれで一つの理想形かと思います。 ですが、二つの問題点を提起します。 1) 司馬遼太郎はエッセイの中で、日本人を農民型と狩猟型に区分しました。 農民型の人間の場合、この方式で満足して生活できるでしょう。 しかし、獲物を追って山野を駆け巡る狩猟型の人間の場合、小さな社会での暮らしは息苦しくて、とうてい耐えられないかと思います。 ここでいう狩猟型とは実際に狩をする人だけでなく、大商いに魅力を感じる商人や、武勇で名をあげることに懸命となる武士のような人物も含みます。 2) 世界が日本だけの場合、もしくは文明が極度に後退して大陸からの侵略がありえなくなった場合には、このような理想社会を作ることは可能かもしれません。 しかし現実の社会では、自国政府の権力を守るために日本を敵視する北朝鮮や、東アジアの覇権を目指して領土・領海・影響範囲の拡大を目指し、着々と武力を拡大している中国のような国があります。 もし、日本がムラ社会の集まりのような国となってしまえば、外敵が攻めてきたときに、対抗できず占領されてしまいます。 よって、理想とする社会作りは、外部の武力によって頓挫してしまい、結局質問者の方が考えるような理想の社会は消滅すると思うのですが、いかがでしょうか? >イワンの馬鹿を読んでみることをお勧めします。 私も読みました。 しかし、あれはあくまでもトルストイの寓話であり、現実は悪意ある人間に支配されれば、いくら自分達が愚鈍になっても、支配者たちは鞭打ちながら民を酷使するでしょう。 また、民族を消滅させてから、人口が余って仕方がない中国人を日本に移住させる手もあります。 チベットで起きている事を調べれば、イワンの馬鹿の話はやはり空想の産物でしかないと、認識せざるを得ません。 トルストイが生きていた時代は、まだ共産主義社会の害悪が世に知られていなかった時代です。 私はむしろ、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を参考にすべきだと思います。

noname#35986
質問者

お礼

>日本の古代・中世におけるムラ社会のように、最小限の共同体を組織して、その中で生活したらどうかという提案でしょう。 何故そのような乏しい発想で決めつけた考えになっていくのか解りませんが、形態は今の日本でいいし、さらにいえば2重構造的に道州制もしくは今ある県を小国家群的地方自治でもいいのです。 老子にもでてくると思うのですが、小国家群の方が管理はし易いと思います。 また自覚と結束力とは武力的に弱い立場の者たちによるセーフティネットであり、貿易自体は自由であってかまわないのです。ただ自由社会を標榜する世界であるゆえに夫々そこに住まう各自が輸入品を買う買わないは個人の自由意志によるのです。 >しかし、あれはあくまでもトルストイの寓話であり、現実は悪意ある人間に支配されれば、いくら自分達が愚鈍になっても、支配者たちは鞭打ちながら民を酷使するでしょう。 日本における支配者とは誰を指すのでしょう? 日本において誰が支配者であり、鞭打ち民を酷使するのでしょう? 何度も言うようですが 明治における下級武士による転覆やソビエトにおける下層労働者による転覆を参照することに意義は認められないのです。 何故か? 西洋思想がお好きなようですが、何故マルクスレーニン主義の主張する共産主義を参考にしなければならないのですか? もし参照するとすればプラトンでしょうか。 昭和天皇が言われるように、民主主義の萌芽は日本においても発生していた。 原初農耕社会における原始共産共同体の発生に真の民主主義を見ることができるのです。そして権威とは何であり、その役割とは一体何であったのか?覇王が支配する世になったとき、孔子や孟子といった人物が顕れ、尭や舜の治める上古の社会の形成を目指すことを説いたのです。

noname#35986
質問者

補足

貴方がイワンの馬鹿から何を学んだのか知りませんが 僕があそこから読み取ったのはセーフティネットです。

noname#117439
noname#117439
回答No.14

当方は頭を真っ白にして何も考えない状態になれます。 まだ無の境地とまでは行きませんが無心としてかなりそれに近いです。 おかげで江原某なみの霊視も出来ます。 ずばり言いましょう。 天国にも地獄にも現代ではお金が存在しています。 これは魂の発達(人間性)からいって必然的なことで、このもしもお金がなかったらは、ありもしない完全なフィクションです。 もしも金銭欲がなくお金にあくせくしなかったら? この質問なら答えは実践中です。 無駄な買い物をしないのでお金にはどんなにおこずかいが小額でも困りません。 その割には金運に恵まれて臨時収入の類がいっぱい入ってきます。 使い道がないので株に投資したら一年で3倍にまたしても増えてしまいました。 そんな感じです。

noname#35986
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 馬の耳に念仏かもしれませんが 社会は貴方の好きな職業だけで成り立っているわけではありません。

noname#35986
質問者

補足

本当に霊視ができるなら そういう人達が発生するメカニズムに対して働きかけるべきであり そういう人達を食い物にするのはどうかと思います。 >当方は頭を真っ白にして何も考えない状態になれます。 まだ無の境地とまでは行きませんが無心としてかなりそれに近いです。 ずばり言います。 そういうのを真に覚る前に訪れる 悪魔との対話で 魔に食われちまった魂 とでも言うのでしょうか。 まともな宗教の神秘思想においてはその意識に呑み込まれる事を厳しく批判しています。

  • cse_ri2
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回答No.13

質問者の方は、お金のない社会が理想社会だとお考えのようですが、この命題に限りなく近づいた政治を実践した国があります。 それは、『アルバニア』です。 実質的な鎖国体制を敷いたあと、徹底的な共産主義政策を推し進めます。 かつてのソ連でさえ、ここまで徹底してはやらなかったでしょう。 参考:『趣味の経済学』-『地産地消の国、アルバニア』  http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/albania.html 東西冷戦の荒波にも飲み込まれず、アルバニアは指導者エンベル・ホジャが死去するまで、その体制を続けました。 しかし彼の死後、結局は開国することになり、今は普通の国になっています。 私は正直言って、アルバニアのような国づくりは大反対です。 理由は、国防です。 当時の国民が幸せだったかどうかは、上記の記事からも十分にはわかりません。 ひょっとしたら、競争社会であくせくする日本人よりも、余計な競争もせず自分たちが必要な物だけ作って暮らすアルバニア人の方が、幸せだったかもしれません。 しかし、アルバニアが冷戦に無関係だったのは、はっきり言えば偶然でした。 当然ながら、鎖国のアルバニアでは経済も発達せず、国中にトーチカを作るなど防衛体制は敷きましたが、東か西側の先進国が本気で軍事侵攻すれば、アルバニアは一年持たなかったと思われます。 (ヨーロッパの隅にあったアルバニアに、軍事侵攻をするほどの地政学的な価値がなかったので、実際には行われませんでしたが) 頭の体操として、お金のない社会について考えるのは悪くないと思います。 しかし、現実の社会でそれを実現しようとしたら、競争意識をもった隣国からの侵略というものを、意識する必要があります。 お金のない社会では経済が発展せず、技術レベルも上がらず、発展する他国と比べると相対的に軍事力が弱体化し、いつか侵略される結果となるでしょう。 国民が不幸を分かち合うことになったとしても、究極の不幸である他国による侵略と占領による抑圧から自分たちを守るために、必要最小限であるにしても競争意識をもった経済社会は、必要不可欠だと私は思います。

noname#35986
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 僕は別にお金がない社会を理想としているとは言っておりません。 便利な道具ではあるが、それを使えなくしたら、または使わないとしたらどうなるかといった意味で質問して居ります。 実践した国家を紹介していただきましたが、下級労働者が王制を破壊して台頭して造った延長線上にある形だけの共産国家形態が参考になるとは思っておりません。政治に携わる人の意識が重要だと思うからです。何故王族の出である釈迦が長い旅のあと王になる道を選べば名君であったろうと言われるのか。 孔子や孟子が理想とした尭や舜といった農神の治める社会が原始共産社会に近いのではないかと思っております。 原始共同生産社会の発生の仕方に学ぶ自給自足する最小国家の在り方を演繹していけば現代の複雑化した社会においても適用していけるのではないか。 そして日本も元々そうした思想は根に持っている民族だと思います。 だからこそ世界で最も社会主義が成功した国家といわれたのではないでしょうか。 会社でも似たような現象が起こりますが、拡大しているときは問題にはならないのですが、会社が停滞、もしくは縮小していかなければならない時は、今まで目に付かなかった色々な問題が次々に出てくるものだと思います。 原始共同生産社会の発生は支配による強制ではなく、安定と楽からの自発的なものであったはずで、 自由経済主義世界の中にあっても外部との競争に対抗する力は、ただその共同体を組織する人達の、自分達の社会は自分達が守るのだという自覚と結束力にあるのではないでしょうか。

noname#35986
質問者

補足

>国民が不幸を分かち合うことになったとしても、究極の不幸である他国による侵略と占領による抑圧から自分たちを守るために、必要最小限であるにしても競争意識をもった経済社会は、必要不可欠だと私は思います。 切磋琢磨としての競争社会と生存競争としての競争社会とは違う。また競争意識を保持すること自体が自分達の社会を守る方法はないと思います。 イワンの馬鹿を読んでみることをお勧めします。

noname#96295
noname#96295
回答No.12

宇沢弘文氏の 社会的共通資本 という本はお読みになりましたか? 私はしばらくこれを知らなかったもので、 今年入手して「積ん読」になっており、 最初に読みたい山の中に入っています。 それはさておき、 権利 というもの に深い水脈があって、この水脈は何なのか、 権利は なぜ管理されねばならないか、なぜ顕示されねばならないか、 なぜ 譲ることができ、貰い受けることができるのか、 その保証 は何がつとめうるのか。。。 所有 という現象を 認識するための 順序 を何が決定づけるというのか つまり誰かの手に渡りながらでしか己のもとにはないわけだから そして たぶん ある日 いくぶんSF的に 金融の一切のシステムが消えたとき、 スーパーの店員一人にさえ、たぶん彼がいままで学習したことのない 尊厳の自立や 魂の自立が 必要となるのであって われさきに詰めかけてキャベツを持っていこうとする人間を ただ持って行かせてはならない と彼は気づかねばならない。 100人に配ってくれたら 一個あげる と せめて言ってもらいたい。あるものは仕方がないから。 もし、キャベツが腐る可能性を彼が甘受するなら 専門的な労働をもって 報酬を分配することを思いついてもらうといいのだけれども。 すべては他者のもの というシステムを保証するものが 国家統治権力や 宗教でないように、と懸念すると お金は まずまず 悪くない。 しかしお金の国や お金の宗教 と現実なんら変わりはないからね。。。 でも ほかの保証も 現れるかもしれない。。。

noname#35986
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ご紹介の本は読んでおりません。機会があったら読んでみたいとは思いますが、経済学は経世済民学という意味なのでしょうか? プラトンの国家では政治は管理だといいます。 経世済民というと政治そのものという感じですが、政治と分離した経済学は何を目的とした学問になるのでしょう?

  • big-rex
  • ベストアンサー率8% (6/67)
回答No.11

terra666さんが言っているお金というのは、あくまでも現金に対して という事ですか? だったら、カードを作る事が出来無いゾーンの人間分の浮浪者が増えるだけです。

noname#35986
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今回の質問は人が生きていくの本当にお金はなくてはならないものなのかというのが根底にあります。 現金が使えずカード化することは一つの手段かもしれません。 しかし現時点のカードには背景にお金があります。 またkigurumiさんが指摘するように自己破産していくケースがあるためその前にしておかなければならないことはあると思います。 >だったら、カードを作る事が出来無いゾーンの人間分の浮浪者が増えるだけです。 働かざるもの食うべからずということになるのでしょうか。 それも一つの社会の有り方だとは思います。 働けるのに働かないというのは反社会的なのかもしれません。 ただ場が変化すればそれも変わるかもしれないとは思います。

noname#35986
質問者

補足

さらに言えば 変えていかなくてはならないことだ と思います。

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