哲学における方法論
数学や物理学には、確固とした方法論が存在する。
それは原理であり、法則であり、定理である。
数学や物理学ではこれらの方法論が確立されているため、確かな心を維持して学問できるのである。
一方哲学ではどうであろーか。
かつてデカルトは方法序説を表したが、それは哲学の方法論というより数学の方法論であった。
哲学する者が追い求めるのは数学や物理の方法論ではなく、純然たる哲学の方法論である。
では哲学の方法論とは一体どのよーなものなのか。
そのよーなものは存在するのか、確立されているのか。
もともと哲学は思うことから始まったのであった。
しかし単に思うだけでは哲学とはいえまい。
どこまでが単なる思いであり、どこからが哲学と言えるのか。
その思いを哲学へとイノベートするものは何か。
思いを哲学へとイノベートするには何が必要なのか。
お礼
ご回答ありがとうございました。ご指摘の通りもうちょっと調べてから質問した方が常識でした。申し訳ありませんでした。一応言っておきますが課題、宿題ではありません。