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it was hard to see anything の訳

The snow blown by the wind was very cold. Often it was hard to see anything.という英文の訳が「風で飛ばされた雪がとても冷たかったんだ。たびたび激しくて何も見えなかった」となっているのですが、これだとhard は「風が激しい」という意味になっているのでしょうか?「見るのが困難だった」というように、it was hard to は「~するのが難しかった」という意味なのではないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

A No.3, A No.9 です。 手近にいるドイツ人に聞いてみました。ドイツ人といっても、20年以上もアメリカとイギリスに住んでいて、高度な専門職についている人ですから、信頼性は極めて高いと思います。 やはり A No.3 と A No.9 に回答したように、it が前の文章の何かを指すことはないことと、二つ目の文章は「見ることが難しい」という意味だと、かなり断定的に言っていましたよ。 その人は普段から曖昧なことを断定的に言うような人ではないので、その意味でも信頼できると思います。

taktakboy
質問者

お礼

わざわざお知り合いのドイツの方にまで尋ねてくださってありがとうございました。皆さんのご意見を読んで、どの方の回答も「なるほど」と思ってしまって、ベストアンサーを決められませんでしたが、やはり英語の起源でもあるドイツの方が断定されるのでしたら、それが正解なのかと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (10)

回答No.11

Gです。 taktakboyさんからの回答へのお考えがいまだにないのでどう回答すれば分かってくれるのかが分かりません。 #9さんがヒントなされたようですが、このカテは英語と言う非常に幅の広い要素を持ったカテであることは皆さんご存知のように、ここでの肩書きが専門家になっている方で昔からの常連の方であれば、その「専門分野」が分かるかもしれませんがやはり専門家と名乗る以上何の専門なのかやはり知りたいのが質問をする人たちは知りたいと思います。 たとえば英語の教師であればもちろんその道の専門家ですね。 しかし、インターナショナルのホテルのフロントで接客を仕事としている人も英語を実際に使って生活していると言う面から見ればかなりの信憑性を持っている専門家と言えると思いますし、フロントで使われる表現については、ほかの専門家である技術英語を使っている人は、英語の先生と同じように、専門家と言えるかどうかと言うと私には(私を含めて)フロントにいる人だけが専門家と呼べるのではないでしょうか。 試験英語と言うジャンルがありそれを克服していかなくてはならない学生が試験で高い得点を取るための質問であればその道の専門家(自称ではあるけど)の回答は信頼できるものだと思います。 私はこの6年間、たとえほかの人よりよく知っていると自負しているジャンルでも、一般人という肩書きを使ってきました。 (ここでの肩書きにはあまり意味がないと言うことを知っているからです)  と言うことで、今回のご質問で私の回答は、あくまでも、英語を使う人がどういうフィーリングでこの文章を言ったのか、なぜ、too hardと言わなかったのか、なぜ、very coldと言ったのか、など、「状況証拠」ではありますが、十分にこのitはto see anythingだと言うしかない、と言うことを回答にさせてもらいます。 風や雪がhardであると言う解釈はあまりにも英語を使う人にとっては使いにくい表現方法であり、まず今回のようには言わない、別表現をするはず、となってしまうことは学校文法ではまず否定できるだけのものはないでしょう。

回答No.9

A No.3 です。 そ、そうなんですか?(^^;) 「専門家」「自信あり」の中でもご意見が異なっているようですので、英語の専門家でもなく、自信もない立場から、素朴な疑問を提起させていただきますね。他意はございませんのであしからず。 まず、  It (=the snow) was hard to see anything. と解釈し、to see を目的の不定詞にしたら、hard は否定的な hardly とは関係ない雪の性質を表しますから、 「雪は任意のものを見るために激しかった。」 という意味になりますね。 目的の不定詞の主語は、基本的にはその文章の主語に一致しますよね。 It was hard to see anthing で、to see を目的の不定詞と解釈したら、見るのは it になりますよ。It を snow に解釈したら、雪が見るの?ということになってしまいます。 百歩譲って、異例なものとして to see の主語を「私」にしたとしましょう。 そうしたら「私が見るとという目的で、雪が激しかった。」という意味になり、意味が通じません。 やはり、to see が目的の不定詞というのは、疑問なんですが。 もし「(私が)見るには、雪が激しかった(激しすぎた)」と書きたければ、 The snow was too hard (for me) to see anything. ですよね。for me の省略は当然としても、英文として too をわざわざ省略する意味があるでしょうか。そういう省略ってよくあるのですか? しかし、この too は to see anything (任意のものを見る)に「何も見えない」という否定的意味を付与するキーになる言葉なので、省略するとは思えないです。素人の私には否定文で not を省略するのに近いように見えます。 語感として、snow や wind が hard ということを重ねて表現しているかもしれず、それを意訳して「風が激しく…」としたのかもしれませんが、本来の意味は、it は to see ... と解釈するほうが、普通ではないでしょうか。

noname#114795
noname#114795
回答No.8

どちらの意味にもとれるとする見方にあえて反論します. 第二の文の it は,前の文の The snow (blown by the wind) を指すと解釈します.「風に舞う雪(吹雪)が激しいせいで何かを見ようとしても(目を開けていられない状態で)困難なことがしばしばだった.」 かりに第二の文の it が to see 以下を指すとすれば,これらの二つの文はそれぞれがまったく独立したものとなります.つまり,関連性がなくなります.結果として,it was hard to see anything という,何を言いたいのか意味不明な文が単独に存在することになります.また, was というある過去を示す時制の意味が解釈できなくなります. すなわち,これらの二つの文は,通常,関係代名詞で結びつけてもよい程の密接な文だということです. 文法で解釈するのではなく,文脈で解釈すべきです.

回答No.7

アメリカに39年ほど住んでいる者です。 私なりに書いてみますね。 確かに学校文法ではどちらとも取れないことはないでしょう。 そういう形の文章だから仕方ないのです。  Thank youをありがとうと言う表現であることを知らなければ、命令形だ、と言うでしょう。 それが学校文法であるわけです。 ありがとうと言うフィーリングを表す表現だと言うことを知っていれば、この学校文法は通用しないのです。 命令形と言う言葉は出てこないでしょう。 それだけフィーリングと言うものは大事なものなのです。 そして、今回もその人間が持っているフィーリングと言うものをはっきり感じ取らなければ学校文法が物を言ってしまうのです。 確かに、The wind was hard to see anythingという表現もThe snow was hard to see anythingという表現はあるでしょう。 使えない表現ではありませんね。 しかし、なぜそういう表現をしなかったのでしょう。 なぜ、Itを持ってきたのでしょう。 その前の文章の主旨はあくまでもvery coldなのです。 その表現のすぐ後に、このis hard to see anythingが来ているのです。 この文章を持ってきたのはなぜでしょう。 持ってきたいというフィーリングがあったからなのです。 つまり、この二つの文章は何かの糸に継げられている筈なのです。 逆を言えば、hard to see anythingを持ってきたいのになぜ、was very coldと言う表現をしたのでしょう。 -30度の気温を経験した人であれば分かるのです。 目に冷たいから見えなくなる、と言うことを。 でも、雪がつめたい、と言っていますね。 気温と言うある一定の時間一定になっているのと違い、とてつもなく冷たい雪が風によって顔に当たるのです。 あたらないときもありますね。 違う方向を向いていたり、風自体が速度を変えているからですね。 だから、ここで、oftenと言う単語を使っているわけです。 その状況があるからこそ、たびたびと言う表現をここに持ってきていると考えるのが自然でしょう。 雪や風が見にくくしていると言うのであれば、was coldと言う表現を持ってくることはないでしょう。 The snow/wind made seeing so difficultと言うような表現を持ってくると思わざるを得ません。 学校文法がいくら両方の意味合いになると言っても、実際に使われるときのフィーリングから考えれば、見るのが困難だった、というフィーリングを感じるのが自然なのです。 文脈がその理解に導いているし、もうひとつのフィーリングを表現したいならそれなりの表現をするのが英語でもあるし日本語でもある言葉なのです。  フィーリングを感じないまま、両方に取れる、では、これを言った人の表現力がなかったとしかいえないわけです。 両方に取れる表現ではあるが、この二つの文章には、話して・書き手の主観がはっきりしすぎているのです。 言い換えれば、後者の文章しかなくoftenと言う表現がなかったらどうにでも取れる、とまでいえることなのです。 どっちに取れるか、どっちをとる方が自然か、を判断するのは学校文法のあいまいな説明ではなく、英語の文章をどれだけ理解できるかと言う英語力なのです。 ちょっとした表現が持っているフィーリングを表現しているわけですから、そのちょっとした表現をどれだけ重要視するかでフィーリングを感じ取れ話し手や書き手のフィーリングを捕らえることができるか、が英語力なのです。 だからこそ心理学を知っていて使える人はそのちょっとした表現を捕まえることができるからこそ、患者のフィーリングをつかむことができ心理状態の判断ができるわけです。 心理学に携わったことがある人であればそれなりに英語力を持った人だと言うことであり、フィーリングを感じ取れる人でもあるわけです。 しかし、心理学に携わった「患者」ではそれができないわけですね。 と言うことで、ご質問にある和訳は間違ったフィーリングを捕らえている、と言うことになってしまいます。 たびたび見なくなってしまうときがあった、と言う訳を私は支持します。 この英文を書いた人にはそれなりの表現力を持っていると言うことを前提に書かせてもらいました。 これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

回答No.6

It was hard to see anything. では、it is __ to 不定詞 の構文です。 なので、真主語は、to see (見ること)となり、To see is hard. 「見ることが、hard、つまり難しい」という意味から 「もはや何も見えずらかった」となります。 ちなみに、 もし、雪がhardで何も見えないんだ、ということを表す場合には It(The blowing of the snow) was too hard to make us see anything. となるべきです。あくまでも、前の文の主語は、「風」ではなく、風によって吹かれている「雪」です。

  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.5

こんにちは。5/30のご質問ではご丁寧なお返事を有難うございました。 ご質問1: <これだとhard は「風が激しい」という意味になっているのでしょうか?> その通りです。 この抄訳に忠実に英文を分解すると、以下のようになります。 (1)分解: it:代名詞「それは」で、前文のThe snow blown by the wind「風で飛ばされた雪」を指しています。 was:不完全自動詞で「でした」 hard:「激しい」補語Cになる形容詞です。SVCの構文なので、S=Cになります。従って、この形容詞は主語Itの性質を表しますから、「困難な」という意味よりは「(雪の状態が)激しい」という訳が適切です。 to see:このto不定詞は「~するために」という目的を表す副詞的用法になります。 see anything:肯定文で使われるanythingは、「なんでも」という譲歩の意味を表します。否定的な形容詞Hardと呼応して「何も見えない」と否定的に使われています。 (2)直訳すると、 「それ(風に舞う雪)は、何でも見るためには、激しかった」 →「それは激しくて、何も見えなかった」 となります。 ご質問2: <「見るのが困難だった」というように、it was hard to は「~するのが難しかった」という意味なのではないのでしょうか?> この例文では違います。 しかし、一般にはそうとることもできます。その場合の文法的分解は、以下のようになります。 (1)分解: it:it to~構文の形式主語で、真主語to不定詞以下を受けています。 was:不完全自動詞で「だった」 hard:「困難な」補語Cになる形容詞です。SVCの構文なので、S=Cになります。従って、この形容詞は主語It=to see anything「何でもみること」という状態を表しますから、「困難な」という判断を表す意味になります。difficultに置き換えることもできます。 to see:このto不定詞は「~すること」という真主語になる名詞的用法になります。 (2)直訳すると、 「何でも見ることは、困難だった」 →「何も見えなかった」 となります。 ご質問文はそれだけ見ると、上記のどちらの意味・解釈も可能です。その違いは話し手・書き手の主観に委ねられます。 この抄訳が「たびたび激しくて、何も見えなかった」となっているのであれば、ここは1の解釈をして欲しいという、作者のメッセージになります。 以上ご参考までに。

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.4

hardは辞書には「難しい」と書いてあります。 それは間違いではないのですが、副詞になった hardly が表すように「ほとんどない」的なニュアンスがあります。 その訳者は、その感覚を知っているので「何か見えることがほとんどなかった⇒何も見えなかった」と訳しています。 激しくては暗示的に、前の英文から流用して意訳したのでしょう。 Die Hard 4 (ほとんど死なない⇒なかなか死なない⇒死なない男)って、いまロードショー中でしたっけ?

回答No.3

私もそう思いましたよ。 「難しかった」の hard で良いと思います。 「風が激しい」で翻訳しようとしても、文法的にしっくりこない気がします。もしそう言いたければ、 The wind was too hard to see anything. と書くのではないでしょうか。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

後者の、 it was hard to = 「~するのが難しかった」 が正解です。 無理矢理ですが、it を先頭にした倒置を解除すると、 (Often) To see anything was hard. です。

  • viking
  • ベストアンサー率22% (5/22)
回答No.1

「吹きすさぶ雪で辺りが見づらい」という意味ですよね。 なので、あなたの仰る後者の意味に当たるんだと思いますよ。

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