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緊急!スサノオについて。
古事記でスサノオが鼻から生まれたという部分は後で付け加えられたという説があるらしいのですが、詳しい方どうかお教えください! 明日テストなんです!!!
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- ubihistory
- ベストアンサー率100% (8/8)
後から付け加えられた説ではないです。 古事記が日本では現存する一番古い書物です。 だからと言ってその記述が正しいわけではありません。 ちなみに日本書紀では古事記の説も書いてあります。 と同時にイザナギとイザナミが天地を治めるすぐれた子を作ろうとして天照大神と月読とスサノオを生んだ記述があります。 この場合にはイザナミは生きています。 日本書紀はいくつもの説を紹介しながら話を進めているのでそうなるのです。 一度読んでみてください。
- ringouri
- ベストアンサー率37% (76/201)
テスト用の答えはともかく、 ここで紹介されている説は史料事実に反するので、そのことだけコメントしておきます。 『日本書紀』の一書群の中に、この部分が『古事記』の内容と同じものがあります。つまり、『日本書紀』編纂時には『古事記』と類似の話は既に成立(普及)していたという事実がありますので、該当部分の「後代付加」説は成り立ちそうもありません。
- eito_waka
- ベストアンサー率54% (148/272)
「古事記」では、ご指摘の通り、イザナミが死んだ後、黄泉の国に行って戻ってきたイザナキが禊ぎ(みそぎ)をした際に 両目と鼻を洗って三神が生まれたとされています。 それに対して、「日本書紀」では、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三神は、イザナキとイザナミが協力した上で、 イザナミが生んだ(通常分娩で)事になっています。 つまり、母神であるイザナミは死んでおらず、有名な黄泉に行く話や禊ぎも発生しません。 この違いが生まれた原因の一つといわれているのが、スサノオが人間界へ干渉する動機の有無と言われています。 物語性を重視していない「日本書紀」では動機もなくスサノオが人間界に行った事だけを記述しています。 それに対して、物語性を重視する「古事記」では、スサノオが人間界に行く動機を 「死んだ母親に会うために黄泉の国へ行き、その途中で人間界に寄った。」としています。 つまり、スサノオが人間界に行くにはイザナミが死んでいなくてはならず、又、死んだ事にするいじょうは三神はイザナキが一人で生まなくてはいけません。 まとめると、『「スサノオが鼻から生まれた」という部分は「古事記」に物語性をもたせるため、 スサノオが人間界に行くための動機を作る事になり、母神のイザナミを死なせる必要が出たため、 イザナキが一人で三神を生まなくてはいけなくなり、付け加えられた話』という事です。 回答が遅れましたが、間に合ったのでしょうか?
お礼
素晴らしい回答ありがとうございます、分かりやすくて本当に助かりました!!おかげでテストには何とか間に合うと思います!!