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1555年という年についてどう思いますか?
1555年(弘治2年)という年は戦国時代において各大名のターニングポイントではなかったかと思います。駿河今川家では、軍事・外交のエキスパートであった雪斎が亡くなり、また朝倉家では軍事の要である宗滴が死に、毛利家はこの年厳島で陶晴賢の軍勢を破っています。これらの出来事が後に今川家では桶狭間の戦いだったり、朝倉家の滅亡、毛利氏の中国制覇の礎になったような気がします。歴史に詳しい方、この1555年に日本の戦国時代で起きた出来事についてどう思いますか?
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- tanuki4u
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回答No.2
1555年と言えば アウグスブルクの宗教和議 こちらの方が重要だと思います
- onbase koubou(@onbase)
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回答No.1
「こじつけ」だと思います。 1549年(天文18) ・織田信長と濃姫の婚姻 ・フランシスコサビエルの上陸 ・徳川家康(松平竹千代)が今川家の人質となる 1556年(弘治2) ・斎藤道三の死去 ・藤堂高虎の誕生 各大名が覇権を争っていた時代ですからさがせばいくらでも出てくるような気がします。 宗滴や雪斎が死ななければ朝倉家も今川家も滅亡しなかったのか?とは言い切れないでしょう。