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内田百けんの『冥途』について
内田百けんの『冥途』を何回か読んだのですが、良く意味が分かりません(^_^;) 初め読んだときは、「主人公の“私”が死んでいて、 生きている父達が話しているのを霊として見ている…」 と言う内容だと思ったんですが、もう1度読むとその逆で、 「死んだ父親が他の霊と話しているのを生きている子(私)が見ている」 と言う内容かもしれないと思いました。 私は2度目の読んだ時感じた内容の方が正しいのではないかと思っていますが、 実際はどうなのでしょうか? また、その根拠になる所はどの部分か教えて欲しいです。 お願いしますm(_ _)m
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岩波文庫の後付にある解説に一つの読み方が載っていますが。 明らかにここの「父」は死者です。その死者のいる場所を「冥土」として題しています。死者と接触しつつも「そこに見えていながら、その様子が私には、はっきりしな」かったり「私の声は向こうに通じなかった」りします。私はまだその世界に属していないのです。 短編集「冥土」は幻想小説集ですし、簡単に言えば、夢の話と考えれば良いでしょう。自然に読めば、こういったところで疑問は出ないはずですけど。
お礼
やはり「父」が死者ですか…。 私、読解力なさ過ぎですね…。 回答ありがとうございましたm(_ _)m