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先物取引は大阪で始まったって本当?

先物取引は世界に先駆けて大阪で始まったって本当?

質問者が選んだベストアンサー

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  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.2

本当です。少なくとも近代的な先物取引市場の発生した場所の一つであることは間違いないです。 ただ、大阪のそれが世界に広がったわけではありませんし、同時期(どちらが先かについては論争がある)にベルギーのアントワープでも発生しています(世界に広がったのはこちらです)。議論が分かれるのは、アントワープの場合、前近代的な先物取引市場が次第に近代的なものに変わった都合上、どの時点からを近代的な先物取引市場と呼ぶのかという点です。 因みに前近代的な先物取引自体は、聖書の中にすらあります。 大阪先物取引から広がったものとしては、現在も株などで用いられている「ローソク線」と呼ばれるものがあります。

その他の回答 (2)

  • hirosi3
  • ベストアンサー率50% (72/143)
回答No.3

 ●大坂堂島米会所●  1730(享保15)年、幕府は大坂堂島米会所の設立を公認した。  場所は北区堂島浜1丁目、大阪全日空ビルと新ダイビルのあたり。堂島川に沿ってこちら側と対岸、いまの日銀と大阪市役所あたりには諸藩の蔵屋敷が建ち並んでいた。  ここは寄場(立会場)、会所(事務所)、消合場(精算所)の3つから成り立っていた。寄場は狭い小屋建てで、東の方が正米取引寄場、中央が帳合米寄場、西の方が石建米商いの場、となっていた。この小屋は事務所の様なもので、実際の取引は堂島川に沿った浜通りの道を占拠して行われていた。かつての淀屋米市でも取引に伴う雑踏・騒音が幕府から注意を受けていた。  この寄り場から二筋ほど北の船大工町に会所(事務所)と消合場(精算所)があり、そこを中心に五百件を超える米商人が軒を連ねていた。ここは現代の大阪ではちょうど北の繁華街、曾根崎新地あたり一帯であった。  取引には、「正米商内」「帳合米商内」「虎市米相場」などと呼ばれるものがあった。特徴は「帳合米商内」と呼ばれる取引で、これはコメ、現物を扱わない「先物取引」で、シカゴなどではForward ではなく Futures と呼ばれる取引で、現代日本では「日経225先物取引」と呼ばれる取引であった。

  • X-Terra
  • ベストアンサー率48% (25/52)
回答No.1

コメ、ですかね。

参考URL:
http://www.ose.or.jp/profile/pr_reze.html

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