鳥の英文の研究書(Grubb, T. 2006. Ptilochronology. Oxford Univ. Press)を読んでいます。下記(p. 95)の、ad absurdumの意味と、前後の英語との文法的なつながりです。文章の大意はわかるので、読み進むのにまったく支障はないのですが、意味と文法的構造が気になるので質問します。
文脈について説明しますと、著者は、小鳥の生態の調査で、孤立した林ごとに異なる実験をして統計的な処理をしようとしています。統計的な処理で重要なのは、事象が互いに独立ということです。サイコロを2回振るときに、1回目に出た目によって2回目の目が影響を受けることはないので互いに関係なく、「独立」です。ですが、タイガースの勝利とジャイアンツの勝利は独立じゃないです。互いの対戦がありますから、片方がたくさん勝つときもう一方は多く負けるという影響しあう関係があります。
著者は、孤立林どうしで研究対象の小鳥の交流や互いに影響を及ぼしあっていないことから、それぞれ統計学的に独立の単位として扱えると判断しました。しかし、ごくまれに、複数の孤立林の両方にタカの同じ個体が出現することがあるので、厳密には独立の単位とは言えないとも言える、と著者は述べます(つまり、ごく稀にですが、片方の孤立林の小鳥が食べられるとき、もう一方の命が助かるということがあり、それぞのれの孤立林の小鳥の寿命は厳密には独立とはいえません)。その次が問題の箇所です。これは括弧で囲われているので著者も余談として書いています。
( To carry this sort of purist statistical argument to its conclusion ad absurdum, one could argue that since any two woodlots were on the same planet, they could not be considered statistically independent, for example, because they were both warmed by the same sun. This is the sort of thing academics sometimes get gad reputations for arguing about!)
ad absurdumはイタリックになっています。大意はもちろん「こういう重箱の隅をつつくような厳密さを追求してゆくと最後には、どんなふたつの孤立林も同じ地球上にある以上、統計的に独立とは言えなくなる。というのもたとえば、同じ太陽によって暖められているのだから。まあ、こういうことを議論するから学者の評判が落ちるというような類の議論であるが」という意味と思いますが、ad absurdumとはどういう意味でしょうか、それと直前のconclusionの関係はどうなっているのでしょうか。conclusionを形容詞的に修飾していますか、それともcarry を副詞的に修飾していますか?ご教示いただければ幸いです。
お礼
大変ありがとうとざいました。手持ちの紙の辞書類(英和、英英)と日本の辞書サイトだけ見て出ていないもので、こちらに質問しましたが、ご紹介のように海外の辞書サイトがいくらもあるのですから、そちらも見てみるべきでした。どうしてこんなことに気づかなかったのか。年は取りたくないものです。
補足
早速ありがとうございます。ええと、gad reputationsじゃなくてbad reputationsでした。