原文テクストは無論、翻訳テクストも見つからないので、記憶を元に、勝手な推測をしてみたく思います。
おそらく、死亡年齢や年代を明示的に記述する文章はないと思います。しかし、色々な状況から、ある程度推測できるのではないかと思います。
「幻」の最後で52歳だとすると、紫上の逝去からかなり経っていることになります。紫上は37歳で亡くなったはずで、源氏は、上より七歳か八歳年長のはずです。女三宮が落飾したのは、紫上の死の前のはずで、この時、すでに薫は生まれています。また匂宮も生まれています。
源氏44歳の時に、薫1歳とすると、「幻」の最後では、薫は9歳になります。宇治編の最初は、話の時間が少し錯綜しているのですが、薫が侍従であって、宮仕えをはじめた頃の話があります。侍従は16か15歳のはずです。すると、「幻」の最後と、宇治編の始まりの時間とで、6年か7年しか経過していないことになります。
冒頭の「匂宮」は、薫が侍従であったときより数年後の話とすると、話の時間が、十年後程度ということで数字が合ってきます。しかし、薫が侍従であった時の話の段階で、すでに源氏や六条院の栄光は、はるかな過去のことで、記憶の向こうのような書かれ方がされていたはずです。
わずか数年前、源氏が薨去し、六条院の人々は悲嘆にくれ、散り散りになってしまったという感じではなく、それはもっとはるかな過去のことのような感じになっています。
本編の物語と宇治編を分けるため、こういう風に作者がしたのかも知れませんが、時間の経過関係は、書かれていなくとも、計算して行くと、矛盾したものがないのが、「源氏物語」です。
宇治編では、光源氏が、ほとんど話題に昇りません。源氏があればこその薫であり匂宮のはずですが、何故か、無視されています。作者が意図的に触れなかったとも云えますが、作品のなかの時間で、源氏が無関係と思えるほどの時間が経過したのではないかともいえるのです。
夕霧は、別腹とはいえ妹の明石が中宮で、その息子が東宮で、更に、三人目の息子である匂宮を、次の東宮に立てようなどと画策しています。ところが、夕霧は、宇治編で、右大臣です。太政大臣には、黒髭がなっていたとしても、黒髭も、すでに逝去しています。父親が太政大臣、しかも准太上天皇、院で、母親は、太政大臣と降嫁内親王のあいだの娘の葵上です。
東宮の伯父であり、次の東宮の伯父にもなり、中宮の兄で、しかも、経歴からも血筋からも、彼に匹敵できる者はいないはずなのです。冷泉院はまだ元気で、夕霧が兄だと知っているのですから、何かおかしいと思えるのです。
つまり、源氏が、もう少し長生きしていれば、息子の夕霧を太政大臣に就ける算段をしていたはずだと思えるのです。晩年の源氏の悲嘆などは、内面的なもので、世間体は作っているのであり、源氏は、権力の絶頂にいたとも云えます。
夕霧が、予言通り、太政大臣になっているならともかく、何時までも右大臣なのは、影響力のある源氏が、その力を発揮する前に亡くなったのだと考えるのが妥当でしょう。夕霧も四十を超えていますから、年齢的に太政大臣は無理とはならないはずです。
これらを考えると、源氏は54歳頃に薨去したと考えるのが妥当なように思えます。源氏は、出家して、仏道の修行も立派に修めて亡くなったとされますから、「幻」の直後、出家し、三年ほど修行に励んで、薨去したと考えると、相応に修行もし、また、薫たちが成人となった時、すでに十年近い過去の人となっていたとも云えるのです。
53歳では、修行が二年で短く、55歳だと、五、六年前の人、ということで、まだ記憶に残っているでしょう。従って、55歳あるいは56歳以降まで生きたとは考えにくいということです。
59歳まで生きていたとすると、薫が侍従の時、まだ存命ということになりますが、そんな風にはとても思えません。すでに、この時、「過去の人」になっています。
(54歳で亡くなっても、「過去の人」というには、最近亡くなった人という時間になるのですが、源氏と紫上の年齢差が九歳か十歳だとすると、源氏52歳で、薫7歳になり、時間が整合して来ます。
あるいは、紫上の亡くなったのが、37歳でなく、39歳とかの場合も、似たことになって整合します。この辺りの年齢関係は、テクストの出来事の順序から表まであるはずですから、確認できるはずです)。
54歳という薨去年齢は、宇治編では、「過去の人」となっているため、源氏は、可能な限り早く死んでいなければならないのと、仏道修行も勤め上げたということのための時間で、3年は必要だという判断から出てきた年齢です。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってすみません。 推測も交えての詳細な検証、大変参考になりました。