- ベストアンサー
黒田幕府はありえますか?
関が原戦が長引いていたら黒田如水が九州統一して毛利も自陣に取り込んで徳川を破り天下をを獲っていたんではないでしょうか?また黒田家が天下を獲っていたなら商人出身の黒田家は鎖国はしないでアジアの権益をめぐってヨーロッパの国々と対立して太平洋戦争みたいな出来事が400年近く前に起こっていたのでは?歴史にはIF はありませんが、みなさんはどのように予想されますか?私が勝手に造った設定ですけど。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
すみません、#3です。ちょっと補足します。 先の回答は説明が練れていませんでした。幕府樹立の課題は順序が逆の方がわかりやすかったですね。時間の前後関係や切迫度合いからいうと、 政宗に勝つ→安定した政権を維持できる大家臣団を組織→源氏を名乗り征夷大将軍に就任 という順序になるかなと思います。 また天下取り=幕府ではなく、豊臣政権のように幕府という形をとらない武家政権もあり得ると思います。安定するかどうかは保証の限りではありませんが。
その他の回答 (7)
小説にすればおもしろそうな話ですね。ただし、相当黒田如水に有利な設定にしないと、関が原戦が長引いた場合でも九州の統一の段階で行き詰まると思います。現実には、天下獲りは難しかったと思います(思いも寄らないアイデアがあったかもしれず、そのこと自体がこの質問の原動力だと思いますが、「思いもよらないアイデア」は、それこそ黒田如水の頭脳でないと思いつきません)。 ・加藤清正(熊本城主 関が原戦に参加せず、領地にいた)は、黒田如水がなぜ大きな所領を与えられなかったのか(俗に、優秀すぎる頭脳から、大きな兵力を持つと、秀吉死後に天下をとることを心配したといわれます)を知っていたはずです。九州統一の際に必要となる島津家との戦いや、九州統一以後の戦に積極的に協力するとは思いづらいです。 ・島津家がどのように動くかは、それ自体が不明ですが、黒田如水の陰謀への積極的な協力はしなかったと思います(伏見城の攻城戦時に城(徳川)方への助力を申し出る等徳川に通じている、また内戦で疲弊していた)。勇猛な島津の兵がなければ、勝ち進むのは至難です ・黒田如水の兵は浪人主体でしたし、兵を率いる能力のある家臣は、子の黒田長政と一緒に関が原に従軍していたはずです。数は多くても将が如水一人では戦闘力に限界があります。 ・毛利家の家老の吉川広家が家康に通じていたことはよく知られています。毛利家が積極的に黒田如水の味方をするとは考えづらいです。 ☆また黒田家が天下を獲っていたなら商人出身の黒田家は鎖国はしないでアジアの権益をめぐってヨーロッパの国々と対立して太平洋戦争みたいな出来事が400年近く前に起こっていたのでは? 台湾や東南アジアに兵を派遣すれば、植民地争奪戦争はあったかもしれせんね。もっとも、外国出兵を考えたとしても、朝鮮・中国ではなかったかと考えます。その場合、国力的にヨーロッパ諸国と戦う余力があったかどうかは疑問です。
- eito_waka
- ベストアンサー率54% (148/272)
関ヶ原戦が長引いても、九州統一すら出来なかったはずです。 敵対する大名を倒しても、その領地を平和的に統治する必要があります。 当時は大名家を倒しても、残った家臣が領地にこもって敵対したり、臣従するふりをしてサボタージュする場合が多かったようです。 家臣が多くない黒田家では、急速に領土を増やしても領土経営は手にあまったでしょう。 又、降伏した家の家臣を雇う事にしても、すぐには重要な役には就けられなかったでしょう。 そのため、九州全土を統一する前に領土拡大を諦めたでしょう。 仮に領土併合がうまくいったとしても、薩摩には勇猛で知られた島津家がいます。 島津家と対決しているうちに、徳川家や徳川家に臣従している勢力に攻められるはずです。 その場合、黒田家に勝ち目はありません。 なお、ありえないですが、万が一に九州統一が出来たとしても天下を取る事はなかったでしょう。 九州は当時の認識からすれば辺境です。ここを足場として中国・近畿・東海地方を併合するのはかなり厳しいと思われます。 (日本史上、辺境を足がかりにして天下を取った人物はいません。 足利尊氏は九州で挙兵はしましたが、元々京都か鎌倉出身の武将で、九州挙兵以前に多くの支持者を得ていました。) 恐らく、九州統一後は天下取りではなく、その勢力を背景に徳川家と講和を行い、 徳川幕府とは距離を取った一種の独立国家的な大名になっていたでしょう。
なんで、この人物が、「大河ドラマ」に、採用されないのかと、思います。 タイトルは、「水の如く」「軍師」「如水」なんて、どうでしょう。 テーマソングは、博多出身のかたにお願いしたいです。 ドラマチックで、浮き沈みも充分ありますし、おもしろいと、思います。 天下を狙う野心は、けっこう、晩年に近くなってから、でてきたのでは、ないでしょうか。 個人的には、好きですけどねー。 天下盗りは、無理だったと思います。 警戒されすぎて、というのもありますが。 ヨーロッパとの決戦は、いくらなんでも・・・。
- 馬鹿鳥 仁左右衛門馬鹿犬(@osuwariha)
- ベストアンサー率34% (141/410)
黒田幕府は如水の生きている間にはないと思います。 豊臣秀頼を傀儡にし、自分を北条時頼のような執権的な立場とし、息子の長政に秀頼から禅譲させて幕府的な政権をを開闢させた可能性はありえます。 また重商主義をとってヨーロッパとの交易も盛んになり、東南アジアに日本人町などが多く勃興し、日本人が華僑の立場にすり替わっていたことは考えられなくもありません。中国大陸に進出することはないにしても台湾、琉球、呂宋、シャム、あたりには交易地を求めて抗争していた可能性は確かにあるでしょうね。ただ、キリスト教の禁教令は黒田政権でも行っていたでしょう。 ただ、短命政権に終わっていた可能性も高いですよ。 徳川氏を根絶することは多分なかっただろうと思いますし、その他の有力大名、島津、毛利、上杉、伊達、などもおそらく存続していたでしょうから、長政の次の代で終わっている可能性がかなり高いと思われます。如水と長政が75歳くらいまでぼけないで現役バリバリで活躍していたらというもうひとつのIFがあればのはなしですが。
- myoukan
- ベストアンサー率33% (6/18)
私は「黒田幕府」という言葉にちょっと引っかかりました。 現在から過去を振り返ってみると、主要な武家政権はすべて幕府という形をとっていますが、黒田氏がそういう政権を確立できる確率(寒っ!)は低いのではないでしょうか。 その大きなハードルは3つあると思います。 1.征夷大将軍 形式的ことですが、征夷大将軍に就任するのは源氏の棟梁という習慣が当時からあり、二代前は商人だった黒田氏ではそのような建前を作ることが難しかったのではないでしょうか。徳川家康は遊行僧だった8代前の先祖を源氏に結びつける工作を若い頃からしていたので、天下を取った後に征夷大将軍就任は比較的抵抗なく実現しました。 しかし、貧農の子だった秀吉は源氏を名乗ろうとして失敗しています。黒田氏が源氏を名乗って征夷大将軍に就任する困難さは両者の中間程度でしょうか。しかも如水にとって工作に残された期間は長くありません。 2.家臣団の組織化 私も不勉強なため詳細は説明しかねますが、関ヶ原当時も小大名にすぎなかった黒田氏に忠実で有能な譜代の家臣団と言えるものがあったかどうか疑問です。豊臣秀吉は類い希な人たらしの才で、さらに悪条件のもとで家臣団を作り上げましたが、秀吉の死後すぐに機能不全に陥ったことは周知の通りです。限られた時間で一気に膨張することは可能でも、安定した政権を維持するのは困難だと思います。 3.伊達政宗の存在 仮に関ヶ原が長引いて、如水に九州を統一して東に攻め上る態勢を作る時間があったとしましょう。徳川氏の勢力は大きく揺らぎます。となると、鳴りを潜めていた伊達政宗も黙ってはいないでしょう。黒田氏と連携して徳川を挟撃するか、それとも徳川氏と組んで黒田氏と対立するかはわかりませんが、ほぼ確実に第二次関ヶ原が起きるでしょう。そして黒田氏が勝ったとしても、奥州に地盤を持つ伊達氏を完全に滅ぼすことは難しく、一気に勝負が付かずに長生き合戦となれば圧倒的に政宗に分があります。 そんなわけで夢がなくてすみませんが、無理なんじゃないのかなあ、というのが私の結論です。
- a-koshino
- ベストアンサー率23% (102/441)
大友に勝ったとはいえ、たかだか18万石の黒田家が、西軍の諸家を投降させられたのは、関ヶ原で勝った東軍だからです。もしも独立を指向したなら、加藤清正も島津も敵になり、徳川と戦う前に潰されたでしょう。
お礼
如水自身の能力では無く後ろに家康の威光があったから九州ではうまくことが運んだだけ。黒田に下ったのではなく黒田の後ろに見える家康に下ったというわけですね。正解かも。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
1604年 如水 死亡 もうちょっと長生きしたとして、10年の間に、天下統一は辛いのではないかと。時間的に。 鎖国状態になったかどうか 家康は貿易好きだったが、鎖国になった。黒田家が商人出身だからといって、当時の東アジアの状況から同様になったのではないかと思います。
お礼
なるほど家康や如水がいくら貿易好きでも日本統治に責任を担っている幕府ならば次世代では鎖国に落ち着く。たしかに当時のキリスト教宣教師はキリシタン大名をそそのかし多くの日本人奴隷を海外に売り飛ばしていますものね。ヨーロッパのアジア進出は問答無用の搾取でしかないようでしたから、日本を支配する政権なら鎖国を選択するのが順当なのかもしれませんね。ありがとうございました。
お礼
混乱状況にならなけば黒田の芽はないわけで、もしそうなった場合はたしかに東北には伊達と上杉という雄がいますものね。前田も兵力を温存してるし(利長は野心は無いけど大兵力)毛利も本隊は温存。私は司馬遼太郎の小説の読み過ぎでした。小説では島津を潰すには如水はまず鍋島にあたらせる鍋島は負けるだろう。次に加藤をあたらせる今度は激戦の末加藤が勝つだろう。そうしたら私(如水)は扇子を打ち振りながら島津領に入る。これはおかしいよね。鍋島は家督譲ったけど直茂が健在。戦国時代の生き残り。如水の魂胆など判りきっているから言う事聞かないでしょう。加藤にしたって福島だったらともかく清正は簡単には如水の言うことを聞かないでしょう。運良く天下をとった場合、幕府の形態は無理ですか?なるほど合議制の長を維持するのも苦しいか。