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独露再保障条約(1887)についての質問
独露関係は、1878年のベルリン会議を経て冷却しているはずなのに、 1887年に再保障条約を締結できたのはなぜでしょうか? 独側には露仏接近を避けるメリットがあり、締結の動機は明確ですが、 露側に条約を結ぶ意味がどれだけあるのか…? 独墺同盟がある以上、ドイツは積極的にロシアの味方ができないでしょうし、 むしろフランスと手を組んで独墺包囲網を作った方がよいと思うのですが。
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- DieMeute
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回答No.2
この時点ではロシアの目は主にバルカンに向けられていたからでしょう。 再保障条約において、ドイツはロシアのブルガリア政策を支持し、助力する事を約束しています。また、ロシアが黒海の出入り口の防衛を決意(イスタンブールに侵攻)した場合は、ドイツは好意的中立を保ち、外交的には支援する事も約束しています。 ベルリン会議で明らかなように、殆どの国はロシアの南進政策に脅威を感じており、バルカン半島の事について、ロシアは殆ど孤立状態です。 フランスにしても、ロシアの南進政策には好意的ではありません。 バルカン半島への干渉を考えた場合、列強の殆どは敵となります。外交上のみとはいえ、味方を得る為、ドイツと手を結んだのでしょう。 戦争で勝っても、ベルリン会議で、その勝利を台無しにされた苦い経験が、味方を求めさせたのだと思います。
- a-koshino
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回答No.1
バルカン半島をめぐり、オーストリア=ハンガリーとの対立は不可避である以上、ドイツも敵に回すのは得策ではない、という計算でしょうか。
質問者
お礼
やっぱりそうですよね。 でもドイツはヴィルヘルム時代まで、バルカンに関心がないのでは? それともビスマルクも最終的にはバルカン進出を狙っており、 とりあえずは関心のないそぶりをしてたんでしょうか?
お礼
お礼が遅れてすみません。 ありがとうございました。 確かにフランスにとって、ロシアの南進は好ましくはないでしょうが、 対独復讐を狙うフランスにとっては、ロシアとの協力を優先させればいいのに、と思うのですが… それとも、フランスはアルジェリアやチュニジアに植民地を持っていることから、 やっぱり地中海方面にロシアが進出される方が困ったのでしょうか? …まさに欧州事情は複雑怪奇、ですね。