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戦後に枢軸国と言う扱いを受けなかった可能性。

ウィキペディアで枢軸国の説明の中に「9月には日独伊三国条約(以降、『枢軸条約』と表記)が結ばれた。ただし、この時点ではこの条約に加入することは枢軸国として参戦することと同じではなかった。」 とあります。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E8%BB%B8%E5%9B%BD 戦前から枢軸って言葉はあったみたいで、日本も「枢軸条約」と三国同盟の事を呼んだりしてますが、当時はその三国同盟に加わっていても枢軸国として参戦すると言う意味ではなかったとあります。 実際、ソ連は独ソ戦が始まるまでは枢軸側だったり、スペインも日本国内では枢軸扱いされていましたが、ウィキペディアの説明文には「枢軸国寄りの中立国」と言う扱いになっています。 仮に日本が三国同盟を結んでいても独ソ戦や太平洋戦争に参戦しなければ戦後に(連合国と対立したと言う意味)枢軸国と言う扱いはならなかったって事になるのでしょうか?

みんなの回答

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6877/20339)
回答No.2

参戦しなければ 当たり前のことです。 戦争という行為をしたから裁かれるのであって しなければ裁かれることはないのは当たり前。 戦争では いつも 勝利者が正義になる。 なにをしたか ではなく 勝利したか

soramimiclub
質問者

お礼

回答ありがとうございました!!

soramimiclub
質問者

補足

当時の資料を読めば、この「枢軸」って言葉その物は当時からあったのは確かですよね? 質問文にあるウィキペディアの「枢軸国」は「連合国と戦った諸国を指す言葉。」とありますが、戦前から日本が使っていた「枢軸」と言う言葉と戦後に我々が使われている「枢軸国」は戦後に連合国によって決められた言葉って事ですか?

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 日本とイタリアは第一次大戦では、それぞれ違った理由(日本は日英同盟、イタリアは1915年のロンドン条約)で「連合」、第二次大戦では「枢軸」です。  枢軸も連合も初めからあったのではなく、各国のその時の都合で、引っ付いたり離れたりして、顔ぶれは始終変わっています。  仮に日本が三国同盟を結んでいても独ソ戦や太平洋戦争に参戦しなけ「れば」戦後に(連合国と対立したと言う意味)枢軸国と言う扱いはならなかったって事になるのでしょうか?  まあ、過去が変えられ「れば」しかもウィキが信用でき「れば」のことですが、過去は変えられませんからね。    

soramimiclub
質問者

お礼

回答ありがとうございました!!

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