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生きること 在ること なぜそればかり?<暇な人だけ答えて下さい>

生きるって壮絶なんだなぁと思う。 一寸先は霧。その先も霧。手探りしても、強度が首ネッコをつかんできたりする。 絶対的なことはやっぱりあるし、すごく暴力的だったりする。 でも何で生きることだけなんだろうと素朴に疑問。 そしてどうして在ることばかりなんでしょうか。在ることって、時にあつかましい。生きることも、息をつかずに迫ってくる。 心の中だけなら無限に応えられそうなものだけど、基本的に、生きること、在ることしかない。 なぜも何もないかもしれませんが、どんな回答でも嬉しいのでよろしくお願いします。

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  • agrippa
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回答No.6

確かに 言葉が生きている。 今の教育の成果と言えるかもしれない。 自分の好きな道を探しなさい。。。 門戸は広く開けられているかに見えるが 有る意味荒野に放り出されるようなものだ。 学校をでていきなり自分にあった生き方、職業など判る分けない。 楽しくなければ長続きしない。。。 世の中楽しいことばかりじゃないし 辛いことがあると ここは私のいる場所ではないのではないか もっと違う、自分にあった場があるんじゃないか と思い始める。 それの行き着く先が、生きるって何だ。 うまく生の軌道に乗れなければそれと直面せざるを得ない。 生の軌道って何だろう。 川の流れのようにだろうか 人の世の流れは何処に向かうのだろう。。。

noname#38692
質問者

お礼

生の軌道は 川の流れのように ではないと思います。私はあの歌が嫌いだ。。。。 生の軌道は何度も自分で時間を壊さないと手に入れられない。と思う 少なくとも私は

その他の回答 (35)

noname#96295
noname#96295
回答No.16

言葉を汲み取るのは難しい。にもかかわらず mintowallさんはときどきすごい。 ひとのお別れに私が動揺したのを mintowallさんは見逃さなかったことがある。 視力が0.02だそうだから、別の感覚が発達したのかもしれない。霧の匂いとか。 私は両眼2.0なので、ストレートに相手の気を受けてその力に応じてストレートに流すしかない。 彩捕りは勉強になります。 言葉と思考が生きるって壮絶なエロスなんですね。

noname#38692
質問者

お礼

amaguappaさん..動揺したのは私でした。どうすればよかったんでしょうか。。?私は食い付き虫みたいに関係性を見てるけど、自分の動きに無頓着すぎる。だから言葉も乱暴になるんでしょう。

  • agrippa
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回答No.15

多少言葉を投げて様子を観る。。。 言葉の一字一句 それ以上でもなければ それ以下でもない。 その言葉から汲み取る。 冗長性は誤解をできるだけ取り除きたいという思いからくるが言葉はほとんど死んでいる。 行間を読むのは言葉は生きるが汲み取るのが難しい。 別にあやとりをしているつもりはなく たまたま上と下の質問のタイトルで思考が繋がっただけでした。 そういう見方もあるのかと ちょっと ドキッとしました。 壮絶 とはまたきつい。

noname#38692
質問者

お礼

私は日本人としてさまよっているつもりはなかったけど。。

noname#96295
noname#96295
回答No.14

少女(?)と熟女(?)を相手に 同時にあやとりしている人というのは そういうのも 壮絶といえば壮絶な。 > 在ることってあつかましい なんて ほんとにほんとに ああ 熟女の口から出ないものかなあ。 mintowallさん、何度目かのご縁ですが「修道院留学」は順調ですか。 病気だと、襟も汚れなくなる。フケもでなくなる。 皮膚は最大の呼吸器官と呼ばれます。ときどき、 しっかり生きていますか~と、肌にたずねてみるといいですよ。

noname#38692
質問者

お礼

amaguappaさん、ご親切にいつも、有難うございます、感謝の限りです。 「修道院留学」は、、、 、停滞といったところでしょうか。新しい試行錯誤を模索中ですが、独学の戦いになってきた?ようです。身体に尋ねることを忘れがちですね、今、amaguappaさんにカツを入れられた感じです。体調の方はどうにもなりませんが、気持ちは居座ってきました。今は休戦中です。   文にもやはり、歳がでるんですね。。

  • agrippa
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回答No.13

とてもいいものを持っている と僕は感じる。 しかし 読みが浅いと思われますよ。 というコメントはいただけないな。 君のことは知らないが 僕はそんなことのために生きているんじゃない。

noname#38692
質問者

お礼

agrippaさんは見通しがきいていいでしょうけど 私には不透明ですから 多少言葉を投げて判断する必要があったんです

  • agrippa
  • ベストアンサー率9% (5/51)
回答No.12

絡んでくるあたりが とてもいい。 生きることに 一生懸命であることが伝わってくる。 言葉が生きている。 それは事実だ。 自分の言葉でしゃべっている。

  • agrippa
  • ベストアンサー率9% (5/51)
回答No.11

謝る必要など何処にも無い。 些細なことだ。 ただ 自分の心に問えばいい。 真実の自分を。 ごまかせない自分自身の生き様を。

noname#38692
質問者

お礼

仰るとおり ごまかすために生きてきたようなものでした。

noname#38456
noname#38456
回答No.10

追記してみます。ずーといそがしかったので遅れました。 "十二縁起の法"はこちらを参照のこと。なお、有名な宗教団体のサイトだが、一番、わかりやすいので記載。他の気持ちはありません。それは、あしからず。 http://www.aleph.to/doctrine/cakra/0302.html >リラクゼーション化してるように思えます。 そんな感じですよね。でも、ちゃんと存在してます。ヨーガ系の団体が、もっとも、たいてい、宗教か、何かの団体ですが。 "クンダリーニヨーガ"で、検索してみては??・・と。 >アマチュアでも到達できるんですか? はい、私も最初は素人でした。そして、長年の修行で、それなりに進歩していますし。 想像で恐縮ですが、いまの質問者様の状態、おそらく真っ暗闇の挫折の中にいるのでは??、と思います。私の回答のように。 これは私も経験あるので、わかります。 いわゆる仏教における、善、徳の実践や、持戒(五戒)を実践してみては??・・と思います。簡単にいうと、前者は"良い行い"を周りのひとに行うこと。後者は、いわゆる、殺生、盗み、邪淫、嘘、酒を行わないこと。 これも、詳細に興味あれば、ご自分で、検索を(__) なお、またもや趣旨と違ったら、ごめんなさい。 以上

noname#38692
質問者

お礼

再度回答感謝です。 詳しく説明して頂いた上にリンクの参考まで載せて頂き。。 質問の意味は真っ暗闇な部分と、昔からの興味と両方です。 苦しみはどうしようもないものですが、構造はシンプルなものだと思っているので、そういう意味で宗教に頼ろうと思ったことはないですが、ただ、体感的に取り入れられるものは、やってみたいですし、実践するかは別として興味がある、という感じです。ヨガの方は検索させて頂きます。 お忙しい中、親身になって説明して頂き、本当に、有難うございます。

  • agrippa
  • ベストアンサー率9% (5/51)
回答No.9

濁るも澄むも解らなければ。。。 そういえばむかし 誰かが言ってた。 自分の襟に付いた垢は気が付かないって。

noname#38692
質問者

お礼

ゆっくりお返事しようと思っていたのですが。。。 こんばんは。不愉快になられたでしょうか?   文面から私の濁りがでるのだとしたら それは致し方ないですね お詫びいたします。   ただ気持ちを澄ませるためというのは読みが浅いと思われますよ。 悲しいです。

  • agrippa
  • ベストアンサー率9% (5/51)
回答No.8

気が済んだかな? それとも気が澄んだ? 澄む理由ないか。 そういう気持ちのよさも 生きることに繋がっているのかな? 誰かにぶつけたい。 やり場のなさを

noname#38692
質問者

お礼

言葉がただ それ以上でもそれ以下でもなく人に伝わるということはないのでしょうか いつも前提が足りないか 過剰すぎるか 歪んでいるか 自分から不自由になることは非常に惜しいけど だから こうして無邪気な遊びは ここでお終い

  • iye
  • ベストアンサー率41% (23/55)
回答No.7

“生きることなど?   そんなことは下僕にでもさせておけ”   ・・何かの小説の中の台詞です。 “心の中だけなら無限に応えることができる”  ・・無限を包含する有限の生、有限の存在    有限の中に秘められた無限     “0と1との間に存在する無限の間隔”       ・・確かに、似ていますよね こころの無限は“在ること”の中にしか存在しえない?   この考えはは否定しがたいか   ・・すると現実はいつも離れることがない 下僕がいない今、在ることの所属が問われる・・   ・・その答えも有限であり無限の自由?     “そればかり”にするのも自由?      “そればかりでもないでしょう”とも考える余地はあると考える自由も残されていそう ・・文章、意味分からない上に、答えになってないですね。すみません。

noname#38692
質問者

お礼

回答感謝です。 いえ、十分なお答えです。伸びをさせて頂きました。 こころの無限は在ることの中にしか存在し得ない?の所ですがーーー こころの中は おそらくーー最も深い所では 多分在ること<そのもの>で 際限なく新しくて しかも文句を言わずに完璧な動きを返してくれる そんなものかなと思います。

noname#38692
質問者

補足

失礼。お礼の後から補足を読んで下さい。 生きることなど?そんなことは下僕にでもさせておけ> ある意味での生きるということを至福と一致させるのは本当に難しいですが 恐らくこれに従ってしまうと 人間の時間は奇妙な具合に待機しているだけのものになってしまいますね。そんな具合に惨めなのが 人間なのかもしれないですが。 結局有能な下僕になること  これしかないと思うのですが 一体何が助けてくれるのか楽しみですね。少なくとも文明的なイメージでは、ない。ような気がする。

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