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大陸封鎖令とその影響
ナポレオンが大陸封鎖令を出しましたが、この後にイギリスが逆封鎖(?)したり、さらにフランスが勅令を出したりと、フランスとイギリスの攻防がよく分かりません。 何故封鎖しあったのでしょうか? また、何でイギリスとアメリカが1812年に戦争を起こすようになったのでしょうか? 大陸封鎖令と関係があるらしいのですが、どう影響したのかが分かりません。 長くてすみませんがお願いします。
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フランスの行った大陸封鎖令には、2つの目論見がありました。 1.大陸からイギリス商品を締め出し、またイギリスへの輸出を停止させる事で、イギリスに経済的打撃を与える事。 2.大陸市場における貿易の拡大。特にフランス工業製品の市場拡大と販路の確保。 つまるところフランスは、大陸からイギリスを締め出し、自国の産業と貿易を保護育成しようとしたのです。 イギリスの行ったのはフランスを海上封鎖し、その海外貿易を阻止して、経済的に打撃を与えようというものでした。これにより、フランスは植民地や外国との輸出入を妨害されます。 1812年の米英戦争は、イギリスとアメリカの利害の対立から起こりました。 当時、イギリスとフランスの戦争に参加していない国で、フランスの最大の海上貿易の相手国はアメリカでした。 イギリスの海上封鎖により、アメリカはフランスとの貿易を阻害され、経済的に打撃を被ります。 これに怒ったアメリカが、イギリスからカナダを奪いとろうしたのが、米英戦争の始まりです。 アメリカは、イギリスはフランスと戦争をしている最中で、カナダを守る余裕はないだろうと判断し戦争を仕掛けたのです。
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- tanuki4u
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反フランスの首魁がイギリスであった。 本来なれば、イギリス上陸作戦であるが、トラファルガーの海戦で負けちゃったので、兵糧攻めしようとしたのが 大陸封鎖令。 やってみたら、海外植民地から食料を輸入できるイギリスはびくともせず、却って大陸諸国が困った。経済的に北欧やロシアはイギリスに従属していたから。じゃぁ逆に海外植民地との交易を止めちゃえ!というのがイギリスの逆封鎖。ヨーロッパへの貿易船は拿捕するぜ。 すると、ヨーロッパ諸国と貿易していたアメリカが困って、米英戦争。 というような流れ