• ベストアンサー

国内での対立地域

韓国と北朝鮮の朝鮮戦争、イギリスとフランスの百年戦争が、現代も尾を引いているように、日本国内にも、歴史的な影響で不仲な地域はありますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.7

>日本国内にも、歴史的な影響で不仲な地域はありますか? 沖縄県でしようかね。 琉球王国は、有史以来歴代中国と冊封関係を結んでいましたよね。 が、1609年に薩摩藩の侵略をうけたのです。 以後、中国と薩摩双方に支配される不安定な立場になりました。 薩摩藩士は琉球王国に常駐していても、中国からの使者が来る時は「薩摩色を無くし」て対応していました。 あれから数百年。日本が明治維新を迎えた時。琉球王国は、突然混乱が起きます。 明治政府による、一方的な「琉球処分」 「薩摩が支配していたのだから、鹿児島県に編入。その後、沖縄県設置」 突然、琉球王国が崩壊したのです。 琉球王国は、独立国だとして強く抵抗。清国に対して、軍隊の派遣を要請。 残念ながら、日清戦争の結果「琉球王国の望みは、絶たれた」のです。 戦時は、唯一の国内地上戦が行われ。 戦後は、米軍占領下で琉球政府が誕生。 ※日本から沖縄に行く時は、パスポートが必要だった。 1972年には、沖縄県民の意思に反して?日本に返還。 平成の世になっても、米軍専用基地面積が一番多い。 日本も、米軍迷惑料として毎年3000億円を沖縄にプレゼント。 翁長沖縄政府主席は「日本政府の命令は全て拒否するが、毎年3000億円は貰う」と公言。 「翁長沖縄政府主席の、沖縄独立宣言のXデーは?」との、ブラックジョークを聞きました。^^; 益々、「日本VS沖縄(琉球王国)」の不仲が強くなるでしようね。 日本政府と沖縄政府の対立が、日本人と沖縄県民の対立にならない様に望みますが・・・。 今後の翁長沖縄政府主席の発言が、注目です!

その他の回答 (6)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.6

MATCHI-0719 さん、こんばんは。 今の季節は暑いですが、四国の香川県と徳島県でしょうかね。知っての通り、香川県には川がありません。だから、ため池なんかでしのいでいたんでしょうが、現在では徳島県の川から水をもらっているようです。でも、徳島県も水がなくなる場合、香川県に回す水がなくなってしまいます。水利権の問題があるらしいです。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.5

埼玉県民ですが、一般的に言われているのはさいたま市でも旧浦和市と、旧大宮市が不仲というものです。 これは県庁所在地争いから始まり、交通の要所で商業や工業が盛んだった旧大宮市と、県庁所在地というほかにはこれといって目立つものが無い旧浦和市がぶつかることが多かったといういきさつがあるのは確かで、市内に二つのJリーグチームがあるように、対立することは多かったのは確かです。 ただ、同規模の都市が隣接しているところではよくある話で、彦根と大津、高崎と前橋、八王子と立川などこういう例は結構あります。静岡県の静岡市と浜松市、長野県の長野市と松本市なども、隣接はしていませんが対立することが多いことで知られています。

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1695/4880)
回答No.4

青森県内の「南部」と「津軽」。 元亀2(1571)年5月、津軽為信が南部の石川城を襲い、南部宗主晴政の叔父石川高信を自害に追い込んだ。 その後、南部氏は内部の政争の末に高信の実子である信直が宗主に収まったが、豊臣秀吉が全国制覇したため、臣下間の争い(先制攻撃)は中央への反逆と見なされることから津軽への報復は出来なかった。 以来、津軽と南部は地理的には隣り合わせでありながら、感情的には敵対している関係が続いていた(為信が元々、南部出身で、それ故に、余計感情的に許せないとの説も)。 明治の維新政府も南部と津軽の関係を知っていて、廃藩置県のときも、南部を1つの県(岩手県)にしようとしたけど、あまりにも巨大な県ができることから、対立の歴史に目を瞑って南部の一部を津軽に分割したそうな・・・ 聞いた話しでは、20年くらい前までは、青森県庁の職員でも、南部出身者と津軽出身者は会議で会っても挨拶も適当で、会議で必要な話し以外は全く話しをしなかったらしい。 さすがに、イマドキは、「南部(津軽)は許せない、話しもしたくない」という感情剥き出しの津軽(南部)人は滅多に見ないけど、同じ圏内でありながら「南部(津軽)は別の県みたい」と、住民感情としての蟠りは残っている模様(こっちは、実際に会った青森県人から得た印象)。

  • y-y-y
  • ベストアンサー率44% (3067/6901)
回答No.3

> ・・・・現代も尾を引いているように、日本国内にも、歴史的な影響で不仲な地域はありますか? 下記のように、都道府県名と県庁所在地名を基本的に同じにした所と、別になった所が、歴史的な不仲かなと、私は思います。 都道府県名が、県庁所在地名が同じ県と、県庁所在地系が違う県。 https://www.google.co.jp/#q=%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%90%8D+%E7%9C%8C%E5%BA%81%E6%89%80%E5%9C%A8%E5%9C%B0+%E7%95%B0%E3%81%AA%E3%82%8B 明治時代の初期に、廃藩置県で県名を決めるとき、明治政府に忠誠・官軍側の所は、都道府県名と県庁所在地名を基本的に同じにした。 そして、明治政府に敵対した朝敵側の所は、都道府県名と県庁所在地名を基本的に別にして、付近の寒村等の名前にして、後世まで朝敵側だと分かる様にした。(例外あり、上記検索を参照)。 ----------------------- 明治政府の主要閣僚は、長州藩(山口市-山口県)の出身者です。(現首相の選挙区も山口県) また、明治政府に忠誠の旧藩(都道府県)出身の閣僚も多いようです。 明治政府に朝敵・反乱のトップは、会津若松藩(のちに福島県に併合)です。 東京電力の原発は、東京電力のエリア外の福島県に設置され、原発事故があっても政府の意向を汲んだ東京電力の除染・保障・復旧・汚染地帰還が遅々として進みません。 福島県の人は、事故の除染・保障・復旧・汚染地帰還が進まないのは、明治政府に敵対した朝敵側のトップの会津若松(のちに福島県に併合)だったからと内心思っていることでしょう。

  • misa-on28
  • ベストアンサー率35% (227/640)
回答No.2

戊辰戦争以来、薩摩(鹿児島)長州(山口)と会津(福島)も不仲といわれてます。 とくに薩摩の起こした西南戦争では会津士族が抜刀隊となって奮戦したとか、 1986年に萩市が会津若松市に「もう120年も経ったので」と、会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れたところ、まだ120年だろうとのことで会津若松市側から拒絶されたとか いろいろお話が伝わっています。 ただ、ここまでくると会津と薩長の不仲も一種の話題作りとしての面もあるといえるとは思います。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

やはり沖縄でしょう。米軍基地の割合が全国比で圧倒的に高く、自民党が常に敗北する地域です。