No4と5が疑問を呈していたので補足しただけです。
しかしNo7をらさらに混乱させてしまったようです。
鳥撃銃というのは、ポルトガル人が持ってきたもの、
アラビアより東の地域の植民地を中心に広く普及していたものと
説明させていただいたわけなので、
日本国内でそう呼ばれていたわけじゃないです。
鳥撃銃とされていたものが、日本では火縄銃という軍用銃として
たいへんもてはやされたという論旨だったわけですから
少し考えれば、道理がわかると思います。
私がなんで”世界史的皮肉”と言っているか、ぐらいは読んでください。
・・・全部読んですらいないとしたら論外ですよ。
フリントロック式の登場とは、当然、ヨーロッパでの話です。
その直前の文章はヨーロッパのスタンダードについて語っていて、
さらに日本でフリントロックが入ってきたのは”1860年代”と
前に言っていたわけですから、これまた当然でしょう。
もうちょっと落ち着いて読んでほしいと思います。
私の書いている回答の中に「戦国」の二文字はありませんし、
どこにも戦国時代の話は書いてません。
文意を無視してピンポントに曲解されてもこまりますね・・・。
「ではフリントロックが登場する前の銃は誕生以前から狩猟用の銃であったのでしょうか? しかも植民地で?」
この文章であなたが何を言いたいのか意味がよくわかりません。
フリントロックが登場する前はなんだったのかということですか?
まずあなたの場合、点火方式が銃の形式の全てだと考えている点が間違いです。
フリントロック式でも、マッチロック式でも、
さまざまな形態があるので、それプラスで銃口の形状(ラッパ銃、多重銃身銃)や
銃床の形状、弾の大小種類などで、用途が違ってくるのは
少しか考えれば分かると思います。
基本的に”ヨーロッパ”での軍用銃は”肩撃式”という、
ま、今の平凡な小銃と同じような銃床のものです。反動を肩で受けます。
これに対して火縄銃は頬撃式といって、頬に銃を当てて照準するものです。
ものによっては、大口径のものは股のつけにに当てて発砲するような
ものもありますが、あれはむしろ日本独特の形態。
ま、肩撃式か脚のついたマッチロック式が、フリントロック普及前の
軍用銃ということです。
ちなみに肩撃式はもう15世紀の終わりには登場していたので、
小銃の普及とほぼ前後するようなかたちです。
前回書いたように、マッチロック式というのはただの点火方式ですから
その同様の点火方式のなかに軍用もあれば狩猟用もあるし、
アラブの騎兵やムガール兵が使っていたような民族情緒あふれる
さまざまな銃があるわけです。
No7さんは書くのも読むのも落ちついて、全体を見て、考えてから、
次に進むのが良いでしょう。アドバイスですが。
お礼
申し訳ないですが、残念な事態になりつつあるので、これをもって閉めさせていただきます。私は歴史が好きです。いろんなことを知りたいのでここを利用させていただいています。知識欲があり、それに答えてくださる知識人の方々のご協力あればこそ、ここが成り立っているのではないのでしょうか。それ以外は望むところではないだけに残念と言わざるをえません(ポイントもつけづらくなり、すみませんがこのままで閉じます)。私自身こんな事態は初めてでうろたえてしまいました。 この後は、一部の回答者様が質問者となり、一部の回答者様と意見を交換されてはいかがでしょうか? これに懲りずにまたご教授願うこともあろうかと思いますが、よろしくお願いします。たくさんの回答ありがとうございました。