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戦国時代の火縄銃の威力についての質問

戦国時代に火縄銃が復旧してから合戦のあり方が革新 されたと聞きますが、実際に火縄銃の威力はどれほどのものだったのでしょうか?鉄の鎧を着た武者に対して 当時の丸い弾でしかも連発が出来ない銃で革新的効果があったと言うのが疑問に思いましたので、どなたかご存知の方がいたら教えてください。

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  • ss79
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回答No.8

戦国期の鎧は馬や牛の皮を漆などを塗り硬くしたものを重ね縫い、嚇し糸で形を整えたもので、胴などを保護する一体型の胴丸(剣道具のような)は胴丸鎧と別な呼称で呼ばれる位でした。 鉄は資源的にも高価でしたからこれを使用する事は主将クラスでなければ使用できなかったのです。 従って兵力の大部分は弓矢を防ぐ程度の鎧でした。 矢はよほど急所に命中しなければ致命傷にならず、数本の矢を受けても行動の自由を失うまでに至らなかった例も多いです。 この為、弓組の心得に、敵が引き絞った矢の先端に近ずくほどの矢頃になるまで近付いてから射るのを心得よという程でした。 鉄砲の威力はこのような鎧を貫通するので比較にならない程のダメージを与えますし、丸い鉛玉は命中の衝撃で変形し大きな傷を与えますから致命傷に近いことになります。 鉄砲の威力を試す為胴丸鎧を的に試射した話は聞いたことがありますが、命中して穴があいた鎧が現存している筈です。 前装式の鉄砲は装填し易いように口径が大きいのが普通で鉛玉も大きくなります。  有効射程は100m程とされますが実際はそれ以上まで飛びますから密集体形で接近して来る敵には誰かに命中する可能性はあります。 自分の身近でバタバタ味方が倒れた場合、前進の意欲を失う事は十分考えられます。 秀吉の朝鮮に討ち入りした時の緒戦の大勝利は鉄砲の威力による事が多かったのですが朝鮮側が鉄砲の製造を学んで対抗してきたので末期は敗北することが多かったようです。 決して世界一の軍隊ではありません。

tetujin23
質問者

お礼

ありがとうございす。 良くわかりました。やはり主将クラスでなければ粗悪 な鎧だったのですね、それならば強い殺傷能力のあるし歴史の教科書にあるとうり、鉄砲の使用は革新的なものだということがわかりました。それならば各大名が大金をはたいて高価な鉄砲を仕入れるということも納得いきます。

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  • nacam
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回答No.21

議論が、論点からかなり外れてしまっています。 caesar-x2氏の、歴史認識の全く欠如したお考えには、あきれるのを通り越して、感心してしまいます。 とりあえず、今回を最後に、caesar-x2氏のバカな発言には、回答しない事にします。 caesar-x2氏は、質問者の質問をまともに読まず、時代区分を考えずにありえない発言を行い、それを批判されると、ご自分で発言した内容とは、異なる発言を繰り返し、間違いを指摘されると、逆切れを繰り返しています。 そもそもの間違いは、5番のあなたの書き込みです。 5番をよく読んでみてください。 ご自分で言われている事がの論理が矛盾している事にきずきませんか? >日本ではそれが行われなかったので、有効に活用されていたかどうかも 含めて未知数のところがあります。 と言っておきながら、 >一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます。 と言っています。 日本では有効活用されていないのに、敵兵の60%を殺傷するのですか? 日本の戦国時代の話しですよ。 どこの部隊が、60%の死傷者を出したのですか? 関が原の時の島津隊は、それ以上の死傷者をだしていますが、あれは一般ではありません。 また、なぜ、火縄銃の世界に、フリントロック銃の実験結果を持ち込んで、火縄銃の効果を主張するのか、意味不明です。 caesar-x2氏は、 >戦国時代に最も長射程で足軽でも簡単に扱えて、名だたる大将を討ち取ることもできる、有効な武器であるということがわかりませんか? と15番で言いながら、20番では、 >織田信長も鉄砲で3度ぐらい暗殺されかかったし、武田信玄は鉄砲で狙撃されたのがもとで死んだという説もあるし、鉄砲の有効性の一つの証明じゃないか。 と言っています。 15番では、合戦の話をしているのに、20番での論拠は、暗殺の話に摺り返えられています。 暗殺用の武器しすれば、鉄砲が有用な兵器である事は、自明の理です。 それは、私が18番で述べているとうりです。 ただし、それは暗殺の場合であって、合戦の主力兵器とは別物です。 >南北戦争のころまでそういうオトロしい戦術が実際につかわれていたわけで、 南北戦争は、何年の話? 戦国時代の話に、南北戦争の事例を出して何を言いたいのか理解できません。 >小部隊の鉄砲隊が銃剣やフリントロックでないと布陣できないとすると、上杉の300名の鉄砲足軽や、武田の500名の鉄砲足軽は、立つ瀬がなくなるんじゃないの? バカに付ける薬はありませんが、ほんとうにどうしようもないですね。 鉄砲部隊は、300名でも、通常その倍の槍兵がいるから、鉄砲300名であれば、600名の槍隊がいて、約1000人の部隊になります。 雑賀等の場合は、野戦ではなく攻城戦ですから、槍隊は必要ありません。 >「フリントロック式小銃は、18世紀」と言い「1700年代では、バヨネットの発明もあり、槍兵の姿は消えます」って言ってるからなぁ・・・いったい何のことなんでしょう?・・・これがまさに支離滅裂っていうんじゃないのかなぁ。 論理が矛盾しているのは、どの点なのでしょうか? 17番のk762氏によりますと、 >フリントロックは1648年に発明され ですから、フリントロック式銃が主流になるのは、1700年代ですし、(それ以前に無かったとは言っていません)、バヨネットもそのころです。 1700年代は、18世紀ですよ。17世紀と勘違いしていませんか。 現在の2005年は、20世紀ですか?21世紀ですか? そこまで、痴呆が進んでいるようですから、病院に入院される事をお勧めします。

tetujin23
質問者

お礼

お疲れ様でした。お二人の議論大変勉強になりました とりあえず、これにて打ち止めにさしていただきます。 議論合戦楽しんで頂きましたか?疲れましたか? 私としては、歴史の教科書が示す程鉄砲が戦国期において革新的影響を与えたかどうかが知りたかったので 質問さして頂きました。結論はかなり革新的だったようですね。(この点はお二人とも意見は一致してたようで)とりあえず教えて頂いたお二人には感謝を捧げます。それでは、またの機会に...

  • caesar-x2
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回答No.20

もう書かんつもりでしたが、とことん論点がズレてますからやっぱりはっきりさせます。 結局あなた(nacam)の結論は鉄砲は革新的効果がなかったといいたいわけですか? そしてその根拠は射程が100メートル以下だからというのが理由らしい。 にもかかわらず届く範囲が5メートル以内で殺傷力も低い槍は評価するわけですねよ? この恐るべき矛盾がどうしてわからないのでしょうか・・謎です。 そして実際に鉄砲が普及したという事実は無視ですか。 重箱のすみをつつっくような書き方をしているせいか、今回の書き込みは特にあなたの過去の発言に矛盾しているだけでなく、結論が逆転すらしてますよ。ジョークなら意外と笑えます。 4発云々の話はフリントロック式の話なのになんで槍隊がでてくるのでしょうか・・・18世紀のヨーロッパの話でしょ。いきなり銃剣のないどこかの軍隊の新しい話題ですか?・・しかし(必ずしも事実とは異なるけど過去の発言で)「フリントロック式小銃は、18世紀」と言い「1700年代では、バヨネットの発明もあり、槍兵の姿は消えます」って言ってるからなぁ・・・いったい何のことなんでしょう?・・・これがまさに支離滅裂っていうんじゃないのかなぁ。 ちなみに18世紀前半なら一糸乱れぬ歩行と一斉射撃の時代でしょう。号令で動作するから4発なんて絶対無理。18世紀後半から各個射撃や散兵の時代になるわけですが、横隊戦術では野戦で横隊同士が向かい合って何分どころか、何時間も撃ちあったんですよ。 なんと南北戦争のころまでそういうオトロしい戦術が実際につかわれていたわけで、フレデリックスバーグは特に(最悪のケースとして)有名ですが、とにかく横隊の銃撃戦が2分で終わるなんてことはないね。知らないようだけど。 「戦場では、敵が突撃してきたら、射撃後槍隊の後ろに下がりますので、1分程度射撃すれば、十分です」とあなたが言うのなら、やっぱり鉄砲は効果的なんじゃないの? 矛盾ですね。 いったいどっちなんだと強くいいたいですね。それが結論になるでしょう。 ヨーロッパ人にはできるるけど、日本人にはできなかったというのでしょうか? 先頭にいる鉄砲足軽は突撃した敵の槍足軽に黙って切り殺されたというのでしょうか?ちがうでしょ。 それとも4発なら十分で2発なら不十分というのが、あなたの判断なのでしょうか? もしそうならなんで4発なら十分になるのか説明がほしいね。 ちなみにフリントロック式でも銃撃だけで突撃を止められる保証はありませんよ。隊形戦術の場合は突撃が止まるかどうか士気が大きく影響するし、有名な老近衛隊の突撃を止めた英近衛旅団の銃撃は拡張横隊をつかったもので、側面攻撃をしたからです。それはつまり火線を交差させるということであって、英軍の薄い2列横隊のファイアーパワーを最大限に生かす隊形としてムーアが考えたもの。 小部隊の布陣ってあまりに非論理的なので理解できませんでした。やっぱり人間、論理的であると想定しているものだから。 しかし小部隊の鉄砲隊が銃剣やフリントロックでないと布陣できないとすると、上杉の300名の鉄砲足軽や、武田の500名の鉄砲足軽は、立つ瀬がなくなるんじゃないの? 雑賀衆や根来衆だって、小部隊で活動しますけど・・もっと少ない鉄砲足軽隊もあるよね。 伺いますが、鉄砲足軽は何人ぐらいじゃないと配置を許されないのでしょうか? 貧乏大名は我慢してその数に達するまで火縄銃を買い貯めなければいけなんですね!たとえば石つぶて隊の代わりに二十名程度の鉄砲足軽を出そうとすると、危ないから駄目と制止されるわけですね。 何て厳しいルールなのでしょうか。知らなかった。きっと戦国大名も全員知らなかったと思いますよ。そんなルール。 あんまりオバかな話なんでスルーしようと思ったけど・・痴呆症? そうかあなたは認知症なんですか、お大事に。 弓の殺傷力が高くないとは日本弓道界に対する侮辱に近いね。ハハハ。弓こそ鎌倉武士の主力武器ですよ。 何で60メートルか知らないようだから教えると、遠的競技の射距離が60メートルなんだよ。もっと遠くも飛ぶけど、狙ってあてられるのは名手だけ。定義上の有効射程は命中率50%の距離を言うから、有効射程はもう少し短いけどね。 1メートルの距離で発砲したらどうなります? 確実に命中するでしょ。その距離で命中したら、まず致命傷ですよ。死ぬじゃないか。たとえ話とはいえ、もっとイマジネーションを働かせてもらわないと困るね。槍では相対しても殺せるかどうかはわからんけど、銃なら引き金をひけばいいだけで、武術も腕力も経験も関係ない。そういうことを私は何度も何度もいってますよね。やっぱり認知症だからかな~何度言ってもわからない。 大将って別に総大将って意味じゃないよ。武名の誉れある武将って意味です。繰り返しになるけどそういう 強い人も、鉄砲なら雑兵でも討ち取れるってことを言っているわけ。論旨ってものがあるんだから。流れを読めよ流れを。 しかし織田信長も鉄砲で3度ぐらい暗殺されかかったし、武田信玄は鉄砲で狙撃されたのがもとで死んだという説もあるし、鉄砲の有効性の一つの証明じゃないか。 「合戦に勝利する事と、大将を討ち取る事とは別の事」って書いているけど論旨と全然関係ないね。ついでか? 書いてることはそりゃそうだろ。 痴呆症に健忘症ですか、そりゃあ大変ですね。こっちは一人でスカッシュしてる感じ。一方的に点がはいって困ってる。 それからk762さん、私が火縄銃と書いているのはポルトガル人がアジア各地に伝えたタイプ(つまり頬撃ち式)のことです。 もちろんマッチロック式には肩撃ち式もありますよね。

noname#21649
noname#21649
回答No.19

弓について記載があったから関係情報を。 やじりは.石(黒曜石)とか鉄とか青銅器です。これは日常狩に使うものです。鉄とか青銅器ですとなくさなければ再利用できます。つまり.財産として相続されます。 問題が、羽。「硬い雄のニワトリの尾の羽を使う」と聞いています。1年くらいで使えなくなってしまうし、1羽のニワトリから1本か2本しか作れないのです。 それで. ニワトリを専用に放し飼い(狭いおりの中では羽が痛む)する場所を用意する 弓の練習用に専用の場所を用意する(矢尻をなくしたら大変) なんて事が行われていました。地名で残っている地区もあります。

  • nacam
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回答No.18

caesar-x2氏は、よほどおかしな考え方をする人ですね。 >現実には、ま、4発ぐらいなら熟練兵が最大限に急いだら到達可能ですが、それでも込め矢を使わないで火薬を吹き込むんで装填が不十分で射程も短くなるし、照準もほとんどしないで撃つことになります。 当時の銃の射程距離が、100メートル程度、そこを進撃するのにかかる時間は? 1分もかからないのです。 最良の条件で、1分で4発程度しか発射できませんから、銃身の過熱は、全く問題ありません。 当然2分も続ける事はありません。 戦場では、敵が突撃してきたら、射撃後槍隊の後ろに下がりますので、1分程度射撃すれば、十分です。 ただし、障害物の後ろから射撃する場合は、この限りではありません。 障害物が、敵の突撃を阻止していますから、じっくり射撃ができます。 陣地戦の場合と、野戦の場合を混同しないようにご注意ください。 また、ここでは、当初から最良の条件で話しています。 銃に弾を装填するのに、慣れていないと1分に1発程度しか発射できませんから、当初の火縄銃で、1分2発にしても、熟練者で、できるかどうかの数値です。 非熟練者の話をしても、しかたないですから。 >直接火種をつけちゃえばいいわけで、実際、フィリピンなどでは直接火のついた棒を火門に差し込む方式の銃が第二次世界大戦まで使用されていたという事実もあるくらい。 ハンドガンあげくは、はんしという種類の武器が有る事は知っています。 しかし、caesar-x2氏は、なぜ火蓋が有るのかを理解されていないようですね。 火縄の火による暴発を恐れての事です。 密集体系で火薬の暴発がどのような事態になるか、全く理解しておられません。 よくまあ、戦国時代の火縄銃で、十字砲火を提案したり、小部隊(100人程度)の部隊を提案したり、あげくは、ハンドガンを使用しろって言っていますが、笑っちゃいます。 >「小部隊での布陣」って何のこと? caesar-x2氏は、自分で書いた事を忘れる事が得意のようですね。caesar-x氏の時から。 ご自分の発言をよく読みなおす事をお勧めします。 痴呆症の気がありますよ。 9番を読み直しなさい。 >弓の殺傷範囲も長くても60メートルぐらい。ただし弓は射手に十分な鍛練が必要ですし、 日本の弓にしろ、西洋の長弓にしろ、射程距離は、当時の火縄銃に遜色ありません。 どこから60メートルの数字がでてくるのですか? また、射撃速度は、1分間に六射以上可能でした。 ただ、熟練者であること、殺傷力があまり高くない事から、数をそろえる事はできませんでした。 敵が1メートルに迫った時、火縄銃でどのように対処するのか、知りたいところです。 >名だたる大将を討ち取ることもできる、有効な武器であるということがわかりませんか? 敵の大将さえ殺せる武器が、有力兵器であるなら、暗殺が最も効果的でしょう。 合戦に勝利する事と、大将を討ち取る事とは別の事です。 大阪夏の陣で、真田幸村が、家康を討ち取ったとしても、豊臣家の滅亡は防げなかったでしょう。 (幸村に殺されていたという説も有りますが、それは置いておいて) caesar-x2氏の言っている事は、支離滅裂です。 ご自分が書かれた文章を読み直してください。 それで、整合がとれていると考えるなら、キレちゃった専門家です。 だいたい、過去のcaesar-x氏の時も、その傾向が有りましたが、2にバージョンアップされたのかどうか知りませんが、さらに健忘症にみがきがかかっていますよ。

  • k762
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回答No.17

横から失礼します。 >フリントロック式と火縄銃(マッチロック式)の違いは点火方式と、肩撃ちと頬撃ちの違いだけ 確かに点火方式は違いますが、射撃方式についてはそう云えません。 1606年のアルケビースの絵は肩撃の火縄式です。 転輪式発火装置は1500年頃から作られていますが、発火が不確実で 軍用としては採用されていません。 ただ騎士用のカービン及び拳銃には採用されています。 なぜなら馬上では火縄は使い難いのと、発火しない場合の予備の銃を 鞍に付けて携行できたからです。2~3梃は普通で6梃の拳銃を付けた 鞍まであります。 フリントロックは1648年に発明され、これ以後火縄式に変わり整備されます。 グスタフ=アドルフの部隊は紙製薬包(早合ですね)の発明により優位に たったのです。 西洋の騎士の鎧は通常の武器に極めて有効で、死傷率は低く白兵に置ける威力は絶大でした。 しかし鉄砲の普及により騎士は市民兵に簡単に打ち倒される様になり、その価値を無くしたのです。 (騎士同士の戦闘では相手の馬を狙い、人には銃口を向けませんでした) 我が国ではそれまで約1割程度の死傷者で片が付いた戦闘が、鉄砲で 敵を崩して攻勢をとり、負傷した敵兵の首を取る様な戦闘が多くなり 1戦闘に於ける死傷者が急増しています。 また日本に伝来した火縄銃は1543年に発明された引鉄を有している点 から、当時の最新式です。

  • gangae
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回答No.16

NO.7さん質問コーナーの武田騎馬隊ですが、以前 教えてgooにこんな質問がありました。ご参考までに

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1744903
  • caesar-x2
  • ベストアンサー率46% (251/542)
回答No.15

私からnacamさんへのアドバイスですが、もう諦めたらどうですか。間違いに間違いを塗り固めてますよ。 フリントロック式で4発も5発も撃つのは限界の理論値で、現実には、ま、4発ぐらいなら熟練兵が最大限に急いだら到達可能ですが、それでも込め矢を使わないで火薬を吹き込むんで装填が不十分で射程も短くなるし、照準もほとんどしないで撃つことになります。 5発って1発12秒ですよ。人間は疲労してあとになるほど遅くなるわけだから、最初の一発は10秒程度で発砲しないとそのタイムに収まりません。そんなの超人技ですよ、2分も続けられません。 銃身も加熱して持てなくなるし、12発以上連続して撃つと暴発しやすくなって危険でもあります。 時間がかかるのはカートリッジを噛み切って弾を銃口にいれて、込め矢で押し込むところなんです。 この動作が意外と手間がかかるし、焦ると銃剣で手を切ったり、弾を落としたりする。込め矢を使わない方法やレギュレーションに従わないベテランのやり方だから一般では行わないし、そもそも密集隊形で装填動作をやるから周りの味方も邪魔になる。 あなたは発射動作の説明ですか、だいたいあってるけど、込め矢で押し込むという動作を軽視しすぎですね。それだけで5秒ぐらいはかかるし。規則道理だと、押し込んだあと込め矢も定位置に戻す動作も加わるし。それに照準するまえにコックももう一段階引かなくては発砲できません。コックは二段階になっていて、一回目は垂直に二回目は手前に傾斜させる状態つまり板バネが最大限の状態で止まるようになってます。 火縄銃よりもフリントロック式が二倍も装填動作が速いなんて実験結果、聞いたこともありません。ということは偉大なヨーロッパ人は石森正太郎に先駆けて19世紀に加速装置を開発したということですね!(?) ま、冗談はさておき、日本の火縄銃ってのは無数のタイプがありまして、早く撃てる工夫がされれいるものも多いんです。火ばさみのところなんか、急いでるなら直接火種をつけちゃえばいいわけで、実際、フィリピンなどでは直接火のついた棒を火門に差し込む方式の銃が第二次世界大戦まで使用されていたという事実もあるくらい。 あなたのあげた例もパイク兵のような使い方じゃないじゃないですか。 言及しているのは鉄砲隊の前で槍を地面に突き刺して防御隊形をとったかどうかだよ。 方陣くんだ?論点が違うよ。 ナポレオンには大砲があったし、ほとんどの場合は兵力が多いか、少なくとも相手の一部を無力化している。これを説明すると長くなるからしないけど、ま、防御側有利ということがようやく理解したようなのでよしとしましょう。ちなみに攻撃側が勝利できないといっているわけではないのであしからず。 あとね、攻撃側が戦機や攻撃方法を決めることができるって簡単に言えるわけでもないんだなこれが。 防御側が相手に戦闘の開始時期や攻撃方法を限定させることも可能です。敵の退路に陣地をしけばそれは敵に攻撃を強いることになるし、険しい高地に陣地を置けば、攻撃方向は限定できるし、相手の補給が絶たれたりつきかけていればおのずから戦闘の時期は推測できる。また逆に攻撃側が敵が戦う場所を限定することもできる。ま、この点長くは説明しませんが、あなたの考えは杓子定規すぎますね。 「小部隊での布陣」って何のこと? どっちにしろヨーロッパの話でしょ、それは。何について言及したいのかわかりませんが、銃剣の登場については別に異議はなかったように思うけど・・。銃剣の有効性については指摘しましたが。 最後に槍の殺傷範囲はどのくらいあります? 刀は? 弓の殺傷範囲も長くても60メートルぐらい。ただし弓は射手に十分な鍛練が必要ですし、簡単に扱える武器でないわけです。 ということは、戦国時代に最も長射程で足軽でも簡単に扱えて、名だたる大将を討ち取ることもできる、有効な武器であるということがわかりませんか? たとえその有効性が現代基準からみて低かったとしても、当時の選択肢のなかでベストのものといえるでしょう。 銃の強みは、射手が武道家である必要もない、女子供でも操作をおぼえさえすれば使えるし、敵を殺せるというところです。 実際に島原の乱では子供や女も火縄銃を使って戦ったことでしられますし、銃弾が当たりさえすれば人体は脆いので十分な殺傷力を発揮するんです。 100メートル程度(実際はもっと短いが)っていうけど、その距離が重要でしょう。 逆にいえばそれが1メートルだって敵兵を殺せるのならそれはそれで効果があるわけで、なぜその距離を軽視するのかわかりませんね。 100メートル程度では役に立たんというなら、あなたは弓矢も役に立たんと考えてるんでしょうか。 飛び道具が嫌いなのでしょうか・・どっちにしろ非現実的ですね。 こっちは損害を受けずに敵を倒せるわけだから、悪いことはなんもないじゃないの。 別に鉄砲隊だけで味方が編成されているわけじゃないので、接近したら別の隊が白兵戦をするだけでしょう。 日本の城わりを見てもわかりますが、防ぐところと攻めるところがあるわけで、馬防柵だって出撃口があるわけですよ。長篠の戦いの合戦絵巻は江戸時代につくられたものですが、それ見てみなさいよ。足軽や騎馬武者が後ろで待機してるから。前列がつっかえて、後ろが出られないーなんてコントみたいなことはないよ。 十字砲火というのは当時はなかった言葉だけどわかりやすいかなと思って使ったのですが、弓矢にしろなんんにしろ集中させるとそうなるわけで、19世紀までなかったなんてことはないでしょう。だって鶴翼の陣形なんてのはそういう形なわけで、自然になりますから。 あとこの前言い忘れたけど、「2列ないし3列縦隊」ってありえないよね。横隊の間違いでしょう。 まさか縦列じゃないと思うので当然、横列の縦隊なんでしょうが、縦隊ってのは横隊がパンケーキみたいに重なったものなので、9~15列ぐらいないと縦隊とはいえない。

tetujin23
質問者

お礼

お二人の論戦ずっと拝見さして頂きました。大変 勉強になるとは思いますが、あまりに専門的過ぎて ついていけなくなりました。この気に銃やら戦術をよく勉強しようと思います。 とりあえず明日PM5時以降に質問を締め切ろうと 思いますのでそれまで論戦があればこの場でお続け下さい。(老婆心ながらあまり熱くなり過ぎないで下さいね)それでは、失礼致します。

  • nacam
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回答No.14

caesar-x2氏は、caesar-x氏と同じ人物なのでしようか? まずフリントロック式銃は、たんに火打石を使った銃をさすのではありません。 その事を理解しておく必要があります。 フリントロック式銃の発明により、銃の発射速度が大幅に向上します。 それまでの毎分2発程度に対し、4発から5発の発射が可能になります。 これが、フリントロック式銃が使われた理由です。 これは、火縄の処理が不要になった事、火蓋の開け閉めが簡略化された事によります。 さらに火縄が外部に露出しないため、天候に左右される事も減りました。 フリントロック式銃とは、単に火打石を使った銃を指すのではありません。 一般的なフリントロック式小銃は肩に銃床をあてて撃つ)の違いしかないわけで、性能にはそれほど差はでません。 だから大差ないといったわけです。 わかりました? マッチロック式とフリントロック式での、発射までの過程を全く無視した考えは、いったいどこからでてくるのでしょうか? 理解に苦しみます。 マッチロック式の場合、一発弾を撃つと、火鋏を起こし火縄を外すし、銃口から弾薬押し込み、戻して火蓋を開けて、点火薬を入れ、火蓋を閉め、火縄を火鋏に入れ、火蓋を開けて、照準し発射します。 フリントロック式の場合、コックを起こし、点火薬を入れ、火蓋を閉め、銃口より弾薬を押し込み、照準して発射します。 点火が、火縄を使うか火打石を使うかの差ではなく、発射作業の差こそが重要なのです。 この作業の低減により、2倍近い発射速度が、戦場では重要になるのが、ご理解されていないようですね。 ホイールロック銃を主力火器として採用したのは、グスタフアドルフのスエーデン軍が有名です。 30年戦争で、グスタフアドルフ軍が活躍したのは、ホイールロック式銃のおかげとも言われています。 ホイールロック式銃の欠点として、高価で故障が多かったため、採用しなかった国が多い事は事実ですが。 >日本では長槍兵がパイク兵のように使われたという実際例は、私が知る限りありません 勉強不足です。 安土桃山時代以降、長槍足軽隊による方陣に近い陣形が採用されています。 関が原の戦いのころが、最も利用されています。 ただ、日本の場合、槍による突撃は少なく、槍隊による払いや叩き合いが中心ですが。 すでに関が原の時代は、刀による切りあいなどは、少なくなっています。 これらを考案したのは、信長とも言われていますので、それ以前は、槍隊による方陣はありませんが。 戦いにおいて、防御側は、有利な地形を選ぶ事ができる分有利である事は否定しませんが、攻撃側は、戦機や攻撃方法を選べる利点が有ります。 戦機や攻撃方法を利用して勝利を得ることも多々あります。 ナポレオンの戦いなどは、ほとんどそうですし、カンネーの戦い、アンカラの戦い、などなど、むしろこちらの方が多いでしょう。 日本でも、桶狭間の戦いや、富士川の戦い、一の谷の戦いなどなど、いくらでもあります。 また、caesar-x2氏が言われる小部隊での布陣ですが、100人単位の小部隊布陣ができるようになるのは、フリントロック式銃による銃の発射速度の向上と、バヨネットの発明による槍兵の消滅により、全兵を銃兵として運用できるようになってからです。 また、火縄銃によるクロスファイアーが効果的としている9番ですが、射程100m程度で、斜め前方を撃った場合、有効射程は、ますます短くなり、ましてV字型に布陣していたら、後方の出番は有りません。 小銃による十字砲火ができるようになるのは、19世紀以降です。 ナポレオンの時代でさえ、大砲以外は不可能でした。 それを火縄銃でおこなうなど、狂気の沙汰です。

noname#21649
noname#21649
回答No.13

>はかなり度胸がいることではないでしょうか ですから.既に有るように刀も携帯します。せいぜい1発か2発しか打てませんから。 >戦国時代の戦いでも未だ名乗りをあげてから戦っていたのですか? ご指摘の通りです。

  • caesar-x2
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回答No.12

何で突撃を阻止することに論点を置くのか意図わかりませんせんが、戦闘は一分でかたがつくわけでなく、銃撃の一回や二回で終わるものでもありません。 火縄銃の力だけで勝つなんて言ってませんし、そもそもそんなことが可能なはずもありません。 諸兵科協同で戦うことは当然でしょう。 それに私は火縄銃が主力武器だなんて書いてませんよ・・。よく読んでくださいね。 それと突撃を阻止できるかどうかは、相手の兵力とこちらの兵力、双方の士気と訓練によるので、武器が鉄砲だろうが槍だろうが、一概には言えません。当然の話ですが。 それから日本では長槍兵がパイク兵のように使われたという実際例は、私が知る限りありません。 鉄砲普及率日本一の島津家では、大将も含めてほとんどの兵士が鉄砲を持っていたわけですが、同時に刀も持っていました。 島津軍の場合は最初に銃撃してその後は抜刀して戦うという方法をとっていました。 日本のほかの大名家の鉄砲足軽も脇差をもっていますが、基本的に日本ではヨーロッパのような隊形戦術は用いていなかったので、突撃を受けた場合に隊列を維持する必要性はありません。 つまりは後退するということです。 白兵戦ではほとんど死傷しないかわりに一進一退があるわけで、大きな会戦をよく調べるとそういう話がいっぱいでてきます。 こういうことからも、防げるか防げないかだけを論じるのは、全くの机上の空論です。 現実的には撃退できなくても隊伍を減らせれば十分に効果はあるわけで、次の白兵戦で防御側に有利に働くのは目にみえています。 防御側有利の原則というのは常識です。 それが弓矢であれ、鉄砲であれ、特殊な状況以外では、会戦において防御側のほうが有利に決まってます。 クレーシーやアジャンクール、耳川、三方ヶ原、長篠の戦いなど戦例に共通するのは、敵を誘い出して攻撃にしむけた側が大勝しているということです。 戦闘とはそういうものなんです。 しかしそれと火縄銃の有効性とは全く次元の異なる話ですよ。 フリントロック式に関するあなたの説明は間違っています。 「点火方式の違い」って意味わかります? フリントロックは、火打石が当たり金にあたってだした火花が点火薬に着火して火門から装薬に達するわけですが、マッチロックは火縄の火種が直接点火薬に接触して着火するもの。 あなたは順々に発明されたと思い込んでいるようですが、実際にはホイールロックは1500年ごろにレオナルド・ダビンチの設計図が残っていることでも有名なくらいで、同時期に存在していたのです。 そしてホイールロックとスナップハンスとフリントロックとミュケレットロックはすべて火打石を使うという共通点があって、基本的に同じ武器といえるものです。 これらは進化したというよりも、各国の職人各人がそれぞれ工夫を凝らして、信頼性と効率を追求して生まれた結果なのです。 だから逆にいうと火打石を使うというアイデアは日本に火縄銃が伝わる頃にはあったということです。 ポルトガル人がもっていた頬撃ち銃は旧式なものだったわけです。 彼らは日本より先にインドや中国で売りました。 日本で爆発的に普及したのは他国が比較的平和だったのに比べ、日本では戦国時代真っ最中だったことが大きいでしょうし、日本の鋳造精錬技術の高さがあったからでもあります。 ちなみにホイールロックは構造が余りに複雑で製造が高価になるのでそもそも普及しませんでした。 マッチロックは1400年頃から、単に火種を押し付けるだけなわけですから、はっきりいえば鉄砲が発明された時点からありましたが、これはバネもつかわず構造がきわめて単純なのでずーーーと使用されつづけたわけです。 スナップハンスとフリントロックとミュケレットロック当たり金を採用しているとうことで同じですが、板バネを使っているという特徴もあるので、引き金が堅くバネの反動もあるので、火縄銃よりも照準はやや難しくなります。 このため19世紀になると狙撃銃にはダブルトリガー方式というものが登場します。これは一つめのトリガーを引いた後、軽く二つ目のトリガーに触れただけでコックが落ちるというものです。 そのぶん構造は複雑になりますが、いくつかの国が採用しました。 意外に思われるかもしれませんが、施線式のアイデアなんかも16世紀には登場していて、後装式もかなり早い段階で登場していました。 産業革命やパーカッション式や、そして金属製実包の改良までかなり時間がかかりましたが、全ての発想はルネッサンスの終わりごろにはあったものだったのです。 それを実現するのに時間がかかっただけです。 また銃の性能は専ら銃身(口径、丈、溝の有無)と発射薬(量、純度、黒色か無煙か)、弾丸(形状、ゆがみがあると弾道はカーブする)によります。 フリントロックと火縄銃では、点火方式(説明しましたよね)と銃床(火縄銃は頬のあてて撃つ、一般的なフリントロック式小銃は肩に銃床をあてて撃つ)の違いしかないわけで、性能にはそれほど差はでません。 だから大差ないといったわけです。 わかりました? 銃剣は実はさほど有効な武器ではないのです。 あれは純然たる心理兵器にすぎません。 隊列に騎馬の突入を防ぐという目的が当初のものですが、細く折れやすい金属でできていたので格闘戦ではあまり役に立ちませんでした。 実際にナポレオン戦争時の銃剣による死傷者は全体の1%にも満たないものであることが、当時の調査報告によってわかっています。 ちなみにいうとこの時代を何度も引き合いにだすのは、軍事や戦闘の結果を科学的に解析するようになった最初の時代だからです。 あと火線防御?も何もないでしょう。「弾丸は綿でできているわけではない」という言葉がありますが、射程が短くキルゾーンが狭くてもその範囲で殺せれば十分。 あなたは突破を完全に防ぐことにこだわりすぎです。戦闘はそんなに簡単じゃないです。 それから皮肉って???? あなた自分でも > 通常鉄砲隊は、2列ないし3列縦隊で使用されます。 って言ってませんか? 一列に並べた長さよりも短ければ、当然、その範囲に収まるような隊形で配置されているとわかりませんでしたか。 1000人があなたの言うように二列三列になるとしたら何メートルになるの。 ま、たとえ話だから詳しくいってもしょうがないとおもって軽く済ませたのですが・・。

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