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先日、NHKで火縄銃伝来の地は、種子島ではなかったと?
日本の鉄砲伝来について、興味を持っている者ですが、先日、NHKの放送で、日本の火縄銃伝来の地は、種子島ではなく別の場所だったと言うような内容の放送が、されていたように聞きました。残念ながら見逃しました。どなたかご覧になられた方がいらしゃいましたら、だいたいの要約を教えていただけないでしょうか。
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No. 1 の方に近い内容ですが。 1.種子島に来たのはポルトガルの船ではなく、王直という倭寇(といっても中国人ですが)の船で、それにポルトガル人が乗っていた 2.残っている戦国時代の鉄炮を検証すると構造が違うものが混在しており、全てが種子島の系統ではなく、複数の伝播経路があったのではないか 3.種子島への渡来は1543年ではなく、1542年とする説がある が主な点と思います。なお、放送では出て来ませんでしたが 4.1542年頃のヨーロッパでは新式銃が普及し始めており、渡来した銃は旧式のものなのでヨーロッパ製ではなく東南アジアで製造されたものであろう 5.中国経由でもっと早く鉄炮(てっはう)は伝来していたが、鉄製ではなく銅銃であった。武田信玄や上杉謙信はこれを入手していたと思われる。信玄が鉄炮を軽視し、子の武田勝頼が長篠の戦いで信長に敗れるのは、銅銃を知っていて強力な武器と思わなかったためであろう 6.元寇でモンゴル軍が使用した「てっはう」は銃ではなく、中に鉄屑を詰めて殺傷力の高い爆雷である などの説があるようです。
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- alpha123
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9月23日のですね。 鉄砲伝来が「ポルトガル人の乗った中国の船(倭冦)」(高校教科書)というのは定説です。 場所は種子島というのが伝統的理解でしたが、異論もありました。 「ほぼ同時期に複数の場所に」というのが最新の研究らしいです。 冥王星は太陽系惑星じゃないですし(いずれ教科書の表記も変わる) 人間の染色体の数も教育の時期によって違いましたけど。
お礼
ご回答ありがとうございます。
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