• 締切済み

女はいつから「強く」なったのか?

女性の変化を語るとき  「昔は」女は弱かったが、「今は」女が強くなった このような形がほぼ定型として語られますよね。 男は弱くなったとは言っても女は弱くなったとは言いません。 つまりこれは、社会に男は強くて、女が弱い という概念があるからこそ成り立つパラドックスですよね。 こういう表現は一体いつから使われていたのでしょうか? 今は女性差別が解消されたからこういう風に言うのだと思っていまし たが 女性の社会進出が全然進んでいない時代の小説にもこういう表現があるんですよね。 紀元前の石造にも「今時の若者はだらしない・・・」というような 事が書いてあったと聞きます。 つまり、男女の力関係もこれと同じで 常に女性が「昔は弱かったけど今は強い」ものとして扱われつつ 歴史を重ねてきたのではないかという事です。 それとも女性が本当に弱者としてだけ扱われていた時代が あったのでしょうか。

みんなの回答

  • dpdr4
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回答No.11

>それとも共働きで男性のみに家事負担が多いという事ですか? もしそうならこれは男性差別に当たらないのでしょうか? 男性が率先して家事をする傾向が強いです。 女性がしようとすると、男性が無理にでも家事をさせません。 しても、女性は男性の手伝い役に回ります。 >それとも女性が尻に敷く光景としてある種微笑ましく捉えられているのでしょうか。 社会的風潮にそれもあります。 中国語の「気管支炎」=「気管炎」と「妻が管理を厳しくする」=「妻管厳」がほぼ同じ発音で、「あなたは気管支炎ですね。」=「尻に敷かれていますね。」と言う掛詞、冗談が流行しています。 また、尻に敷かれても、女性がどんなわがままでも、それを受け止めるのが男性の役目みたいな美学が存在します。 ゆえに差別は存在しません。 中国の古典文学、数百年前か千数百年前か忘れましたが、以下のような笑い話があります。つまり、中国の漢民族は古代から以下のような日本とは異なる男女観があったようです。 また、フランスの有る社会学者が言っていましたが、中国人はユーモアセンスが強い。ユーモアとは自分を笑い飛ばす文化習性。ゆえに、下記は古典は風刺ですが、それを寛容しながらの風刺です。こうではいけないと言う批判的古典ではないと思われます。 「妻は何もしない。旦那が何でもしていた。洗濯、炊事、裁縫・・・。妻はしかも、自分のことまで旦那任せだった。ある日旦那は遠方に出かける用事ができた、旦那は妻がその数日間生活できるかどうか心配だったので、あらかじめ、妻を風呂にいれ、服を着替えさせた。そして、大きな真ん中に穴の開いたパンを焼いた。そして、パンを妻の首から掛け、椅子から立って歩かなくても食事ができるように準備して、これでよしと出かけた。 しかし、旦那が帰ってくると妻は死んでいた。よく見ると首から掛けていたパンは、前だけきれいに食べられて、ほとんどが残っていた。妻は首にかかったパンを回転ささずに餓死したようだ。」 ジェンダーロールは逆転していません。

  • kigurumi
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回答No.10

ヨーロッパではキリスト教が人々の基本の価値観ですので、キリスト教は、「男の頭は神で、女の頭は男」だと教育しているので、男尊女卑は根強かったんですね。 日本史を書いたキリスト教徒のフロイスは、日本に来たとき、茶店の店員ですら、時間があるとき本を読んでいたのを見て、日本女性の識字率の高さにびっくりしたようです。 ひらがなは女性が発明したということを知らなかったようです。 フロイスが来た頃は、日本女性は自分の産んだ子供が育てられない場合、その子を海に沈めて殺していたことにびっくりしたそうです。 産む権利・育てなければ殺す権利をその当時の日本女性が持っていたということを知らなかったようです。 現代の部落問題・差別問題。 この発祥はいつ頃なのか、探った人がいます。 http://www.amazon.co.jp/%E7%95%B0%E5%BD%A2%E3%81%AE%E7%8E%8B%E6%A8%A9-%E7%B6%B2%E9%87%8E-%E5%96%84%E5%BD%A6/dp/4582760104/ref=pd_sim_b_4/503-0843059-9409513 【江戸時代以降「非人」などと呼ばれて差別の対象とされてきた人々は、古代にあっては人と異界の狭間に暮らす「人ならぬ存在」すなわち「聖なる存在」であったと著者は喝破します。農業以外の生業に携わり、特殊な技能によって社会に関わった彼らは、天皇直属の隷属民であり、その他の人々とは異なる存在と観念されつつもけして差別される者ではありませんでした。 ところが鎌倉時代後期からこのような様相は変化をはじめ、「非人」たちは差別・侮蔑の対象へと貶められるようになります。】 そして、後にやはり差別されるようになった女性集団。 http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AE%E9%9D%9E%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%81%8A%E5%A5%B3-%E7%B6%B2%E9%87%8E-%E5%96%84%E5%BD%A6/dp/4061596942/ref=sr_1_16/503-0843059-9409513?ie=UTF8&s=books&qid=1179326660&sr=1-16 【中世に於ける非人や遊女の実態、女性の地位などを再認識する上での好著と言える。それは学校教育によって教えられてきたものとはかなり違っていて、非人や遊女は必ずしも蔑視の対象ではなかったのであるが、社会の転換に伴う価値観の変化により、賤視・差別を生み出したとするのが著者の主張である。】 こういう話を聞くと、卑弥呼・アマテラス伝説が実在したと思えてきます。 特殊な女性たちの集団。 一般の女性とは違うと思いますが、一般の女性とははっきりと一線をきしていたのか。 http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-amino-chuseiniokeru-joseino-tabi.htm 【遊女、傀儡子、白拍子、巫女をはじめ、鮎売の桂女、魚貝売で供御人となった女性たち、大原女といわれた炭薪売の女性、精進物を売る女性、綿・小袖などを売る女商人などが広く活動しており、それは十五世紀の『七十一番職人歌合』に登場する多様な女性の商人までつながっていくが、これについても別の機会に詳述した(21)ので、ここでは繰り返さない。  ただ、こうした女性たちの中の主だった人々が、中世前期には天皇・神仏の直属民-供御人・神人・寄人となっており、女性自身が世俗をこえた存在として遍歴、行商を行っていたのである。】 ということで、やはり特殊な女性集団がいたように思えます。 昔はミカドすら物言いができないほどの権力を持つ天と地の間に座す存在の女性がいたようですし、相続権ももっていたし、金貸しだしたのも女性だったし、工芸を編み出したのも女性。 それが売春婦とし、天と地の間どころか地の下に落とされてしまった。 女性たちから相続権は奪われ、参政権は奪われた。 公娼として蔑まれるまでになった。 中国からやってきた律令制度により、一方では縛られることがなくなったが、やがて差別を国がやるようになったとき、彼らは特権を奪われ、落とされてしまったようなんですね。 近代の女性解放。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%A7%A3%E6%94%BE%E9%81%8B%E5%8B%95 国の推進政策と反発政策により振り回されている。 日本で女性が政治への参入を訴えるようになってから、女性は強くなったと言われるようになったのではないかと思います。 しかも、その意味は【「あの」女性が】とせせら笑うような冷笑に似た皮肉が混ざっていたと思えます。 キリスト教社会では、女性に学問を与えなかったそうなんですね。 女性はバカであると教えていた。 そんなことは無いと言った人には、男性と女性の成績の差を見せたそうです。 教育を受けさせてもらえないので、当然女性は成績が悪い。 教育を受けたものしか解けない問題を女性に解かせて、女性はバカであるとしたわけです。 フェアーではありませんが、これが男性至上主義のキリスト教の社会でした。 レディーファースト。 「女性は弱者だから守ってあげましょう」という意味で使われているように思え、一件女性に優しそうですが、実は差別が含まれている。 だから女性は「レディーファースト」と言われて道を譲られた場合は、それはバカにされたことになるんですね。 知らぬが花 という言葉もありますね。 女性は半額とかよくありますが、あれは女性を優遇しているのではなく、それにつられて男性が集まってくるという現象を利用した商売。 女性を半額にすることで、しないときより儲けが多くなるって現象を利用しているだけ。 私が知る限り、女性は弱者だと扱われたことは無いと思います。 日本は差別が無いと言われていますが、現実は差別がありますよね。 どうして発生したのか、ほとんどの人はその理由を知らないと思います。 女性の選挙権がどうしてなかったのか、どうして相続権を持たなかったのか。 調べていくと差別に行き当たる。 それも国家の政策の結果となると・・・・・。

  • dpdr4
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回答No.9

>本当にその辺にいる女でも、女だと言うだけで男性より崇拝されていたのでしょうか? そうですよ。日本で生活しているとなかなか想像しがたいでしょうが、たとえば私は長い間中国に居ますが、中国の上海の地元の男性、もしくは上海より南の地域の男性はいまだに母系社会の名残のある社会、家庭で生活しています。 東北三省の男性は全く違って完全に父系社会です。男が強いんです。 しかし、上海や江蘇省の農耕で長い間暮らしてきた漢民族は東北の狩で暮らしてきた漢民族と違い、母系社会の面影が色濃く残っています。 中国人の友人の家の中では完全にお母さんの鶴の一言で物事を決める風潮もあるんです。家庭内では女性に尊厳を与えている。これも、女性崇拝の名残と思います。 男が、女のために料理して女性を守るんです。共働きなら、夫婦が帰ってきて、旦那は奥さんにテレビ見させて、男が夕食を準備して皿を洗うんです。奥さんも気が向けば、ちょっとは手伝います。 あと奥さんが妊娠したら旦那は身の回りの世話を全部します。子煩悩どころの騒ぎではない。まさに女性崇拝の名残です。 >女性は~という表現の仕方はやはり「男性の方が強い」という価値観が強い上成り立つ事ではないでしょうか? そのとおり。女性崇拝とは、女性は弱いと分かっている。しかし、生命を生み出す素晴らしい存在だから保護しようと言う考えです。 ところが、男性中心社会で女性はほったらかしになり、自分のことを自分でしなければいけなくなった。しかも挙句の果てに男性の世話まで見なきゃいけなくなり、単純な男性(私も男性)は、その女性の上にあぐらをかき、男が偉いなんて言いだした。 そうしたら、弱者の女性は、反感を覚えて男性に対して梯子をはずす。男性はだらしなく醜態をさらす。「今の男性は・・・」と言われる。 つまり、男性が強いのは当たり前で、それより弱い女性が男性より能力をつけたから女性が「強い」なんて言われているんです。 能力というのは生きる術。本来、一人では生きていけず、男性に頼ってしか生きられなかった女性が、ひとり立ちしようとするんですから・・・。そのとき、女性に梯子をはずされたら、女性の上にあぐらかいて家事を一切しなかった男性は醜態をさらす・・・。いつの間にか弱くなっていたんです・・・。女性なしでは生きられない男性になっていたんです。 本来、狩をして自分獲物を食っていた頃は男性が一人で生きられたんですよ!!!女性は、生命継続の崇拝保護対象だった・・・。 「強い」の定義ですが、本来身体能力的に強いのは男性。 だから、原始の男性は尊い女性を守ったんです。仏「像」が強いですか?強くないでも仏教徒は大切に守るでしょ。それと同じ。 一度、韓国(日本より徹底した男性主義社会)と南方中国を旅行されてみるといいです。カルチャーショック受けますよ。男が女のためにエプロンして台所に立つ中国と、自分の方が近いのに、スイッチをわざと入れず、妻に来させてスイッチを入れさす韓国と・・・。

kisaty
質問者

お礼

興味深い話をありがとうございます。 その地域では男女のジェンダーロールが完全に逆転する (男が家事育児、女が仕事)なのでしょうか? それとも共働きで男性のみに家事負担が多いという事ですか? もしそうならこれは男性差別に当たらないのでしょうか? それとも女性が尻に敷く光景としてある種微笑ましく捉えられているのでしょうか。

  • dpdr4
  • ベストアンサー率24% (33/133)
回答No.8

No1.2です。 精神的に封建社会においても女性が強かったというのはそうかもしれません。またそれに対して、最近の男はという発言もあったかもしれません。 あと、興味深いのは、人類社会の成り立ち。父系社会と母系社会の成り立ちの話。 日本の与謝野さんだったと思います。 高校の教科書に載っていた文章で『原始女性は太陽だった』。古代において女性は、明らかに崇拝崇高の生命を生む神聖な存在だった。 母系社会として人類の社会はスタートし、私有財産化が進むにつれて父系社会(男中心)の社会に移行したときに女性と男性の地位が逆転した。妾や一夫多妻制ができ、そのころから女性は反感を持ち始め、精神的に強くなったのではないでしょうか?

kisaty
質問者

お礼

>『原始女性は太陽だった』 卑弥呼のようなシャーマンが崇拝されても 本当にその辺にいる女でも、女だと言うだけで 男性より崇拝されていたのでしょうか? 例えばイエス・キリストに対して 昔、男性は神の息子だったなんて言い方するでしょうか? キリストはキリストであり、男性というカテゴリではないですよね。 女性は~という表現の仕方は やはり「男性の方が強い」という価値観が強い 上成り立つ事ではないでしょうか? 本当に皆が女性の方が強いのだと思っていたら 「女性は」強いというカギカッコはいらないと思うのです。 私は、女性の方が精神的に強いという説自体が懐疑的ですね。 もちろん男性の方が強いという説も。 心が強いか弱いかは個人の問題だと思うからです

  • aran62
  • ベストアンサー率16% (485/2911)
回答No.7

ノスタルジアです。 年寄りが言う・・・今の若者は・・・ 戦前の時代を生きた人の 昔はよかった、戦前は・・・ 今の子供は不幸だよな、俺たちの子供のころは・・・ これと同じレベルのもって行き方です。 江戸時代の女性は不幸だった様な話は以下の文献でどこかに飛んでいきます。 いつの時代にも女は強かった。特に日本は銭を女が握る国ですから余計に男はそう思い続けるのかもしれません。

参考URL:
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode22.html
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.6

女性という性を持つものが弱者という考え方自体が近代以降のものなのです。 それ以前は、弱者は女性・男性というカテゴリーでは区別できる状態ではありませんでした。 まず現代の「社会的に男が強く、女が弱い」というのは、多分に経済的な問題です。そのために、弱者救済とか社会福祉という政策は法律は、多分に経済的困窮をどうするかという点に重きがおかれていました。具体的に言うと、男女雇用機会均等法(能力が同じなら同じだけ稼げる)、母子家庭に対する各種手当て(父子家庭に比べて優遇)、年金の主婦(3号被保険者)に対する免除などが上げられます。 日本を含め、資本主義的な近代社会が出来る前は、男女の別なく社会人つまり大人として義務と権利が認められた人は少数しか存在しませんでした。 どのような人が社会人かというと、武士であれば役職についた人、町人であれば、大店の主人か番頭、百姓でいえば地主や庄屋などです。海外であれば、大体が兵士としての義務を全うできるもの(健康だけでなく、具足や兵器も自分でそろえる財力が必要です)がその基準でした。 つまり男性でも、武士の次男坊や店の店員・小作人などは、今で言う社会人ではなかったのです。 さてその上で女性の地位ですが、日本に関して言うと、女性にも相続の権利が認められていました。武士であれば、婿養子をもらって家を存続するのが定法ですが、婿が財産を好き勝手に使用できなかったようです。この辺は大店・庄屋でも同じで、女性といえども、小作人よりもずっと強い権利(そして義務)を負うことができたのです。離婚に関しても、女性の持参金は女性のお金でしたから、旦那が使いすぎて持参金を返還することが出来なければ、旦那が望んでも離婚できないという事実もありました。 奴隷制の国などはもっとあからさまです。男女の別なく、奴隷は人の所有物ですから、家畜やペットと同じ扱いです。 つまり、男女の差の優劣を論じる前の段階であり、強者は権利と保護の義務を同時に負っていたのです。 昔は、家長制などもあり、たしかに女性が冷遇されているように見えますが、優遇されているはずの家長(主人・長男)は、家族を守る義務を負ってかなり責任が重かったはずです。 昔は今のような保険制度や社会福祉制度はありませんから、すべて自分の才覚で家族を守り、お店ならすべての従業員を守ったり、庄屋なら飢饉に備えたりしていたのです。(もちろん悪辣なものもいたはずですが) この重責に耐えることが出来る女性であれば、実際に家長の座についていましたし、現代でも旅館の女将などの制度を見れば、その責任の重さは理解されると思います。もちろん女性の性的な役割(子供を生むこと)から見ればこのような義務を果たせた女性は少数だったことは事実です。 結局、男女の差で差別を論じるられるようになったのは、近代以降、家族とか地域社会という属性から離れた個人が経済的な自立を獲得した以降の話なのです。資本主義は、それまでの家族制度が持っていたセイフティネット(社会福祉力)を全部壊して、個人としての能力で優劣を測る尺度に変えたのです。個人の優劣を測るためには、その他の前提はすべて平等でなければなりません。つまり基本的には経済的に不利な人には、最低限の手を差し伸べてスタートするということです。無論、女性の子供を生み育てるという役割から考えれば、旧来の家族的価値観にしばられやすく、いわゆる社会進出が遅れたことは否定しませんし、その取り組みの最中であることも理解しています。 しかし私は「女性弱者論」には重大な欠陥があると感じています。それは女性が男性と同等の権利を有した時に払うべき義務という観点がすっぽり抜け落ちているということです。これは経済的に生活が成り立つために必要な経済力を提供するということではありません。社会に対して、社会の機能をキチンと回すために必要な義務を負うということです。 女性が弱いというのは、社会のセイフティーネットが無い時代はある意味当たり前です。しかし、その当時でも男性が単純に強かったのではなく、義務を遂行できる人だけが、強者で且つ責任者だったのです。

kisaty
質問者

お礼

すみません 何か誤解されているのかもしれません

noname#38456
noname#38456
回答No.5

外題では改正男女雇用機会均等法等の思考からでは、と思います。 でも、例えば、宗教的に考えてみるとめ・・ 仏陀釈迦無二が、女性の出家修行者を受け入れることに際し、「真理の法が、1000年続くものが、500年しか、続かなくなる」とありました。 ちなみに、この釈迦無二生誕500後に、キリスト教が、発祥しましたが。 率直な感想は皆様と同じで、女が強くなったのではなく、男が、弱くなっただけ?・・の支持派です。 質問の趣旨と違うかもしれません、それはお詫びします。 以上

  • kensan39
  • ベストアンサー率13% (227/1648)
回答No.4

平和なのに女性が強いのは今の民主国家のせいです 昔から女性は戦争で男が死ぬことが多い時だけ強くなります 今でも世界中で女性は人間扱いされていません 特別な国だけです 日本はアメリカのおかげなのです アメリカは男女同権の珍しい国です この国の人が日本国憲法を作りましたから男女同権になりました

  • pocorino
  • ベストアンサー率39% (214/544)
回答No.3

社会制度的には飛鳥時代から終戦前までの家督制度や明治から終戦前までの選挙権など、女性は冷遇されていたと思います。 ただし、人間同士・夫婦間の関係としては、女性も発言権は強い場合もあったでしょう。 歴史上の有名人物にも女性がいますから、その様子からも推測できます。 清少納言、紫式部、日野冨子、樋口一葉・・・ 社会制度としても、男女の役割を明確に分けていたと考えればある程度までは納得できます。(良いとはいえませんが) と、いうことで、女性が本当に弱者としてだけ扱われていた時代=女性がつらいだけの生活を送っていた時代はないといえます。

kisaty
質問者

お礼

助成が実際に辛かったかどうかではなく ジェンダーの概念上の疑問なんです その時代にも女性の強さを言うものを表現する時は やはり逆説的なテンプレートがあったのか、という疑問です。

  • dpdr4
  • ベストアンサー率24% (33/133)
回答No.2

補足; 強者である男性が弱者である、女性に挑んでも、強くなったとは言われない。 世の中男女だけで「男強女弱」構図しかなんだから、男性はそれ以上挑んでいくものがない。 女性は逆に挑んでいく強者しか居なかった。自分より弱い立場がないんだから・・・。 だから>男は弱くなったとは言っても女は弱くなったとは言いません。

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