(1)そんなこと言っ【たって】、しかたないよ。
(2)有名な歌手【ったって】、海外じゃ全く無名さ。
(3)彼女が美人【だって】、僕は結婚するつもりはない。
(4)私【だって】怒りますよ。
(1)~(3)は接続助詞「たって」とその変形で、(4)は副助詞とされます。
どれも紛らわしいのですが、特に(3)と(4)はともに体言につき、「であっても」の意味を表すので、違いを見いだすのは難しいかもしれません。
理屈によって演繹的に理解することも不可能ではありませんが、実にややこしい。
ただ、理屈抜きに便利な方法が二つあります。
いずれも、中学校の口語文法の参考書に載っていることを利用します。
その1)
「接続助詞を用いた文は、接続詞を使って二文に書き換えられる。」
ということを利用します。「暑いから服を脱ごう。→暑い。だから服を脱ごう。」といったことです。
(3)彼女が美人【だって】、僕は結婚するつもりはない。
これは、接続詞を使って次のように書き換えられます。
「彼女は美人だ。ただし(あるいは「しかし」)、僕は結婚するつもりはない。」
このことを理屈っぽく言えば、従属節(S→P)についていれば(あるいは「ついているから」)接続助詞、なります。また、その従属節は接続部であり、よって接続詞によって二文に分けられるのだということもいえます。
それに対し、
(4)私【だって】怒りますよ。
これは、「私だ。ただし(あるいは「しかし」)怒りますよ。」
とはできません。
これも理屈で言えば、「私だって」は、接続語ではない、ということになります。(下記参照)
その2)
「副助詞は、省略しても文が成立しる。」
ということを利用します。
(3)彼女が美人【だって】、僕は結婚するつもりはない。
これは、「だって」を省略すると、
「彼女が美人、僕は結婚するつもりはない。」
となって文が成立しません。
それに対して、
(4)私【だって】怒りますよ。
これは「だって」を省略しても、
「私(、)怒りますよ。」
となり、文が成立します。
つまりこの「私だって」は、成分としては主語なのです。
”S→P(V)”としての関係(「怒る」という述語(動詞)の主体は
「私」であるということ)を考えれば、「私だって」は「私が(は…これは副助詞ですが、この場合は題目語ではなく主語を示します。)」と同じ成分なのです。なお、次のような場合の「だって」は主語ではなく、連用修飾語を作ります。いずれにしろ接続語(部)ではないありません。
「君と一緒なら、地の底【だって】行くよ。」
→「君と一緒なら、地の底(、)行くよ。」
「どこ【だって】行くさ。」のように、省略すると文をなさない(あるいは、全く原文と意味が変わる)例外もあるにはありますが。
もっと学校文法的に説明しやすい(わかりやすいというより、すっきり説明がつくという意味)のは、「でも」を使った文の識別法かもしれません。それは、場を改めてお話ししたいと思います。