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古典 係助詞について
文中に『ぞ、なむ、や、か』があるとき文末は連体形になり、『こそ』があるとき文末は已然形になりますよね。 しかしおなじ係助詞の『は、も』は文末が変わったりしないのでしょうか? また『文末』というのは、例えばどんなに長い文章でも『。』で終わるところが連体形になったり已然形になったりするのですか? (結びが省略されている場合を除いて)
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「係助詞(掛助詞)」は直前の「語または文節」を承け、そして更にその「語または文節」+「係助詞」が下方の「文末または従文末」に掛って行きます。これを仮に「係表現」と呼んでおきます。 「夢醒(さ)む」という平叙文を、「係表現」にすると 「ゆめぞさむる」「ゆめやさむる」「ゆめこそさむれ」「ゆめはさむれど」「ゆめもさめば」 のようになります。 「言ひ出(い)づ」の「係表現」は 「いひぞいづる」「いひやいづる」「いひこそいづれ」「いひはいづれど」「いひもいでば」 のようになります。 「花なり」の「係表現」は 「はなにぞある」「はなにやある」「はなにこそあれ」「はなにはあれど」「はなにもあらば」 のようになります。 「落つ」の「係表現」は 「おちぞする」「おちやする」「おちこそすれ」「おちはすれど」「おちもこそせば」 のようになります。 >>おなじ係助詞の『は、も』は文末が(連体形や已然形に)変わったりしないのでしょうか? 正しい古文では、変わったりしません(中世以後になると終止形のほとんどが連体形に乗っ取られるので、係り結びの法則もあやしくなってきます)。もし文末が連体形・終止形になっていたら読み落としの可能性がありますから、上へもどって『ぞ、なむ、や、か』を見つけ出してください、『は、も』の係り先はそれ以前の従文にあります。『は、も』は必ずしも文末に呼応するものではありません。 なお古典文法の説明に符号「、」「。」とか「句読点」とかいう用語をつかって説明するのはタブーです。まっとうな古典の文は、もともと句読点も括弧も濁点もありません。活字印刷の古典にあるのは、その本を出版校訂した人たちが付けたものです。 >>文中に『ぞ、なむ、や、か』があるとき文末は、例えどんなに長い文章でも連体形になったり已然形になったりするのですか? (結びが省略されている場合を除いて) 基本的にはその通りです。これらの係助詞の文末に及ぼす統辞力がいかに強いかを思い知らされます。 なお『こそ』は強調の「係表現」ですが、その強調の余りの強さが反って否定・打消しをきわただせてしまいます。 「夢こそ醒むれ」 そりゃあ夢は醒めましたよ! 確かに夢は醒めました!! でもね…… 「いひこそいづれ」 そりゃあ言い出しはしましたよ! 確かに言い出しはしました!! でもね…… 「はなにこそあれ」 そりゃあこれは花ですよ! 確かに花に違いありません!! でもね…… 「おちこそすれ」 ええ、ええ、私は落ちました。もちろん否定はしませんよ!! ですが……
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- itaitatk
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しかしおなじ係助詞の『は、も』は文末が変わったりしないのでしょうか? →あまり記憶にないですがこれはあまり見たことがない気がします。 また『文末』というのは、例えばどんなに長い文章でも『。』で終わるところが連体形になったり已然形になったりするのですか? (結びが省略されている場合を除いて) →違いますね。。とは限らないです。 たとえば文章の並列などを句読点でつながれている場合違います