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劣等感の正体と対処
「劣等感」とはなんなのでしょうか。 あまりにも漠然としてましてすみません。 日常的に流していますけども、ちょっと考えてみますと、かなり複雑な構図があるようです。 例えば、いろいろとまずあげてみます。 学歴、容姿、身体障害 精神障害、家の経済状態、肉親の素行、前科、ニート歴、性癖の異常、知的水準、交友関係、恋愛歴、離婚歴、運動神経、趣味など(まだまだいろいろあるでしょう) これから、なぜ「劣等感」の元になるのでしょうね。 まず、これは自発的なものでなく、社会評価的なものなんだろうかと思いました。例えば自分が頭がよくないのが分かっている(気がする)そうすると、それを素直に出したとき、あるいは、ある状況でさらしてしまったとき、周りの蔑みとか排除の雰囲気がいかにも読み取れる、そんなことがあって潜在意識に居座り、「劣等感」として定着したものなのか。あるいは、社会評価的以前に、自分自身に「ああかっこよくない」と思わせるものがあって、定着したのか、その複合体であるのか。もし、世間の反応が主要な理由ったら、こういう個人に負の感情を定着させる「世間」というのは、どういう存在なのでしょう?疑問になってしまいます。世間は悪そのものなのか? そして、解決方法にはどういうものがあるのでしょうか。「頭悪い、やった \(^o^)/見て見て」状態にすればいいのでしょうか?どうしても世間のリアクションが肯定的でなければならないのでしょうか?
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例えば日常生活の中のある時、自分と他者の間に「差異」を発見するとします。他者(差異の一方)が周囲に「人気」があり、自分(もう一方)がそうではなかった場合、自分は「人気のある方」を自動的に望むようになりますが、「劣等感」が生じる場合は自動的にそれが価値判断の「基準」となっていると思います。この「基準」は大抵の場合、「人気があること」「評価があること」を指していると思います。結果的にこの「基準」は「それが普通」という位置づけになり、それよりも下であるなら全て「劣等」という位置づけになってしまいます。この場合、必ずしも内容を伴っているわけでもなく、周りからの「人気」や「評価」によって測られていると思います。そして、内発的な発現理由としては「周囲の関心を得たい」という感情が根本的な理由だと思います。 「周囲の関心を得たい」という感情自体は正常なものだと思います。ただ、その欲求を満足させる方向性が、その方向へ行ってしまったということだと思います。「人気」や「評価」は流動的なものなので、これを頼りに生きていくことは、不安定だし、自分自身でもいつも不安にならざるをえないと思います。 何故こんなことになってしまったのか、について考えてみましたが、以下はあくまで憶測となります。最初に天と地を「上下」と分別するくらいの単純なものから、測量的「上下」(米の量などを測量する。数値は上とか多い方がいいに決まっているという考えが発生する。)の「概念」が生じ、人間に対しても身分制度などで「上下」を規定するようになり、「上」である方がその人にとっても、その人に関わる人にとっても生活上有利なものに成り得るので、やはり「世間」の関心は「より上」を求めていったのだと思います。そうした「世間」に関わる「個人」にとっての「周囲の関心を得たい」という欲求は、これのせいで満たされないという側面が生じ、「そのままの自分では価値がない」などの思いが発生することになってしまうのだと思います。 では、「上を目指す欲求を持てない人」や「打開しようがない人」は、この「下」の位置を甘んじて耐えていかなければならないのでしょうか。これは単に「下」というだけではなく、「周りからあまり関心を持たれない位置で耐えていかなければならない」という意味でもあります。 しかし別の見方をすれば、世間の動向に流されている人たちの心は平安であるはずがなく、そういう意味では「不幸な人」と言うことも出来ます。ではどうすればよいかというと、「劣等感」を持っているなら、その人は自分自身も周りに対して「世間」と同じように個人を「上下」で区分けしていると考えます。なぜなら、これらは連鎖反応だと思うからです。このことについての対処方法で、自分が最も賢明だと思うことは、「自分自身が他者の存在に対して優劣で判定することを止める」ことです。別の言い方をすると、「自分が有利となる人を賛美し、そうでない人に対して排除または無関心であることを止める」べきではないのかと思います。このことを実行したなら、自分の考えではその人の中の「劣等感」は消えてしまうはずだと考えます。
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劣等感にも正当なものとおかしなものがあります。正当なものは劣等性を正しく認識してきちんと対応が取れるものです。おかしなというのは劣等性を認識せずに本当は感じだけで劣等ではないという風にごまかすような劣等感です。後者の劣等感は傲慢さの裏返しのようなもので周囲にも本人にも大きな害をもたらします。したがって解決方法というのもずいぶん変ると思います。
お礼
劣等感と対峙しようとせず、ごまかしてポーズを作るということは、外にも内にも結局はマイナスに作用するようですね。
- ruehas
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こんにちは。 「劣等感」といいますのは、自分が自分自身に対しての評価を行うことによって発生するものです。ですから、残念ながらこればかりは全て自分の責任であり、決して世間のせいではありません。 お話を伺っていますと、自分に劣等感が発生するのは世間が何かと冷たいからだということですが、ですが、お気持ちは私も身に沁みて良く分かりますが、これは明らかに質問者さんが世間に振り回されている証拠です。自分にとって世間が悪であるというのは、それは世間というのは決して自分の思い通りにはならないものだからです。ですから、こればかりはどうにもなりませんし、文句を付けたところで問題の解決にはなりません。大切なことは、世間に振り回されないということです。そのためには、自分がもっとしっかりとした考えを持つしかありません。大丈夫ですよ、経験を積めば自然と身に付きますから。 さて、「劣等感」とは自分の評価に対して発生するものです。このうち、自分が他人よりも劣っていることが事実であるならば、それは冷静に受け入れるべきです。では、それが事実とは異なり、自分が勝手にそう思い込んでしまっているのであるならば、考え方を変える必要があります。 考え方を変えるといってもそう簡単ではありませんが、 例えば 「ことあるごとに自分に言い聞かせる」とか 「別な方法で何らかの自信を付ける」 あるいは、自分を認めてくれる友人を持つというのはたいへん心強いことです。友達はくれぐれも大切にしましょう。 では、最後に対処方法ですが、劣等感に対処するためには、それを「向上心」の変えるのが一番です。 劣等感をお持ちになるということは、取りも直さずそれは、質問者さんには自分の欠点をきちんと受け入れる能力があるということです。自分に欠点のあることが事実であるならば、それは克服しなければなりません。劣等感とは、その原動力として発生するものです。これを使わない手はありません。 劣等感を持たないひとは自分の欠点を受け入れることのできないひとです。そして、自分は何時も正しいと思っていますから進歩向上しません。このように、質問者さんに劣等感を持たせている廻りの大半は、実際にはそれほど優秀なひとたちではありません。世間に振り回されてはならないというのはこうゆうことですね。五年、十年経ってみて下さい、質問者さんは必ず何人かを追い越していることになるはずです。 決して焦ってはなりません。 ひとつ良い事を教えます。 劣等感を持つ人は、たいへん執念深いひとです。すぐに忘れてしなうならば劣等感なんてものは発生しません。ですから、世間が悪いとは言いながら、何処かで必ずせっせと努力をしています。これは、本当に執念深いからです。
お礼
世間との兼ね合いや心の持ちよう、認めてくれる人のありがたさ、全く納得いたしました。しかし、世間が当てにならないということは、劣等感を持たない人、向上心のないくせに、人のあらを探していい気になっている人がいるということが理由のひとつだとしたら、何ともやりきれない世間です。こういうつまらないものに惑わされないで、執念深く対決していくつもりです。
- bluechip05
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人間なら誰でも自己を確立するために、他人と自分を区別すると思うのですが、区別する際にその区別する方法が、自分が他人より上か他人より下かで区別するのがいちばん簡単な区別の方法だと思います。 自分と他人の比較を行った場合、自分が優位だと自分が感じたらそれはプライドになり、劣ると感じた時に劣等感になるんだと思います。 プライドと劣等感はセットなのだと思うので、劣等感を感じる以上にプライドを育てればバランスが取れるのではないでしょうか。
お礼
マイナスにはプラスで中和する、それが一番いい方策かもしれないですね。納得しました。
お礼
やはり、社会的評価が決定要因であるというご意見で、#2の方とはやや大局的な印象です。しかし、やっぱりおっしゃる通り、そうなんだろうなという感想を持ちました。「上」というものが貴重なのだ絶対善なのだと言う感覚が生じる理由についてもよく分かりませいた。 お答えの >「自分が有利となる人を賛美し、そうでない人に対して排除または無関心であることを止める」 これはたいへんいい心構えでしょうね。言うはやすしなんですが、価値観を多様化するという姿勢は大事だです。