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日本書紀に出てくる干支
私の母は今日本書紀を読んでいます。 その中でどうしても分からない箇所があるらしく、 私を通して、ここで質問させていただきます。 日本書紀の中で「干支 ○月」の表現が何度か出てきます。 この干支の意味するのは○月の別表現なのでしょうか?? それとも、違うものを意味するのでしょうか?? それから、もう1点。 同じような表記が何回か出てくるのですが、 それに法則性のようなものはあるのでしょうか?? 少しずつ、干支がずれていっているようなのですが。 よろしくお願いします。
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大抵は年を表していると思います。「建国の日」に絡んで「神武天皇」の「樫原即位」の最初を現代語で引用しておきます。 『辛酉(かのととり)の年春一月一日、天皇は樫原宮にご即位になった。この年を天皇の元年とする。』(宇治谷孟著「全現代語訳日本書紀」より) この日を現在の太陽暦に換算すると、二月十一日になるわけです。ご存じのとおり、「辛酉」の年は六十年ごとに繰り返しやってきます(還暦)。その中のどの「辛酉」なのかは分かりません。元東京大学東京天文台(現国立天文台)教授だった青木信仰氏は「当時どのような暦法が用いられていたか、全く分からないので、この年月日は信用出来ない」という意味のことを「時と暦」という著書の中に書いています。 >少しずつ、干支がずれていっているようなのですが。 何がどうずれているのか、質問の意味が分かりませんが、何か年表のような物でもあるのですか。なお、干支で「日」を表すこともありました。「継体天皇」の一節に「十四日」に(みずのととり)という読み仮名が付けてある例がありました。多分、原本(もとより原本は無く写本)に注釈がついていたものと思われます。
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- OKAT
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No.2です。 「大抵は年を表している」と言いましたが、原文を眺めてみると「月日」を表しているのが、多数ですね。 六月乙未朔丁巳 は六月(乙未)朔(ついたち・丁巳) というように。これも「神武天皇」の項です。 失礼しました。
- sssinyaaa
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はじめは陰陽道で言うところの「十干十二支(じっかんじゅうにし)」による「年」を表わしているものと思っていました。 が、 ↓によると、日付けも十干十二支で表わしたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80#.E7.B4.80.E5.B9.B4.E3.83.BB.E6.9A.A6.E5.B9.B4.E3.81.AE.E6.A7.8B.E6.88.90 ついでに↓も十干十二支の参考にしてください。 http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/onyo/eto12/etoHyo.html http://www.pot.co.jp/gotogi/17-3.html
お礼
早速のご回答、ありがとうございます。 大変参考になるページでした。