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意識を殺す、あるいは忘却するには

深刻、かつ終わりのない悩みがあります。 抽象性があった方が、余計な齟齬がないと思い、あえて「何が」とはいいませんが、私は、普段皆が当たり前に、かつ無意識的に行っている行為が普通にできなくなってしまっているのです。 その原因としては、完全な「固執」なんです。完全にメンタル的なもので、自分ではどうしようもなくて。 本当に、皆は当たり前に行っていて、かつ出来ないと日常でもすごく困る行為なんですよ。特に学生の私としては。 その行為、について、他の人よりも少し経験が足りずに劣っていたので、いろいろ探求し、いろいろなことを知ってしまいました。 しかし、それが仇となって、今となっては、「意識」するだけで、それが最大の桎梏になっている有様なんです。 だから、意識さえしなければいいといえば、それまでなんですが、異常に固執しすぎてて、もう、自分ではどうしようもないんです。 距離を置いてみようとも考えました。しかし、1日に必ず人間は何度も無意識的だったり、自動的だったりもしますが、行う行為であるがために、どうしても意識されてしまうんです。 しかも、毎日そのことばかりが意識されてしまって、完全に病気ですね。 しかも、なかなか理解されない症状で、結局のところ、自分との戦いになるので。 極端ですが、わかりやすく、喩えるなら、歌っている人の息を吸う仕草ばかりが気になって、曲そのものがわからないくらいに固執してしまっているという感じだと思います。そして、それが常に離れないと。 ただ、唯一異なるのなら、そのケースなら、曲を暫く聴かなければいいんです。私の場合はそうはいかなくて。 故におそらく、それに打ち勝つ方法は、固執するできなくなるようみ。要は意識というものを「殺す」ということです。 殺す=「忘れる」ということなんですが。 どうか、アドバイスなんかあれば下さい!! 藁にも縋る思いです!!

みんなの回答

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.4

意識してしまうことと同時にできないような何かを見つけて、それをやってみることです。 たとえば、全速力で走ってみたり、計算ドリルをやってみたり、などでしょうか。 あるいは、考えたことをメモ書きするのもいいかもしれませんよ。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.3

意識という駄々っ子をかついだままでも、山には登ればます。もし、登れないとしたら、本当は、山に登りたくないんだと思います。 吸う息が気になっても歌は歌えます。もし、歌えないとしたら、本当は、歌を歌いたくないんだと思います。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.2

仏教でいうところの「執着心」に苦しんでるようですね。 まあ心理学ではないのですが、自分の思い通りにならない心を統御して、外部の刺激を「やり過ごす」技術というのは存在します。 具体的には、座禅を組んだり瞑想をするわけですが、自己流で取り組んでも失敗する確率が高いので、しかるべき師を探すか、良書を読んで学ぶとよいでしょう。 参考: http://www.amazon.co.jp/gp/search?index=blended&field-keywords=%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%A4%A9%E9%A2%A8&tag2=jp-ja-google-22&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_gw/503-7690621-0018310?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%94%92%89B%91T%8Et&Go.x=11&Go.y=10

noname#32495
noname#32495
回答No.1

一種の「強迫」性を伴っている心の動きですよね。 ご参考になるかわかりませんが、私の体験談です。 実はかなりの「潔癖恐怖症」に襲われました。一昨年後半から、去年の夏くらいまで続いていましたが、それがあるときから潮が引くようにひいていき、年末くらいにはほぼ、完全に直りました。それまで私は結構ずぼらだったんです。手を洗うべきときも洗わないうがいもしないという(歯だけは虫歯が嫌なのでよく磨いてましたが)、必要のない潔癖主義は排除している生活だったのですが、それが戻ってきました。戻りすぎると今度はずぼら不潔の評価を受けそうなほどです。 なぜだろうか? なり始めた頃、あらゆる自信や遣り甲斐生き甲斐を失っていたようです。それにいろいろ体の不調故障が付きまといました。そのダブルの不安とかうつ状態が、過度の潔癖という噴火口みたいなものを作って出てきたようなのです。自信のなさの極大が、なにか過度に気をつけないと、いろいろな細菌やら病毒が自分の体を犯すという妄想に囚われました。これが、すくなくとも「生き甲斐」てきなものをやりはじめた時期から、だんだんと薄くなっていき、ついには消失(完全ではない)というようなことになったんです。キーワードは「自信」「生き甲斐」です。これで、心が回転していき、それで過剰な妄想反応防衛反応が抑えられると言う印象です。 意識を滅する方向性はお勧めしません。それは人間には難しすぎる課題です。「生き甲斐」「人生の好転」の方でお考えになってください。

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