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ゲームの与える影響について
ゲームというものは悪いところばかりが取りざたされていますが、 発想の能力が身に着いたり、柔軟な考えができるようになったりという事があると思います。 しかし、それは私だけの考えなのでしょうか?もちろんやりすぎれば何事も悪い影響が出るのです。 ゲームを子守りにするからいけないのです。 どこかに、そのようなことを書いている、きちんとしたサイトはありますでしょうか? できれば、有名な方が書かれているサイトがいいです。 また、みなさんのゲームに対することを教えていただきたいと思います。
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こんばんは、ゲームが大好きな2人の小学生の母です。 もちろん、子供達は欲しがっていますが、我が家にはいわゆるテレビゲームはありません。ゲームボーイ等も持たせていません。 ゲームが悪影響を及ぼすからという理由ではなく、その年齢の頃にしかできない楽しみを、その時にして欲しいからです。ゲームは、もちろん種類・レベルにもよりますが、何歳になっても楽しめるものだと思います。 でも、ひたすらブランコを漕いでいるのが楽しかったり、ただぐるぐると追いかけっこをしているのが嬉しかったりといったことはいつまでもしないものです。 人間はどんな事でも順序を踏んで成長していくものだと思います。その時にしか味わえない経験を大切にしたいと思うのです。 観点がずれていたらごめんなさい。
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- lamop
- ベストアンサー率29% (47/158)
No.12に関連して、参考URLをどうぞ。 最近のニュースです。 レーティング制度採用の動きは日本でもあるようですよ。
- stingray
- ベストアンサー率24% (243/984)
>あまり本題とは関係のない話ですが、 >こういう話をするときに最近よく槍玉に挙げられる、 >「カーマゲドン」ってゲームがあります。 今はGTA3とソルジャー・オブ・フォーチュンとフーリガンかと。 (さらに関係無い) ただ,海の向こうではゲームに関する「レート」ってのがあって, 「18歳未満お断り」とか,「14歳未満お断り」とかあって, 子供たちがカンタンには遊べないようになっているんですけどね。 ただ,それが実際には逆効果で,向こうのキッヅは, 「プレイしたらママがキレるゲーム=18歳未満お断りなゲーム」を好んでやるため, (つまり,パパ&ママをキレさせるのが好きで面白がっている) それらのゲームの話題がEGM(海外の大衆向けビデオゲーム雑誌) などでも頻繁にでてきますね。 でも,この前GTAに対するキッヅの発言が笑えた。 「コンナに楽に車は盗めネェよ!」
- uzumaki-ko
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お尋ねの内容について、 精神科医の香山リカさんが発言しているのをよく見かけます。 コミュニケーションに障害を持つ子供にとって インターネットやテレビゲームが有益である場合についての著書もありました。 とりあえず下のサイトを紹介しておきますが 他にも検索をかけてみればたくさんあります。 どうぞご覧ください。
あまり本題とは関係のない話ですが、こういう話をするときに最近よく槍玉に挙げられる、「カーマゲドン」ってゲームがあります。 ドライビングゲームですが、人を轢くと残り時間が増えて、ゲームをより長くプレイできるというゲームです。
そういうサイトは残念ながら知りませんので、僕のゲームに対する考え方だけ。 それは、「好きな人が好きなものを好きなだけすれば良い」です。 ゲームをしもしない人間が批判するのは根本的に的外れですね。例えば僕はサッカーは特に好きでも嫌いでもありませんが、普段はまったくしません。Jリーグなども見ませんし、当然ワールドカップも興味ありません。ですが、サッカーなんて普段まったく興味なさそうな人が、ワールドカップの審判の判定などにいちいち文句をつけたりしていることがありますね。さて、このときどれほど正当な評価が与えられるでしょう? こういう立場から、僕はゲームをしない人間の、ゲームに対する一切の評価は無価値であると考えます。 とりあえずやってから文句を言え、と。 他の方が言われているように、結局のところ表現や遊びのひとつにすぎないのです。いいところもあれば悪いところもあって当然ではないのでしょうか。 ついでに言えば、ゲームで悪いところしかないようなものはすぐに廃れてきます。せいぜいが“一発屋”止まりですね。 各家庭での躾など以上には、犯罪などには直接的に影響はないです。 例えば僕なんて、コンシューマゲームだったら一つのゲームを徹底的にやりこみますしね。合計プレイ時間が200~300時間を越えてるゲームなんてたくさんあります。ですから、ゲームが好きでひたすらやる人間ほど根気はあると思いますよ。 Mintcreamさんの仰るようにTRPGとかカードゲームとかならとてもじゃないですけど自分勝手な真似は出来ませんしね。 リセットにしたって、ランダム性のあるイベントをうまくいくまでリセットしつづけるのにどれだけ根気の要ることか(爆) メガテンの悪魔ランダム合体とかね(笑) ちなみに少なくとも2~3時間は粘りますね。えんえん繰り返す(笑) まあ、結局はこうですよ。 「トラブルを起こすやつはどんなものであってもトラブルを起こす」 ゲームや漫画、小説や映画にTV番組、そしてネット……。こういったものは一切問わないです。 マスコミが槍玉にあげたいだけでしょうね。話題性がありますし。 もっとも、影響力のまったくない“表現”は駄作だと思いますがね。
週刊誌YomiuriWeeklyの2002/5/19に、「テレビゲームは子供の脳を壊す!?」と題した記事が載っていました。この雑誌を置いてある図書館で、バックナンバーは探せるかと思います。この記事中に登場する先生がおりますが、 http://su.valley.ne.jp/~terasawa/ http://www.soroban.com/yell/の中の、 http://www.soroban.com/yell/page/kawasima.htm などがありました。 私がこの記事を読んで理解したことをまとめると、「感情や行動の統制、創造性など、脳の司令塔的役割を担う「前頭前野」が、ゲーム時に全く使われず、機能が低下することが実験でわかった。テレビゲームは複雑に見えるが、対人間の触れ合い(コミュニケーション)に比べれば単純である。ゲームのやり過ぎは駄目で、外で人と遊ぶのが望ましい。しかし、ゲームの中には本を読むのと同じような効果のある良いゲームもある。」ということです。 私の子供はまだ小さいですが、大きくなってゲーム時間は抑えて、もし長時間やるんだったら、一人でやらせないで家族で対戦とかしてワイワイ楽しむのであれば、良いのかなと思っています。
- Mintcream
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囲碁将棋、MTGなどのカードゲーム、テーブルトークRPG、サッカーや野球などのスポーツゲームなんかだと 「他人の存在」が大きいと思います。 #1方の意見とは全く逆ですが、他人に対する心がけ、礼儀、マナーなどを養うことが出来ますよ。 (当然リセットなんかできませんし、むしろマナー違反になりますし・・・) 「相手がいない(または見えない)」「ひとりでできる」ゲームが増えたことが ゲームのいいところを減らしていったのではないかと私は思います。
補足
一人でできるゲームが流行っているのは、はやり手軽さだと思います。 常に誰かとつながっているというのは無理でしたからね。 ですからでしょうが、今オンラインゲームというものが流行っています。 ゲーム会社こぞって(任天堂は微妙ですが)オンラインゲームを出しています。 携帯電話もその一つなのではないのでしょうか?常につながっているという安心感ですかね。 ですが、はやり直接的なコミュニケーションというものがとれなくなってしまうと考えています。 もともと気軽に楽しめる(ストレス発散なども含めて)ものというのがゲームだと思います。 もっともいいのが対戦相手がとなりにいて、ゲームをゲームととらえることのできる環境なのでしょうね。 もっとも大切なのはやはり、小さい頃からの親とのコミュニケーションだと思います。 そのようなこともできずにゲームをするというのはどうでしょうね。
- popesyu
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1番さんの言うような攻撃性に見る悪影響は例えば将棋ゲームだって同じですし、しかも相手の駒を寝返らせる訳で(笑 実に情操教育上問題ありそうです。現実味があるかどうかだって、ハリウッド映画の勧善懲悪性や、少年ジャンプにあるような友情・努力・勝利なんて単純な構図は所詮仮想現実の物語にすぎません。こういった虚構の理想を植えつけることで、(例えば政治・外交に見られる)現実のいやらしさに逆に嫌気がさしているという仮定だって成り立つかもしれません。 一口にゲームと言っても色々なタイプがありますからね。格闘やシューティング系のアクションゲームで反射神経が鍛えられるでしょうし、シミュレーションでは論理的思考能力が鍛えられたりするでしょうが、人間形成的にはどうなんでしょうかね。対人コミュニケーションが必要な最近主流になりつつあるネットワークゲームなどは、そういう意味では新しい方向性が見られます。外国人とプレイしていると、日本人への思わぬ反感や逆に一方的な好感を示されたりして、色々考えたりすることもあるでしょうが。 結局こういうのはあくまでも数多くある方法論の一つのものでしかなく、ゲームのそれが特に優れている訳でも劣っている訳でもないでしょう。まぁ最近の子供は物心ついたときからゲームが身近にある訳で、リセット文化なんて陳腐な表現でくくれるほど単純な価値観はしてないと思います。ゲームに対するそれはよりドライになっているかなと思えるのですが、そんな彼らがどう実感しているのか、そろそろ出てくるであろうそういった世代の評論家がどうまとめてくれるのか興味があります。
補足
現実の卑しさに逆に嫌気がさす。これは大いに思います。 特に金八先生などです。あんな完璧な先生はいません。断言できると思います。 にたような先生は多少はいるとは思いますが、その人が全国の人に教えることができるでしょうか? できません。そのようなドラマを立てるから現実世界でのギャップを感じてしまい嫌気がさす。 その通りだと思います。もう少しつくる側も考えるべき事なのだと思います。 いろんな人(外国人の方などですね)と接することにより、自分という個人という狭さに気付かされると思います。それを手軽に行うことができるのが、ゲームなのだと思います。 いざ話すとなると、まず無理ですからね。話すよりも遥かに相手を知るのが難しいと思います。しかし、難しいからこそより感性が鍛えられ、より社会に貢献することができると思います。 ゲーム社会でそだった評論家。非常に関心がありますね。
ゲームの前はマンガが似たような境遇にありましたね。 「マンガを読むとバカになる」 「絵が多いために、子供の空想力の発達の妨げとなる」 「過激な表現が多いので、下品で暴力的な子供になる」 いやまぁ、PTAのお母さん達には叩きに叩かれてましたね(苦笑 しかし皮肉なことに最近の小学生の教科書では 挿絵の少年少女がフキダシでおしゃべりしてますし わかりやすく表現する為に一部マンガだったりします。 美術の教科書にはドラゴンボールの孫悟空もいたりします。 マンガの全てを否定していた人達が間違いであった事が証明されたワケです。 そして現代、また同じ轍を踏もうとしてる人々がいます。 そういう人々に私は声を大にして言いたいですね なぜアナタ達はマンガもゲームも 小説や映画と同じ「表現手段の1つである」という事に 気が付かないのですか? 問われるべきは、その表現されている内容なのであって おかしな内容であれば、詩でも小説でもドラマでも短歌でも みなゲームと同様に糾弾されるべきです。 しかしヤリ玉にあがるのはゲームばっかり。 内容で判断していない、良い証拠ですな。 「ゲームは悪影響を与えるんだ!」と言うのでは無く 「OOというゲームは悪影響を与えるんだ!」と しっかりした内容批判を行っていただきたいもんですね。 長文失礼しました
補足
マンガは・・・たしかにありましたね。私の父にも散々いわれました。笑 ゲーム=マンガとなるかは本当にまだ分かりません。 ゲームとマンガ・映画・小説と大きく違う点。それは受け身的なことか行動を起こすことのできるかという点だと思います。 ただたんに受けるだけではなく、自分で操作して自分の思うようにできますからね。その点で、ゲームのキャラは自分の好きなようにできる、そしてそれが現実世界にも飛び火してしまっている気がします。 これからテレビもデジタル化され、双方向のやりとりができるようになりますが、どうなるかが興味深いところです。やはり同様のことが起きるのだろうか?と。 そこら変がもっとも気をつけることだと思います。 ○○というゲームは悪影響を与えるんだ!たしかにそう吠えて(笑)欲しいです。
- stingray
- ベストアンサー率24% (243/984)
補足要求です。この質問の『ゲーム』を定義してください。 ビデオゲームだけ?それとも物質的なテーブルゲームも含めるの? 試合形式なものならサッカーや野球などもゲームに含めるの? クロスワードやロジックや知恵の輪のような一人遊び系のモノもゲームに含めるの? そこらへんを線引きしてほしいですね。
補足
「ゲーム」。ずばり「ゲーム」です。 ゲームの起原というものもあるかと思います。ゲームが生まれたのも結局は必要だったからなのだと思います。 一人で横断歩道をあるくときに、白いところだけ歩いてわたれるのだろうか? といったこともゲームと考えてもおかしくはないのでは?と思っておりました。 そのなかで、TVという仮想の現実をつかって、自分への知的影響を与えるのか。 現実世界の中だけでの自分への影響なのか、という事をいいたかったです。 足りなくて、すいませんでした。
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補足
このようなものを見るとやはりギクッとしますね。笑 ですが、やはり、ゲームだけをやるというのがダメなのと同様、外で遊んでいるだけでは感性は育たないと思います。 さまざまなことをやり(それを気軽にできるのがゲームなんですがね。) この世が本を読むのと同じような効果のある良いゲームだらけだったらいいんですけどねぇ。はぁ。笑 小さい頃から親とコミュニケーションをとって、家族と一緒にゲームをやり、会話もはずむ。 一昔前のような光景でしょうが、やはりすばらしい光景だと思います。 そこら変は任天堂を大きく尊敬します。