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苗字帯刀
徳川天領、旗本知行地、藩から、農民、商人は苗字帯刀をもらうことや、お金を幕府や藩に払うと苗字御免又は帯刀御免を与えられるみたいですが、お金を払った場合、どうして苗字御免、帯刀御免の片方だけなのですか? 江戸後期になると、お金を払って苗字御免を与えてもらう人が多かったそうです
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>お金を幕府や藩に払うと苗字御免又は帯刀御免を与えられるみたいですが、 幕府がやっていたというのは寡聞にして知りませんが、藩によってはあったようです。 参考 江戸時代は農民でもお金を払えば武士になれたって本当? http://www.edojidai.info/category1/busi-mibun.htm 抜粋 武士になるための料金表があるなんて信じがたいことですが、事実です。 例えば独眼竜伊達政宗で有名な仙台藩などは次のような料金体系になっていました。 「百姓に帯刀を許す」のに必要な料金は50両。 百姓に苗字を許す」のに必要な料金は100両。 「百姓が武士の戸籍に入るのを許す」のに必要な料金は250両。 中略 このように仙台藩で武士の資格を得るには、それなりの金銭的に高いハードルがあったのですが、同じく東北の盛岡藩の場合は仙台藩に比べるとかなり格安でした。 40両から50両で武士の身分を買うことができたようです。 >お金を払った場合、どうして苗字御免、帯刀御免の片方だけなのですか? 上記のサイトによれば仙台伊達家では別々に価格を決めていたようです。 刀は金さえ出せば買うことが出来ましたので安かったのでしょう。 >江戸後期になると、お金を払って苗字御免を与えてもらう人が多かったそうです 元々武家階級というのは権力はあっても財力がありませんでした。 町人階級は財力があっても権力がありませんでした。 百姓階級は財力も権力もありませんでしたが江戸時代の経済の基本になる「米」という現物を持っていました。 戦乱が収まり貨幣経済が発達するのにつれて収入を「米」に頼っていた武家階級は金銭を手に入れることが難しく貨幣経済から置き去りになっていました。 これに対して田沼意次が武家階級にも貨幣経済を導入しようとしましたが頓挫しました。 金銭に困った武士は借金を繰り返していました。 大名の江戸屋敷では衣食など全て貨幣で購入する必要がありました。 この貨幣を手に入れるために借金を繰り返していました。 時代と共に借金が雪だるま式に増えていきました。 結局、元手のかからない身分を盛んに金で売るようになりました。 当時武士というのは一種のステイタスでした。 これが金で手に入るのであれば財力のある町人や百姓が買い求めるようになりました。 生活が苦しい下級武士が家を継ぐという形で金で身分を譲渡するという方法はしばしば武士階級の間で行われていました。 表面上は自分自身は隠居になり金を出した人間に家督を譲ります。 金を出した人間は家督つまり「家」を引き継ぎますので苗字が変わりました。 御家人が旗本になる、あるいは家督を引き継げなかった二三男を独立させる際などに使われていました。