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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:関東の忍藩は、伊勢と播磨に飛地領を有しているのですが、どのようないきさ)
関東の忍藩、伊勢と播磨に飛地領を有している理由
このQ&Aのポイント
- 関東の忍藩は、なぜ伊勢と播磨に飛地領を有しているのでしょうか?そのいきさつを探ります。
- 伊勢の大矢知は忍藩の飛地で、陣屋や学校もありました。しかし、石高はどれくらいだったのでしょうか?
- ヤフオクの記事によると、忍藩は本国武蔵以外にも伊勢と播磨に飛地領を有していました。詳細な情報をご確認ください。
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以前小生が同じようなお尋ねをしたことがあります。 http://okwave.jp/qa/q2850917.html 「データベースれきはく」の「旧高旧領取調帳」に石高が出ています。 http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param の左の「旧国名」の▼をクリックして「旧領名」に直し、その右の欄に「忍藩」と入力すると、忍藩領だった全国の村が出できます。 伊勢国には約70か村、播磨には15か村ほどあったようです。 飛び地の理由は石高合わせのようですが、備中足守藩木下家は一時期、福島県内に飛び地を持っていたことがあります。これは殿様が参勤交代の際に女性を連れていたことへの制裁でした。とり潰されなかっただけでも良かったのかもしれません。しかし石高は同じであっても藩の収入は激減し、経済的には随分苦労したようです。
お礼
よく解りました。 石高合せの他、いろんな事情があるのですね。 早々のご回答ありがとうございました。