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生きづらさを感じるとき

皆様はどのようにして自分を激励、鼓舞していますか? 哲学的な思想、信条、先人が残した格言やことわざ等教えていただければ参考にしたいと思います。 またさしつかえなければ、どういう場面でご自分の生きずらさを感じるということを教えていただければとも思います。

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  • tokytime
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回答No.4

frauさま、 私は今までの色々な経験と勉強から 「自分の周りで起こること又は自分が見聞することは、全て自分自身の内面の何らかの反映である・・」と思っています。 言い換えれば、私の周りに登場する人物達は、家族も友だちも行きずりの人も含めて、私の内面のある部分を表現して見せてくれている・・」と思っています。 勿論、相手との関係の濃淡によって重要度はちがいますが。 自分自身が認めたくない自分の内面のある部分・・自分の性格の至らない部分・・ 人の性格や行為のある部分をいつも強く批判していたところ、実はそれこそが自分も持っており、しかも現在の困難の原因になっている性格や行為上の欠点だと気付くことがよくあります。 だからこそ無意識に気になり、こだわり、強い拒否感を抱いていたのだ・・と気付くのです。 このときのその批判相手は、私自身にとっては真実を見せてくれている重要な役回りをしてくれているのです。 全ての困難は、実は自分自身の内面の問題であって、外的に被害者のように思えても、根本原因は自己の内面からきていることに気付くことがよくあります。 ですから、すべての事象(自分にアピールしている事実)は、自分自身にとって意味があることであり、自分でその事象を他より強く認識することを好んで選んでいるのです。 このようなことから偶然は存在せず、すべて成るべくして起こっている・・ つまり、自分自身で引き寄せている・・と感じております。 そしてその事象の根本原因は過去と現在の自分自身だと思っています。 言い換えれば、現在の自分次第で未来は心地良くも、不快にも成り得る・・ということです。 すべての困難と苦しみから、自分にとって未来に役立つ何か・・苦しいからこそ貴重な経験から得ることが出来た将来役立つアイテム・・を手にすることができる・・と信じます。 苦しみと困難を自分にとってプラスのエネルギーに変えることが出来れば花丸大正解です。 それでは、何が何でも頑張って自分の未来を明るく変えていこう!・・と決心します。 そのために為すべきことは・・・ 昔からあらゆる宗教や教えに尊い言葉が述べられています。 最近、心から感動」した言葉の一つに「聖フランチェスコの祈り」があります。長いですが紹介します。(私は特にクリスチャンと言うわけではありません) 「聖フランチェスコの祈り」 私をあなたの平和の道具としてください 憎しみのあるところには愛を 諍いのあるところには許しを 分裂のあるところには一致を 疑いのあるところに信仰を 誤っているところに真理を 絶望のあるところに希望を 闇に光を 悲しみのあるところに喜びを もたらす者としてください 慰められるよりは慰めることを 理解されるよりは理解することを 愛されるよりは愛することを 私が求めますように 私たちは与えるから受け 許すから許され 自分を捨てて死に 永遠の命を頂くのですから  

frau
質問者

お礼

>「自分の周りで起こること又は自分が見聞することは、全て自分自身の内面の何らかの反映である・・」 ようやく、それを実感、受け入れられる心境になってきました。 聖フランチェスコの詩、感動しました。いや、本当に心底感動したんです。 でも同時に正直「キレイゴトじゃあないか、誰しもフランチェスコのような聖人になれば神様に近くなるけれどそれにはとうてい及ばないのだから」とも思いました。でも絶望の先の希望のことをうたっているのかもしれない。もしかすると「絶望」とは利己主義の終焉であり、その先にあるのが愛を待つのではなく与えるときが「永遠の命を頂く」とき、そして神に受け入れられるということでしょうか。また業の連鎖の途切れかもしれません。 言い換えれば「身を捨ててこそ浮かぶ世もあれ」!?なのかなあとも(笑)。 >全ての困難は、実は自分自身の内面の問題であって 本当にそう思います。でも人ってそれを対外的なもののせいにしたがる。そうしている限り進歩はないし、何しろ問題解決にはなりません。すべての現象(結果)には原因があり、不条理なことであればあるほど何か目に見えないものに求めるのは仕方なく、でも案外自分の直接的、近時的な言動こそが真正面に向かい合っている問題の要因となっていることが多い。連鎖を打ち切るのは、tokytime様がおっしゃられるような素直さ、真摯さに鍵があるのかと思いました。 ご回答ありがとうございました。

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その他の回答 (9)

noname#25818
noname#25818
回答No.10

あなたを悩ます 根源のもの 一番億劫だと思う人に じっくりと関わってみれば? 何度でも. 通過儀礼として. エジプトの格言に何かあった とても今の苦難に耐えられませんと相談に行ったら もっと辛いところに行けば そうしたら今の生活のほうが楽に思えるだろう. 今あなたを一番悩ます人とは 今あなたを一番思っている人. なのかもしれない. 状況も知らない 勝手な意見だけど 何かの足しにでもなればと思います.

frau
質問者

お礼

>あなたを悩ます 根源のもの 一番億劫だと思う人に じっくりと関わってみれば? かなり難しい問題です。自由な関係性であればあるほど、その寛容性も自由選択を問われるのですから。 嫌いな相手と向き合うことはもしかしたら自傷行為、自殺行為になるかもしれず、しかしよい方向に淘汰されるかもしれず。 エジプトの格言は幸福論ではなく、幸福を感じる方法論ですね。幸福とは相対ではなく瞬間的なもの=絶対的なものですから、感じることがすべてなのでしょうね。他人との幸福の比較、自分の置いてきた不幸との比較。前者より後者の方が成長していますね。 ご回答ありがとうございました。

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  • adwd
  • ベストアンサー率19% (11/56)
回答No.9

私の好きな名言です。 「偉大な試みに挑戦するならば、失敗でさえも栄光である。」-ビンス・ロンバーディ- 「それ自体不可能な事はあまりない。ただ我々には、ぜひとも成し遂げようとする熱意が、そのための手段以上にかけているのである。」-ラ・ロシュフコー- 「やる気をすっかりなくさない限り、失敗はありえない。“自分の内部から生まれる敗北”以外に敗北はない。我々の“心の弱さ”以外に超えられない障害などない。」-エルバート・ハバート- 「20歳だろうが80歳だろうが、学ぶ事をやめたら老人だ。学びつづける人は若いままである。人生で最も偉大な事は、心を若いまま保つ事だ。」-ヘンリー・フォード-

frau
質問者

お礼

いずれも初耳の人たちです。 ビンス・ロンバーディの格言はとにかく実行しろ、と聞こえます。「失敗」なんて「挑戦」の「偉大」さには及ばないということでしょうか。 ラ・ロシュフコーやエルバート・ハバートの格言は情熱や意志の尊さをうたっていますね。 >ヘンリー・フォード (もしかしてフォード社の設立者の方ですか?) 老いと向き合わざるを得ないというよりも、人生を生きる限り心の若さは年齢とは比例しないと私も思います。人生は意識的、無意識的に学習する存在ですが、知的好奇心は年齢に関係ないものです。つまり生涯学習の重要性ということなのですが、おのずから学び続けることで歳をとるのではなく「熟すること」通じるのだと思います。 ご回答ありがとうございました。

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noname#25818
noname#25818
回答No.8

いき辛さを感じるのはほとんど人間関係においてだろう. とりあえず ゲシュタルトの祈り

frau
質問者

お礼

>ゲシュタルトの祈り 心理学でゲシュタルトという概念があるのは知っていますが、「祈り」とはどういうことでしょうか。興味がありますね。 確かにいやおうにも人間関係ですべてが決まってしまう。自分をやっているのもメンドクサイのだから他人との関わりなんてさらにおっくうです。でも関係を作らずにいられない。ここにこそ人間の業の絵図があると思います。 ご回答ありがとうございました。

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  • wabuu
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.7

僕の信条は“人本主義(実用主義)”よりも“愛本主義”の実践!!。 世のなか身体能力が不器用な人はどうしてもいるんです。人の気持ちに鈍感な人とかも。逐一そういう人を攻めても自分が疲れるだけです。 はっきしいって。笑って許してあげられるようになったら、かなり楽になります。そりゃー人間だから仕事のやりかたで多少のケンカもあるんだ。むしろリラックスしたら能率が上がる人もいるわけです。 あまり相手や自分を責めないほうがいいです。

frau
質問者

お礼

>僕の信条は“人本主義(実用主義)”よりも“愛本主義”の実践!!。 いいですねーこういう人、好きです。 人である限り、人が気になるのはしょーがない。でも人とのいろいろなことをを通して人はさらに人らしくなってゆくのだと思います。それは抽象的に染まるということ。例えば失恋したら「恋愛とは何か」、苦しいことがあるとき「人生とは何か」とか。自分の色がおちて透明感を増す。 >身体能力が不器用な人 誰かがこういう人を「心理バカ」と言っていました。私もそういう人はその人の心を解体したくなるくらい、理解に悩みます。でもそういう人は心に生殖器がないと思うんですよね。自分を成長させ開花させる種を受粉できないというか。そういう人に言い聞かせても念仏と思われているみたいです。・・・ >リラックス そんなものは気休め程度、第一メンドクサイと思っていたのですが、最近考えを改めました。身体はその瞬間を語る。緊張感があると力がこもって充分な力が出せない。確かにリラックスしていると過去の緊張を忘れられます。これを維持し続けると人生すら変わるのかもしれません。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.6

僕は色々な点で不器用です。昔は不器用な自分が嫌いでしたが、最近は、不器用な自分の人生を楽しめるようになりました。平坦な道より山が沢山あった方が楽しくないですか?

frau
質問者

お礼

>山が沢山あった方が楽しくないですか? 山がありすぎるのも・・・(苦笑)。 不器用ってかっこよいと思います。人間くさいから。最近読んだ本が「人はマジメに生きているからこそ誤りを犯す」のですって。これを不器用に言い換えてもよいと思います。人が人である証拠っぽい。かの高倉健さんもそういう自分をカミングアウト(?)していますし(笑)。不器用さは彼によって市民権を得たのではないでしょうか?って関係ないか(笑)。 ご回答ありがとうございました。

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  • spitzer3
  • ベストアンサー率9% (3/32)
回答No.5

>>ANo.2お礼 >ということはすでに結果がわかっている、のでしょうけれど、具体的にではなく、これほどリピートされれば問題はますます抽象性を帯び、私の人生とは何ぞや、という、むしろ業とでもいえばよいでしょうか。なにゆえに業があるのか。それがわからないのです。 ある業が存在するためには、それを生じさせる業があって、そのまた、その業を生じさせる業があって、・・・・  と、ある業が存在する理由は、結局他の業があるという前提の元でしか言えず、永遠と過去の業が存在する以上、なぜ業というのがあるのかは、分からないのではないのでしょうか?  業があるのはしょうがないですよ。

frau
質問者

お礼

>業があるのはしょうがないですよ。 そうですね。業=原因ともいえます。自分の業を知るのが人生の課題であり、その事実を受け入れ、そして悪い業をよい行い、心がけで相殺するのが人生かもしれません。そして業の深刻さは人それぞれ違う。その差異が「幸・不幸」を生じさせているのかもしれません。幸福も不幸も条件があれば、それは相対的なものである限り。 ご回答ありがとうございました。

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  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.3

人を許すことは大変に難しい。特に相手に可愛気がなく、 しかもあなたに対して間違いを繰り返している場合はなお さらだ。しかし皮肉なことに、そうした可愛気のない人間 ほど愛情を必要としている人もいないのである。                       ― アラン・マクギニス

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 可愛気がないのは「あまのじゃく」さんですね。 思い当たる人がひとりいます。不自然で文脈から外れているのでその逆のことが本音だと思っています。 そして確かに愛情を必要としているかもしれません。でもそれさえも必要ないという一貫した態度であるので、さらに本心がみえてしまう。素直すぎるのも世渡りに損ですが、素直すぎない人も容易に見透かされてしまうのですね。

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  • spinoza
  • ベストアンサー率31% (7/22)
回答No.2

ぼくは、生きづらさ、と言うのかわかりませんが、 嫌になったり、苦しかったりするのは、 何のためにこんな思いをしなきゃいけないんだよ、、 とか、 なんでこんな苦しい思いしてまで、がんばんないといけないんだよ とかです。 そんなとき、いつもではないけど、なるべく考えるのは、 そして、助かったり楽になれてきた言葉は、 ニーチェが言った、 「苦悩そのものが彼の問題だったのではなくて、  〈何のために苦悩するのか?〉   という問いの叫びにたいする   答が欠けていることこそが問題であった。    人間、この最も勇敢で苦悩に慣れた動物は、     苦悩そのものを拒否したりはしない。彼は欲する、      彼はそれを求めさえもする。もしその意義が、       苦しみの目的が彼に示されるとすればだ。」         ー『道徳の系譜』ニーチェ著 岩波文庫 p.207 です。 つまり、人間は、苦しいのがいやなのではなくて、何のためにこんなに苦しまなきゃならねえんだよう、っていうのが、いやなんだ、と言っているみたいに僕は思えたので、それで、僕は、何のために僕は今がんばってるんだろうか、と、苦しかったり、嫌になりそうになった時に、考えます。 そしたら意外に、 まあ、好きな人と暮らすためだったり、します・・ あたりまえのことを、ふと忘れていることがあったりして、 それを思い出せて、よかったなあ、と思える時もあります。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに「何のために苦しむのか」という漠然としたものは真っ暗なトンネルを光を求めて歩き続けているようなものですね。 私にとっての生きづらさとはリセットされる感覚です。 ニーチェのいうように「苦悩そのものは問題ではなく」、むしろ私は目の前に障害があると乗り越えたくなる性分(マゾっ気?)があるのでそれはそれでよいのですが、同じ問題と結果を繰り返すとき、悪循環のスパイラルの構造がわかりません。 ということはすでに結果がわかっている、のでしょうけれど、具体的にではなく、これほどリピートされれば問題はますます抽象性を帯び、私の人生とは何ぞや、という、むしろ業とでもいえばよいでしょうか。なにゆえに業があるのか。それがわからないのです。

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noname#36252
noname#36252
回答No.1

世の中の役に立つ、ということに価値観をおいて、できたときは自分をよくやったと内心褒めています。 信条は、老子の「水は高きより低きに落つ」水の理論です。処世にもなっています。 生きづらさは、何も事前情報がない場所では、結構人との間のこともよく回る方なのですが、こいつは要領のいいやつだ、と妬まれると妨害が入り、空回りします。それぐらいですかね。 子供の頃から、要領、飲み込みがいいタイプなので、あまり困ったことはありません。

frau
質問者

お礼

うらやましいですね。私は真逆で飲み込みは遅く、要領悪く、つまりここからもう私の「生きづらさ」は始まってます(笑)。 それでも水のようにしなやかに生きられたらと思ってます。 ご回答ありがとうございました。

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