人生の大先輩に拙い意見を申し上げるのは甚だ恥ずかしいのですが
最近、プロの宗教者というものがめっきり少なくなって、代わりに昔のニューエイジ
サイエンスと呼ばれていた「精神世界」のグル、メンターと呼ぶべき人が台頭して
きているように思います。
質問者さまは、労働運動に身を投じられて筋金入りの左翼とお見受けいたします。
社会主義思想の崩壊の過程で、さまざまな思いを抱かれてきたことは推察するに
あまりあると存じます。一方私は、昭和40年代に右翼の生長の家思想にかぶれて
いた時期があります。
こちらは、昭和初期の米国「ニューソート」の影響を色濃く受けている関係で
ニューエイジとも一脈通じるものがあります。
さて
>そう簡単にその信仰や信条の通りにはなっていないし、或はじっと隠れている反対の思いなどがあると思います。
これは、ニューエイジ、精神世界の場合 ほとんどないですね。
なぜかというと、自分というものを捨ててしまって「宇宙に委ねる」という発想を
するからです。仏教でいう諦念「明らめる」という概念に近いのですが、
自分でどうこうしなくて、リラックスして待つという「おそろしくものぐさな」
教えだったりします。
ニューエイジ・精神世界の教えのひとつに2012年以降牡羊座の時代が
終わってみずがめ座の時代が始まる。支配や教義が人を導いた時代から
自由で個別の思想が人々を導くといわれています。
>でも自分で決心や硬く信仰する場合などは、自分に対して偽善になることがありませんか?
硬く信仰してはいけないのでしょうね。それは信仰をしっかりと握りしめている
状態で、そのままでは自由になれない。
一旦信仰すら手放して、忘れてしまうことが重要なのでしょう。忘れても本当の
自分の意識に刻まれている「信仰」は残っていると思うのです。
>自分に対して偽善になることがありませんか?
本当の自分をみつけてそれと融和するのが、精神世界の大きな方向性です。
この辺が教条主義の宗教や思想と大きくことなる部分です。
>プロの宗教者、神父さんや牧師さん。或は僧侶の方はみなさんそういうことを超克しているんでしょうか
実家の高校の先輩の曹洞宗の住職くらいしか面識のある宗教者はいません。昔
奈良の天川神社の宮司に会ったことがあります。この人は恐ろしいほどの俗物でしたが
精神世界ではある種のヒーローだった時期があります。
ダライラマもマザーテレサも自分を偽ることなく生きてこられたのだと思います。
自分を偽らない生き方こそが「天の意思」に沿う生き方であると考えている。
もちろん人格の陶冶が最初にあっての話しでしょうけど、自分を偽らずに生きる
ことで実は人格も陶冶される。そのことに気が付けば楽なんでしょう。
すいません。思い切り不遜な言い方になってしまいました。お許しください。
お礼
期待していた内容を越えたお答えに心より感謝します。 ありがとうございました。
補足
私の世界を越えたご回答で、理解し受容するのに少しじかんがかかりそうです。 生長の家ですか、原宿のキャンパスのお隣さん、東郷神社との境。 昭和33,4年とはずいぶん変わりました。先日、卒業生のグループと歩いて空は兎も角地面がなくなってしまっている。辛かった。キャンパスに寝泊まりしていた時は成長の家の人と良く風呂で一緒になったのだが。 教条から出ている世界を垣間見させていただきました。 私には大事な事です。