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イメルダ夫人のように靴収集癖のある女性の心理
タイトル通り、部屋中を靴で一杯にし、それを見ているのが好きという女性の心理を知りたいです。 実際にこういう女性は大量の靴を履いているのかもしれませんが、私の予想では履いていないで眺めているだけなのかなと思っています。
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こんにちは。 私にも、そのような傾向がありまして。 もっともお金が無いので靴とか服とかアクセサリーとか高価なものは無理なのですが(笑)、 100円ショップで(そのときは必要だと思って)買ったものを、管理しきれずに、どこに 置いたのか忘れたまま放置し、結局、長いこと使わないまま、モノが溜まり、気付くと 「実は要らないもの」に囲まれている、という状況に、ときどき遭遇します。 ご質問の「靴を集める女性」について、思いついたことを書いてみます。 (1) 統合失調症の傾向がある人の特徴のひとつとして、 「現実を見ることができない」というのがあります。 見たくないものにフタをすることができたり、見たいもの(現実ではない物事)が見え てしまったりする、というものです。 「片付けられない人」の中には、「部屋が散らかっている」ということを、認めたくない →見たくない→見ない→放置・・ということを無意識にしている人もいます。 (2) 境界例の傾向がある人の特徴のひとつとして、 「見捨てられる不安が強い」というのがあります。 とにかく「孤独」になりたくない・「独りぼっち」になりたくない・ 「手ぶら」になりたくない・「することがない状態」になりたくない・ 「付属品を持たない裸の状態」になりたくない・「宙ぶらりん」になりたくない、 というような思いから、常に身の回りに、(物理的には)モノを置きたがり、 それ以外にも「するべきこと」を置きたがる、というものです。 この不安が強くなると「ゴミでもいいからそばにいて」「奴隷でもいいからすることを ちょうだい」という状態になります。 そして、この人たちは、それが「無くなる」ことが「怖い」ので、なかなか 「最初から持たない」ことも「持ってしまったものを片付ける」こともできません。 靴を愛している人は、実際、履いて出歩いているのではないかと思います。 靴に愛されたがっている人は、履かないで眺めているのではないかと思います。
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- kettouti
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靴に限らず、世の中には収集家という方がいます。 自分の好きな物、興味のある物を買い集めてコレクションする人です。 集めた物を、綺麗に陳列して、眺める事で満足します。 時には、並び替える事によっても満足出来ます。 そして、増えれば増えるほど精神的な満足感を得られます。 イメルダ夫人も上記のような状態なのではないかと思います。 最初は、履く為に靴を購入していたのだと思います。 しかし、経済的に余裕が出てきた為にいつの間にか、靴のコレクターになってしまったのではないでしょうか。 本人の意識として購入した靴は、生きている間には、すべて履くという考えでいるはずです。 でも、履けないと思います。この意味は、沢山あって履けないという事ではなく、新品の靴を沢山持っている事に対して満足感を感じていると思うからです。一足履いた事によって、何十足も靴を履いたような気持になるのだと思います。そして、靴のコレクションが減ってしまったような気持になります。 そして、その気持を充足させる為に、また大量に新品の靴を購入する事になるのだと思います。多分、このような事を繰り返しているのではないかと思います。 私自身にも、このような気持になる事があります。 今は、松本清張さんの推理小説を集める事です。最初は「一冊読み終える毎に一冊」という感じで購入していたのですが、いつの間にやら読んでない本が、常に数冊ないと安心出来なくなりました。最近では読んでない本が常に十冊以上ないとなんとなく心配です。すぐに読み終えてしまうようで・・・。変に神経質になっているんだと感じます。多分そのうちに、読んでない本を数十冊、本棚に並べて、それを眺める事に満足するようになるのだと感じています。 これまでも、レコードがそうでした。美術館で購入する図録もそうでした。ブランド物のバッグも、きれいな柄の靴下も・・・。 ただ、イメルダ夫人のように徹底的に、とまではいきません。 経済的な問題がありますので・・・。 ですので、私の場合には次から次へと収集する物が変わっていきます。 私のような人は、沢山いるのではないかと思います。 一言で言いますと、「自己満足」という事だと思います。 また、それが生きるエネルギーになっているように感じます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >>一足履いた事によって、何十足も靴を履いたような気持になるのだと思います。そして、靴のコレクションが減ってしまったような気持になります。 という心理状態はおもしろいですね。想像もつきませんでした。 生きるエネルギーは人それぞれですものね。人間は皆、自己満足をするために生きているのだと思います。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
確信はありませんが、「自己顕示欲」が強い方ではないかという気がしますね。 靴などを初めとする「容器状のもの」は、無意識的には「女性器の象徴」と解釈して良いのではないかと思われます。 男性の靴収集はおそらく少ないでしょう。 男性の場合は、靴よりもナイフやピストル(モデルガン)などの収集者の方の割合が多いはずで(多分)、 これは、「長く」「伸びる」「硬いもの」で、「何かを発射したり」「相手を突くもの」としての男性器の象徴としての意味があります。 女性が靴を収集するのは、自分自身の女性器の投影として愛着を感じるからでしょう。 また、「財を収容する入れ物」の象徴である場合も多いと思います。 自分の女性としての価値と、持っている財産の象徴として靴を飾りたい、という無意識的心理が兆すのは自然と言えます。 ただ、『飾る』という行為は、他人に見てもらうことが前提になります。(実際に見せるかどうかは別です) 間接的とはいえ女性器の象徴を飾ろうとするわけですし、また普通は財産を見せびらかそうとはしないでしょう。 つまり、自己顕示欲の強いお金持ちの女性であれば靴の収集が趣味であっても不思議ではない、ということは言えるのではないかと思います。 おっしゃるように、「履かないで眺めている」確率が非常に高いでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 フロイト的な解釈も参考になります。 恐らくですが、靴収集癖のある女性はものすごく女性らしいかたなのかもしれません。
- ANASTASIAK
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靴というのはステータスのシンボルになり得るオブジェクトです。 なので、そのよいものを持っていることは自尊心を満足させます。 人より多く持っていれば、もっと自尊心を満足させることができ ます。これはクルマと同じです。 これは自分のステータスを高める簡単で心地よい収集になります。 はじめは楽しみで好きな靴を買います。気に入ったものだけです。 しかし、それを続けていると、いつしか使命感に変わってきます。 新宿や銀座にいったら必ず立ち寄らないと気がすまないショップ ができ、そこで必ず1足は買うようになります。こうなると、脅迫 観念です。心理学ではディスオーダーといいわれる範疇です。 この状態が高じると、使命感は義務感に変わります。靴は否応なく 増えていきます。自分でもなぜ集めているのかわからなくなります。 モノと自分との境界がわからなくなります。そして、たくさんの いい靴・美しい靴をもっている自分が靴に同化します。こうなると 自分の分身ですから、切り離すことができなくなります。義務感に 駆られた収集はやめられなくなり、強迫神経症の症状を呈します。 もし、このような状態にまでモノと同化した人間からそのモノを 奪うとどうなるか。それは自分自身のアイデンティティーさせも 喪失してしまうことになります。このケースのよい例が、この 模型を捨ててから様子がおかしくなった夫の例です。 http://textalk.moe-nifty.com/trash/2006/03/post_91a5.html
お礼
丁寧なご回答有難うございます。 使命感が義務感に変わるものなんですね。物と自分との境界線があやふやになってくるという心理状態もなんとなく納得できます。 靴を集めているという自分から靴と同化したアイデンティティーへと 変貌していくとすれば納得できます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >>靴を愛している人は、実際、履いて出歩いているのではないかと思います。 靴に愛されたがっている人は、履かないで眺めているのではないかと思います。 この下りに全てが凝縮されているようで納得しました。