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仏のインドシナ植民地経営の利益について
欧州諸国の東南アジアにおける植民地経営で,蘭は砂糖・コーヒー,英はスズ・ゴムなどの商品作物を栽培したと言われています。では,フランスの場合はインドシナにおいて,経済政策的にどういう植民地経営(簡単に言うと何を栽培,もしくは搾取)を実施していたのでしょうか。米だけでよろしいのでしょうか。その場合米はどこに輸出されたのでしょうか。
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仏印で産する長粒種のコメは、日本にも輸入されて「南京米」と呼ばれました。海を越えて運んでも、日本の一番安いコメより更に安かったようです。戦前のスラム街を扱った本 東京の下層社会 http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E4%B8%8B%E5%B1%A4%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E7%B4%80%E7%94%B0-%E9%A0%86%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4480085459/ には「口をつけるのも嫌になる程不味い南京米のメシ」が登場します。 植民地体制による単作農業が行われた今のフィリピンやインドネシアやマレーシアにも仏印のコメが輸出されたと推測できます。仏印は、戦前の東南アジアの食料基地と考えれば理解しやすいでしょう。
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- nemosan
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回答No.2
米の他に石炭も輸出していたそうです。 http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%D5%A5%E9%A5%F3%A5%B9%CE%CE%A5%A4%A5%F3%A5%C9%A5%B7%A5%CA
質問者
お礼
灯台もと暗しでした。親切なご助言有り難うございました。
お礼
参照文献まで提示していただき有り難うございました。最後の一行はコンパクトにまとまって理解しやすくなりました。