- ベストアンサー
毛利両川
吉川元春と小早川隆景が元就亡き後の毛利家を支えていたと思いますが、毛利家中ではどちらの方が影響力があったのでしょうか? 輝元はどちらの叔父を頼りにしていたのでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
noname#49020
回答No.2
影響力については、結果から見て隆景ということでしょうね。 秀吉の中国大返しのとき、追撃を主張する元春に対し、隆景は秀吉の天下取りを予測し、この際恩を売っておいた方が良いと説得したという逸話が残っていますように、猛将タイプの元春に比べ、隆景はあらゆるケースを想定して、考えに考えた末に結論を出す、考えの深いタイプの武将であったと思います。 毛利本家に養子の話があった秀秋を小早川の養子にした件なども、彼の本家を守る義理堅さや思慮深いところを物語っているといえます。 秀吉嫌いであったと伝えられる元春とは違い、隆景は秀吉の信頼も厚く、豊臣家五大老の当初の顔ぶれ(徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、小早川隆景) を見ますと、凡庸と伝えられている輝元も、隆景を頼りにしている様子が、何となしにうかがえるような気がします。 隆景健在なときまでは、輝元もそこそこ大過なく、というように見えますので、両川いずれも名将ですが、ご質問の件については、いずれも隆景に軍配を挙げたいと思います。
その他の回答 (1)
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1
小早川です。 なぜなら 小早川が秀吉とウマがあったから。 すくなくとも、1582年以降では小早川優位となります。
質問者
お礼
秀吉は一陪臣に過ぎない隆景を大大名、果ては豊臣五大老にまで取り立てていますね。秀吉は家康と違って吝嗇家ではなかったにしても、陪臣をそこまで取り立てるとはかなり気に入られていたのでしょうね。 ありがとうございました!
お礼
大返し後は元春自身が表舞台から退いたので秀吉ご寵愛の隆景メインで毛利は動いたのでしょうね。 元春も決して単なる猪武者ではなくて人並み以上の思慮もあったと思いますが、先を読むことにかけては隆景の方が勝っていたのでしょうね。 ありがとうございました!