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こういう夢を見たんです
なにやら家族と親戚一家で小旅行をしたらしいです。 そこでちょっときれいな郊外の夜景を見たりしたあと、どういうわけか結婚式の披露宴のような会場で、大人数の宴会に出席します。そのときには、友人や知り合いやいとこ親戚などいろいろ自分とつながりがあるあらゆる人間が入り混じっています。そのなかで、みんな楽しそうに盛り上がっているのですが、自分だけは乗れずに、非常にさびしい思いをして取り残されています。「こんなことはもうごめんだ」という惨めな気分で、もう一泊かする予定ではあったようですが、家族に「もう帰る」と告げます。 というような夢で「取り残されるさびしさ、相手にされない悔しさ」という感情が全体を覆っています。これはどういう風に考えたらよろしいでしょうか。
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この夢の意味は、ご自分でもお気づきのはずです。質問文中の「取り残されるさびしさ、相手にされない悔しさ」という感情は、今のあなたを覆っている感情のはずです。特に、華やかな宴の中の孤独は、「非常にさびしい思いをして取り残され」た気持ちになるでしょうし、「惨めな気分」にさせられることでしょう。しかし一方、この夢の「ちょっときれいな郊外の夜景」や「結婚式の披露宴のような会場」も、あなた自身がつくり出した世界であり、あなたの中にこのような内的世界があるということを夢は教えてくれているのです。しかし、あなたはその内的世界へ入る一歩が踏み出せない。実際、華やかな世界はあなたを拒んではいないはずです。むしろあなた自身の中にある、何か目に見えない障壁が二つの世界の融合を拒んでいるのです。 私は、あなたが「孤立感」という荷物をしっかり手に握りしめているように感じます。でも、それに「さよなら」を言わなければ、新しい友人たちと握手できないし、華やかな宴に参加できないのです。まずは、夢の中で新しい友人と握手する練習をしてみることです。すぐ、その場を離れようとするのではなく、もっと夢の中でリラックスしてこの宴に参加するように努力をすることです。失敗しても、夢なら何度でも挑戦可能です。夢での練習がうまくいけば、現実も変わってくるはずです。そしてそれは、逆もまた言えることなのです。 「峠は 決定をしいるところだ。/風景は そこで綴じあっているが/ひとつを うしなうことなしに/別個の風景に はいってゆけない/大きな喪失に たえてのみ/あたらしい世界が ひらける。/峠にたつとき /すぎ来し みちはなつかしく/ひらけくる道は たのしい。(「峠」真壁仁)」 ・・・私は、上記のように、人が変わることについて簡単に書きました。しかし、そうは言っても、人によってはそれは、大変な困難を伴うということも感じています。これについて、別の質問に回答していますので、未熟な文章ですが、参考までにご覧下さい。「クライエントの祈り」の個所です。私自身は、人が救われるのは、最終的に「祈り」によると信じています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1135159.html
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- hakobulu
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夢は、日中抑圧されている感情の顕現であると言ってよいのではないか、と思っています。 また、フロイトによれば夢は欲望の実現でもあります。 彼は欲望の種類を全て性的なものに解釈しようとしたため、必ずしも広く賛同を得ているわけではありませんが、 夢という仮想現実で、無意識に抑圧されている欲望(欲求)を発現させて生体のバランスを取ろうとするのは至極自然なことで、 「なんらかの期待(あるいは要求)の実現」と幅広く捉えることは可能なように私は思います。 ただ、これだけの文章から正確な夢分析をすることは不可能で、どんな専門家の方が試してみても推測の域を出るものではないことを予めお断りしておきます。 【1】 まず、「>取り残されるさびしさ、相手にされない悔しさ」が、現実で抑圧されている感情であると考えて良いと思います。 「家族」は、必ずしも実際の家族である必要はありません。 「(無論、家族も含めた)本来、お互いに信頼すべき相手」あるいは、「信頼し合いたいと思っている相手」全般と、幅広く捉えるべきでしょう。 「旅行」は、「新たな出発」あるいは「未知への船出」と解釈できるように思います。 『信頼し合える人(たち)と新たな展開を築くことによって、「【きれいな】郊外の夜景」を見た時のような爽やかな印象を味わいたい』 と思っている。 【2】 「結婚式」は、葬式などと同様に、「好悪の感情を乗り越えて、自分が知っている関係者が必ず集合する場」としてしばしば援用されます。 もっとも多いのが、好きになってはいけない人と会いたいという感情が抑圧されている場合で、 たとえば自分の家族が死ぬ夢を見ることによって、堂々と会えないその相手を無理矢理葬式の場に引っ張り出し、そこで再会を果たそうとするパターンでしょう。 ご質問のケースでは、「自分の関わり合いになる全ての人々の集まる場所」として登場しており、 すなわち、「みんな」という概念を強調する役割を果たしているのだと思われます。 『(それなのに)【本当に周りの全てのみんな】から取り残されている』 という、抑圧された不安が表現される。 【3】 もう一泊する予定を中止して、自分だけは「もう帰る」と家族に伝える。 そして、 『この気持ちを受け止めてくれる(家族という名前で象徴されるような)信頼できる人が欲しい』 という願望(夢の最終目的)が登場する。 勝手な推測を述べてしまい失礼しましたが、素人の私見で言うとこんなところになります。
お礼
そんな感じなんです!面白いものですね。 フロイトは確かに経験的に言って妥当なこといっている気がしています。 で、123の解釈、すべて当てはまっております。 この回答を身近にいつも置いて心理を確認します。
- ANASTASIAK
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>これはどういう風に考えたらよろしいでしょうか。 フロイト的に解釈してみましょう。 家族とは、あなたのいちばん身近に感じている人々の象徴です。 結婚式場とは、他者との結合や融合の機会を意味します。 結婚式とは、実は身近な人が他人のものになってしまう悲しみを 喜びの「お祝い」の形に変えて合理化する儀式です。 あなたは心地のよい暖かな人間関係がいつか崩れるのではない かという不安を感じて生活しています。 あるいは、親しい人や愛するが自分以外の他の誰かと親しくなって 自分から離れて行ってしまうのではないかと恐れています。 そのために、親しい人や愛する人が他人と接触する機会を避けよう とします。できれば、彼らがこのまま他の世界とは係わり合いにな ってほしくない、と。 そういう深層心理があるので、楽しい語らいの場や、新入社員の歓迎 会など人が社交する場ではとても不安にかられています。しかし、 本来めでたく楽しい場であるので、周りの雰囲気に無理に合わせて その場をつくろいます。しかし、抑圧している心理がふとよぎり、 楽しい場のなかで浮いた存在としての自分を見つけてハッとすること があります。そしてそのことを人に知られまいとして日常で抑圧し ているために、夢としてその深層心理が現われるのです。 思い当たることはありませんか?
お礼
フロイトは結構気にするべき思想家だと思っています。 他人にあるいは身近な人間に、離れていかれると不安だと言う例はありませんね。私自身の孤独感寂寥感というテーマだと思います。 でも、そういう風に味付けして考えると、面白いものですね。
- kimiko1226
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確かに夢は夢と考えるのもよいかと思いますが、 日常生活でそのような「さびしい、相手にされない悔しさ」につながるできごとが最近ある、またはあったのかとも思います。 重くは考えず、気楽に考えてはどうでしょうか? または楽しいこと、いいことのほうを考えながらとか・・・ 参考になりそうにありませんね;;すいません。。。
お礼
それは日々実感しているんです。やはり潜在意識がきますね。
夢は夢です。 何を見ても、さめたら終わりです。 テレビドラマと同じです。
お礼
そう割り切るのは精神衛生にとてもよいです。
お礼
その通りと申してよろしいようです。 一点の訂正箇所もございません! ご回答を身近に置いて常に確認します。