• 締切済み

三社とはなんでしょうか

浅草の三社大権現や伊豆三社大権現等がありますが、この三社とはどういう意味があるのでしょうか。ご存じの方教えてください。

みんなの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.4

恐らく 3柱 からきていると思います。 日本神話。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%A3%E3%81%BF 【イザナギは、黄泉のケガレを清めるために、禊ぎをした。この時も、様々な神々が生まれた。最後に生まれたアマテラス(日の神、高天原を支配)・ツクヨミ(月の神、夜を支配)・スサノオ(海を支配)は三貴神と呼ばれ、イザナギによって世界の支配を命じられた。】 この世を最小は3で成り立っているとする。 (ある華道の先生に「この流派はどうして3を基本とするのか」と聞いたら、「それが立体(世)の最小の数字だから」という答えをいただきました。 伊勢神宮は125ありますが、今の伊勢はあの場所だけではなく、3つで成り立っていたと思います。 (陰陽の関係でそうなっていたと記憶しています) 柱は神のこと。 社は神の住まいだったと思います。 正月に門松を玄関に備えますが、あれも3柱ですよね。 3神の具象化だと思います。 富士山。 神の住まいとされていますが、ももともと3つだった。 例えば http://www.sanja.jpn.org/sanja/mikoshi.html 【祭神は言うまでもなく、浅草寺の御本尊観音様の「御示現」に関わった、郷司の土師中知と兄弟漁師、檜前浜成と竹成の三人を神様 として祭ったものであり、三人の神様から「三社」を称され、「一之宮」が土師中知(ハジノマツチノミコト)、「二之宮」が檜前浜成 (ヒノクマハマナリノミコト)、「三之宮」が檜前竹成(ヒノクマタケナリノミコト)に配されている。】 基本は3神でその社が構成されているってことですね。 各地にたくさんの神社がありますし、それぞれ別な神の名を奉っている。 でも、どうやら本当は同一の神を奉っているんじゃないかと思えてきたんです。 統合していって、最後に残るのは3神。 最小の基本の3。 神は分身の術を使うので、各地に違う名前の神として奉られる。 同一神だとわかると、おもしろいです。 いったい いくつ名前持っているのよ。。。という感じです。

回答No.3

三社の「三」は、仏教の「三尊」に由来します。明治の廃仏毀釈までは、一部の特殊な例を除いて神社の祭祀は、神宮寺や別当寺といわれる寺院が執り行っていました。神道の神々は、仏教の仏や菩薩が日本の衆生を済度するために垂迹した姿だとされました。したがって、神道の神々にはそれぞれ本地仏といい、その本来の姿であると考えられた尊格が与えられました。熊野三所権現には、それぞれ阿弥陀如来・観音菩薩・薬師如来が、それぞれ本宮・新宮・那智の本地仏とされたようにです。仏像では、薬師三尊・阿弥陀三尊といった具体に主尊の両脇に脇侍をおく形式をとります。神道の祭祀を仏僧が執行する環境の中で、この形式を神仏習合の時代に取り入れて、神道でも三所や三山と称するようになりました。また、「三」という数字は、神道の伝統の中でも聖数としても意味もありました。造化三神とか三貴子といった神道の言葉もあります。しかし、大きな影響は仏教からやはり来ていると思います。

  • suicyo
  • ベストアンサー率43% (83/193)
回答No.2

日本各地に三社祭り、三社詣で、三社権現などというものがあります。 ほとんどの場合、その地域に三つの神社があり、セットで呼称された り、セットで一連のものとして祭礼をおこなったりしています。また、 他の神社の神様を勧請して新たな神社を創建する場合もあり、その際 に三柱の神様をセットで勧請して「三社」と呼称する場合もあるよう です。 これらの「三つセットで」というのが、どのような歴史的・宗教的背 景があるのかは、私はよく知らないので、詳しい人に席を譲ります。 浅草三社や伊豆三社も今回初めて知ったのですが、調べてみたら、ど うも地域に三つの神社があるということではなさそうですね。 浅草の方は「浅草寺」の草創にかかわる三人の人物を「三社権現」と して祭ったことに始まるようです。 伊豆三社の方は、今もあるのでしょうか。こちらも恐らく三柱の神様 をセットで勧請して「三社」と呼称する‥などの例で、恐らく別の名 前の神社名があるのではないかと想像します。 答えになっていなくて、すいません。

noname#25898
noname#25898
回答No.1

伊豆権現のほうは、知りませんが、三社祭りで、知られる三社様の由来は、こうです。 宮地川(隅田川ですが、家康が川を整備して、荒川とくっつく前です)で、漁師の兄弟・檜前浜成(ひのくまのはまなり)竹成(たけなり)が、打っていた網に一寸五分の金色の観音さまがかかり、その地を治める、土師値仲知(はじのあたえなかとも)に相談したところ、ありがたいものだから、祀ろうということになったのが、浅草の観音様の始まりだそうです。 その3人を祀ってあるのが、本堂の右隣りにある、三社です。

関連するQ&A