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過去の音楽がもたらす効果。

誰にでもあるはずですが、昔聴いていた曲を久々に聴き返すと、当時の心境が鮮明によみがえります。 昔の写真を見るよりも、昔の音楽に触れた時の方が、格段に懐かしさがこみ上げます。 なぜあんなにも鮮明なのか、未だに不思議です。

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  • ruehas
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回答No.2

こんにちは。 「懐メロ」というのは誰の心の中にもあるものですが、これは「大脳辺縁系」の中の「扁桃体」というところに学習された「情動記憶」です。 我々が一般に「記憶」と呼ぶのは大脳皮質に学習され、知覚情報や論理的な思考として再現されるものですが、これに対しまして、「情動記憶」といいますのはそれとは別の学習記憶で、大脳辺縁系に入力された知覚情報に基づいて発生した「情動反応」の結果が記憶されたものです。ですから、これは「情動反応」として脳内に再現されるものですから、これによって蘇るのは「感情の起伏」そのものなんですね。 視覚や聴覚etc.などの知覚情報は、大脳皮質での「認知作業」、即ち記憶を呼び起こしたり考えたりするための「連合野」に送られるものと、情動反応を司る大脳辺縁系に送られるものの「二系統」に分岐しています。ですから、昔の写真を見たり、懐メロを聞いたりしたとき、そのときの状況などを思い出すのは大脳皮質の仕事であり、同時に大脳辺縁系では「懐かしき思い」が情動反応として蘇ります。 この二つは並列回路であり、同時とは申し上げましたが、大脳皮質では記憶の検索や認知といった複雑な作業がありますので、たいがいの場合、大脳辺縁系の情動反応の方が先になります。情動反応というのは発生するまで知覚することはできませんので、「自分の心が動いたぞ」と思ったときには既に情動は発生してしまっています。 もちろん、大脳皮質が何かのきっかけで記憶を再生し、それに対して情動反応が発生するというパターンもあります。大脳皮質と大脳辺縁系は並列に反応するだけではなく、お互いが瞬時に信号を送り合っています。これにより、我々の脳内には「過去の状況」と「懐かしの思い」がセットで構成されます。 「昔の写真」と「昔の音楽」ということですが、視覚情報と聴覚情報ではその二次的な性質に違いがあります。 共に、 「大脳皮質―認知作業―記憶」 「大脳辺縁系―情動反応―情動記憶」 というプロセスに変わりはありません。 ですが、視覚情報といいますのは色や形、構成・位置関係といったものに対してある程度の論理的な思考が必要になります。もちろん、見た瞬間に「きれい、素晴らしい!」というものもありますが、状況が分析されなければ判断の付けられないものもたくさんあります。 これに対しまして、聴覚情報といいますのは、音の大きい・小さい、音の方向、音質、このようなものは瞬時の反応として処理できてしまいます。ですから、あとは音の時間的変化に追従すればほとんどの判断は下せてしまうわけです。まして音楽というのは、そもそも聴くひとの心に「高揚感」を発生される目的で作られているものです。従いまして、言い返せば音楽を聴くというのは自分の心の中に豊かな情動反応を発生させて楽しむということなんですね。単なる聴覚情報ではなく、音楽に対する情動記憶が鮮明なのは、やはりこのせいだと思います。 さて、誰の心の中にもある、この「懐メロ」の正体とはいったい何でしょうか。それは、「大脳辺縁系の情動記憶」であると申し上げました。ところがそれだけではなく、実はここにはもうひとつ「まだ若かりし感受性の高い時期に獲得された情動記憶」という注文が付きます。どうしてでしょうか。 たいへん残念なことですが、我々は年齢と共に「感受性」というものを失ってゆきます。この「感受性の喪失」とは「情動行動」に対する「計画行動(理性行動)」の比率が高くなることによって起こるものであり、別に感受性そのものを失ってしまうということではありません。いうなれば、成長と共に感情が表に出なくなるということですね。 「情動行動」といいますのは大脳辺縁系の情動反応に従うものです。これに対しまして、「計画行動(理性行動)」というのは大脳皮質が司っています。ですから、子供のうちは誰でも「情動行動の比率」の方が高いのですが、成長に従い、大脳皮質の発達と生後の学習・体験に伴って「計画行動の比率」がどんどん高くなります。結果的には感情の起伏が目立たなくなるわけですね。そして、こればかりは何びとといえども体験をしないというわけには絶対にゆきません。 ですから、「懐メロ」というのは概ね二十歳後半から三十代以降の心理現象ということになるわけですが、もう少し若くても、子供の頃に比べれば素直な感受性が幾分かは必ず損なわれているはずです。残念ながら、これが「懐メロ」の正体です。ですから、よけいに感慨深く、懐かしさが込み上げてくるのではないでしょうか。 ですけど、心の中にこの「懐メロ」があるということは、それは間違いなく自分にも豊かな感受性を余すことなく発現させていた時期があったということの動かぬ証拠です。感受性というのはなくなってしまうのではなく、表に表れなくなるだけです。ですから、幾ら年を取ってしまっても、それが昔懐かしのメロディであるならば、我々は何時でも心の中にふくよかな情動反応を発生させることができるわけです。

oasisnirvana
質問者

お礼

専門的な回答ありがとうございます!! 目と耳では記憶のされ方が全然違うんですね。 非常に勉強になりました!!!

その他の回答 (1)

回答No.1

記憶の回路と大脳辺縁系の回路がつながるからでしょう。特に音楽は数多くの情報から構成されていて、より記憶の回路を刺激するのでしょう。言い換えれば、気に入った音楽は、数多くの情報が込められていて、より強く記憶の回路が刺激されるのでしょう。写真は、気に入った音楽ほど情報がないのでしょう。「気に入った」写真であれば、違うかも知れません。刺激的な写真は、大脳辺縁系を刺激するものです。

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