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いとこ姉妹の共著年賀状に対して
もう随分昔の事で、私が中学くらいの事ですが、小学校か幼稚園か位の幼い姉妹のいとこから、共著で年賀状をもらったときに、非情に怒りがこみ上げてきました。内容にではなく、「共著」という一種の責任逃れと言うか、「個」と「個」の交わりを回避するような安易で無責任な姿勢にです。そりゃあお姉ちゃんと妹と一緒にお兄ちゃんに出したいと思う安易な子供心でしょう。しかしそれをわかっていてもなお、怒りがこみ上げてきて、一人づつに攻撃的な年賀状を送り返してやった事があります。 私は「孤独」に参っていました。家でも孤独学校でも孤独です。しかも、不快な人間ばかりが身近にいました。安易に日常を共有でき、不満を分かち合うような人間がいなかったのです。それが「嫉妬」と言うものでなくもっと「絶望」と言うものさえ、その「共著」によって感じさせられた、そんな感じがしたんです。私は孤独すぎたのでしょうか。
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お礼
まず、ただ心底「ありがとうございます」と言いたいです。パソコン画面を通じてと言え、これほど「私」を分析受容していただけたのは、貴重な事です。 そして、おそらく私の無意識領分とを省みても、おそらく大筋で流れとしてはao-bさんのいわれるとおりの事態なのであろうと思われます。 しかし、補足的ですが、3番で引用していただいた私の「兄弟」に関する質問の回答で、私自身が感じている通りに回答したものであって、やや私事を除いたと言うだけで率直な意見でした。事実、子供のころから会った一人っ子やら兄弟を持つ子供に関して、なんら相関的な差異は感じられませんでした。で、これはかなり素質の問題なのかとか兄弟以外の環境によるのだろうと結論は自分で出していたわけです。 でも私の場合は極端で、兄弟がいないことが極端に響いた体験があり、向いていない事を強いられた(性格環境肉体条件など)うらみがあります。 それに私から出す情報量が少なすぎましたね。あだ質問文800字というのでなかなか難しい。年賀状は問題点が現れたある発火点であって、本質ではないわけです。 しかし、本質が見えても解決の方法がわかるかというとあまり自信がないですね。つまり、もう「孤独」を感じないようになりたいという希望だけは核として残ります。それを育てるには?あるいはそういう過去の慰めを求めるのでなく、別の行動もあるのか? 私自身は、芸術活動(音楽)を生活のなかに取り入れたい、あるいは中心にしたいと思います。自分がステージに立って人を楽しませる事、それが過去の孤独の清算につながるように思えます。しかしこれは脈絡ないんですよね。