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遣隋使、小野妹子
名前は女っぽいけど、男なのは知ってますが。それはさておき、聖徳太子から派遣を任じられて中国へ渡った訳ですよね?言葉も分らない。中国の地理も分らないであろう使者が、どうやって時の皇帝もしくは主要と会えたのでしょうか?アポなしで行ったら、上陸した時点で異人扱い(異人だけど)で殺されたりするんじゃないでしょうか?詳しく教えてくださいm(__)m 。
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本論に戻って遣隋使、遣唐使の話ですが、最初の遣隋使は隋書の記録しかないので、二回目の小野妹子の場合についていうと、渡来人の通訳など数十人が同行し、多くの土産(貢物)を持参しました。 まあ朝貢とも見られます。 上陸し隋の役人に会い案内されました。 国書に問題があっても歓迎されるわけです。 のちに返礼の使者が日本に来ています。 どんな物を持参したか、のちの遣唐使の例では、銀500両、絹、木綿、麻の織物、瑪瑙、金漆、甘葛汁、椿油などの貴重品です。 これらは、留学生の滞在費のほか、持ち帰った貴重な仏典などの帰りの土産の代価とも見られ、一種の貿易で朝貢とはとけしからんと、目くじら立てることもないようです。 人数も733年の真人広成の時は総数590人、通訳、医師もおり相当する貢物は多額の費用になったでしょう。 海難で水没することも多く国の負担大でした。 砂金も贈られましたが、後期の遣唐使の話です。
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- kigurumi
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>2400年前にヒマラヤ山脈、中国西南地辺りから、米が日本に入ってますね。で、中国の諸侯達が争いを避けて、日本に来た(亡命?)。そこでは先住日本人と交流してますね、一緒に米(ここで中国語を学ぶ?)作り。 米は少なくとも縄文時代から始まっていたようです。 大々的に行われるようになったのが、先住民である縄文人と渡来人が合同で暮らすようになってからみたいです。 ↓ http://www.showtime.jp/tv/nhk/f_nihonjin.html (ここの第5集) >つまり、春秋時代ですから、まさに戦国真っ盛り(詳しくないけど)、後に秦の政が中国を支配し、始皇帝になる訳ですから。 渡来人が日本列島に来た理由の一つも、戦乱を逃れて新天地を目指し日本列島に来たということもあったでしょうね。 そして戦国時代を生き抜いた人たちにとっては縄文人は赤子の手をひねるようなものだったのでしょう。 上のリンク先に、縄文人の遺骨に、無数の縄文人のものではない大きな矢じりがつきささった映像があります・・・・ >日本では米が入ったはいいけど、田んぼに必要な水を争い始めますね。 渡来人が住み着き、数十年で付近にいた縄文人の数を追い越したみたいです。 やはり稲作のより良い技術を持っていたので、食料確保が容易になり、人口が増えていったと思われます。 >村から国(豪族)が出来て、それ同士が争う。 縄文人は争いをした形跡がまだ見つかっていないようですが、縄文人と渡来人の間では戦乱の時期があったことが遺跡から伺えます。 >で、福岡の辺りにある奴国が後漢(間に前漢とかあるから月日経ってますね、紀元57年ですし)の光皇帝に使者を送ってますね。 あと、この奴国は卑弥呼没後の大和時代初期ぐらいに朝鮮半島と貿易をしてますね。で大和政権が中国、九州地方の豪族を滅ぼし、朝鮮半島へ進出して、伽耶を攻め、百済と同盟を組む。この時、倭の5王が存在。讃が応神か仁徳か履中。珍が仁徳か反正。済が允恭。興が安康。武が雄略と。補足か次の回答のお礼へ続きます。 大陸の歴史 も (苦笑)苦手なので、この機会に日本と大陸の歴史の比較表を作って考えようとしたのですが、、、、 やめました。 笑 コツコツとやるのが苦手なようです。 変わりにコツコツとやった人の書いたものを紹介します。 http://blog.goo.ne.jp/seigo_goo/c/3c293937012c2c37a093c1280ce618db http://blog.goo.ne.jp/seigo_goo/c/4dd1f2d1d8cd70c9fadb53f92382f493 日付からみると、各ページ 下から読むと順番になるみたいです。 【ちなみに、これまでずっと「日本」といってきましたが、この7世紀以前の古代の日本では、まだ「日本人」と言いません。中国を中心とした東アジアの中で、日本と日本人は、倭人(わじん)、倭国と呼ばれていたんですね。】 とあります。 この人の説明を聞いたのか、別の本だったか忘れましたが、大陸のどっかからすると、日本は別の国という認識ではなく 地方 みたいな感じだったらしいです。(川の向こうの自分たちと比べたら文化が 低い(倭)人々。 つまり 九州からすると東京が日本の中心であり、憧れの場所であるように、日本列島に住んでいる一部の人からすると、中国が花の都だったようです。 そして いつか あそこで一旗あげるぞ と。 松岡正剛さんは21世紀の智の巨人とも言われている人で、 ↓ http://www.isis.ne.jp/video/junior_high/scenario_1.html にまとめていると思われ <稲 鉄 漢字> について映像化して説明されているようです。 (プロモーションビデオをみると、「なるほど で? で? で? 」ってところで画面が「はい ここまで」って切り替わってしまうんですよね。 買えってことでしょうか? 高い・・・ レンタルビデオが出ていない。) 一応 彼は今までの研究者たちの本を読んでまとめているようなので、トンデモ話になっておらず、テストの答案用紙に書ける内容のようです。 プロモーションビデオは・・・ ↓ http://encul.impress.tv/host/pj/sgb/ このページの左の方に 「XYZ日本史」ってとこです。 そこにサンプル視聴ってところがあります。 で、肝心の今回の質問の内容に沿った説明がそのビデオにあるかどうか。 そのビデオに紹介されているか確信は無いのですが、先に紹介した彼のブログを読むと、大陸と日本の一部の豪族同士の親密な関係は断続的ではあるがあったようです。 中国が戦乱に突入してしまい、日本と交流どころではない という事態になりましたが、日本は「まだ? 終わらないの? 鉄ゆずって」と待っていたのかもしれない。 そして鉄の輸入が再開されると、今度は日本が戦乱というか一部の豪族が、日本の中心となろうとしたようです。 天下を取るためには武器がいる! ってことでしょうか。 そして大陸の鉄の産出の仕方を一気に引っ越してきた渡来人が教えて、タタラ場の原型ができた。 縄文時代には考えられないような血で血を争う殺戮に突入。
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- ちゅう
お礼
回答ありがとうございます。仰る通りが歴史みたいです。
- kigurumi
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>宮崎映画って自分の中ではどこが面白いのか分らないんですよね 私も苦しむ子供に<幻>を与えて、一時夢を見させている、と思っていました。 麻薬みたいなものだと。 でも、苦しむ子供には必要な麻薬なのかも と。 だから、テレビで放映されても、あまり食い入るようには見ませんでした。 しかし、もののけ姫に関しては違いました。 何故なら、異形の王権の類を少し知っていたからです。 日本の歴史の中で、辺境に追いやられた人たち、タタラ場や包帯グルグル巻きの人や、非人、聖なる娼婦 鬼のことについて少し知っていたからです。 観ながらもののけ姫に出ている人たちが、歴史の中に埋もれた人たちとなんとなくリンクできたので、「これは・・・・」と思って興味深く見ることができたわけです。 彼らは何者なのか 誰の子孫なのか 宮崎監督はどこまで知っているのか と。 ただ、監督は踏み込みが浅い という意見もあります。 しかし、何かの勢力によって、抑えるように圧力がかかったのではないか という意見もあります。 もしそうなら、その圧力とは、、、 ああ、、、と私なりに推測しました。 またまた蛇足ですが、私、クムランという物語のファンで、最新作が日本語に翻訳されるのを待っているんです。 1と2巻は日本語に翻訳され、翻訳者が「3巻目は日本が舞台だそうです 日本のファンのみなさん まっててください」と言ったのに、何年たっても翻訳されない。 英語にすら翻訳されていない。 フランス語だけ。 私 フランス語は読めないんです。 筆者がどこまで日本の宗教について知っているのか知りたかったのに、翻訳されないので、知りようがない。 筆者はあらぶる女神とも例えられ、ユダヤ教 キリスト教に雷を落としたような内容を本にしました。 しかし、翻訳が出ない。 ある集団から圧力がかかった? とにらんでいるんですけど・・・・ >で、カタカナですけど、イスラエルのヘブル文字が日本へどうゆう訳か来たって事だったかな? 数文字一致していたのなら、偶然という類で片付けることができますが、ここまでそっくりだと、もはや故意に と思わざるを得ないですよね。 (ちなみにヘブル語は22文字しかないので、50音全部を比較することはできない) 一説によると、、、、、 またまたトンデモですが、漢字すらヘブライ人が編み出したという話も聞いたことがあります。 ヘブル語も漢字も象形文字なので、、、、でも これだという確信をまだつかめていません。 >その時は上杉謙信は女だった説の方がインパクトあったし、 私はもののけ姫の詩を読み 弓月王は女だった? と一瞬思いましたが、笑 宮崎監督の作品は女神崇拝が色濃いので、主人公はいつも女の子なので、サンを弓月王の直接の子孫として設定したとしても、宮崎監督の趣味から 笑 女にしてしまったのかな? と思いました。 >塩じいって誰でしたっけ? 山幸彦を竜宮に案内したものと同一人物と思われる塩土老翁です。 http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/yamasati.html 上の物語に卑弥呼 登場するのでしょうか。 ちなみに卑弥呼って本名じゃないですよね。 恐らく日巫女のことで、職業とか肩書きのことだと思います。 何故なら真の名を隠さないとやばいから。 >倭という名称は中国が勝手に付けたんじゃなかったでしたっけ? あ、、、調べてみました。 (wikiは時間帯によって すごく重くなります。) ★倭 【倭(わ、やまと)は、紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称である。倭の住人を倭人と呼ぶこともあった。紀元前後頃から7世紀末頃にかけて、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国と自称した。】 ★【倭国(わこく)は、古代の中国大陸の諸王朝やその周辺諸国が、当時日本列島にあった政治勢力あるいは地域を指して用いた呼称。倭ともいう。7世紀後半に日本へ移行した。】 他には 【中国文献においては『論衡』異虚篇第18・恢国篇第58の記事に「倭人」が見えている。同書では倭人が周王へ暢草(薬草)を献上したと記述しており、これは紀元前11世紀頃のことと考えられている。当時、日本列島は縄文時代後期であり、この頃から日本列島と中国との通交が始まったとする見解もあるが、『論衡』の成立が1世紀であるため、同書に依拠することに慎重な見解もある。】 【607年の遣隋使では、倭王ではなく「日出處天子」と称したことが『隋書』に残されている。これには、中国と対等の地位で通交するため、あえて倭を称さなかったとする見解がある。しかしこのことは中国との外交に大きな影響を生じさせたため、その後再び倭を称するようになった。】 (倭って「低い」とかそういった意味を持ちます。) (少なくとも1世紀には既に こっちの集団とあっちの集団で交易があった。) 【7世紀最末期には新国家体制を規定する大宝律令の編纂がほぼ完了したが、同律令施行直前の701年前後に国号が倭・倭国から日本へ改められたとされている。以後、日本列島の中心的な政治勢力が倭を自称することは絶えた。】 ★任那 任那(みまな、にんな 369年 - 562年)は古代に存在した朝鮮半島の地域。 三韓の中の弁辰、弁韓、および馬韓、慕韓の一部の地に相当する。 ★任那と任那日本府 【記紀の記述をもとに、任那日本府は倭国の属領もしくは貢納国であり、任那地域に権益(おそらく製鉄の重要な産地があった)を有しており、事実上の属領であったと考えられていた。 しかし、1960年代頃から韓国や北朝鮮において旧来の日本の歴史観に対する反発が起こり[1]、また日本でも1970年代頃より新たな視点から再検討が行われた結果、記紀に記されているヤマト朝廷の直截的な任那支配は誇張されたものと認識されるようになり、任那日本府については倭と関連する集団(倭臣、倭人集団)が任那地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたとする説が主流となってきている。ただし、近年になって任那に相当する地域から日本特有の墳墓である前方後円墳が相次いで発見されたため、倭と任那の関係については更なる見直しの必要に迫られているというのが実情である。】 もしかして任那日本府は、ヤマト朝廷の直轄地ではなかったのかもしれない。 日本という集団の直轄地だったのかもしれない。 では 本体 日本はどこにあったのか。 大陸に貿易港を置いて交易を行っていた集団。 日本列島にあったとして、大和朝廷がそこまで船で行かなくて、中国大陸のその場所に行った方が楽だったので、ヤマト朝廷は日本と取引する時、そこを交易の場としていたとすると、、、。 秦氏は日本列島に渡ろうとして、任那までやってきた。 新羅に阻まれ大群では通れない。 任那日本府に駆け込み援軍要請。 応神天皇ってどのグループ???? 日本??? さらなる混迷をきわめてしまいました。 >言葉も分らない。中国の地理も分らないであろう使者が、どうやって時の皇帝もしくは主要と会えたのでしょうか?アポなしで行ったら、上陸した時点で異人扱い(異人だけど)で殺されたりするんじゃないでしょうか? 少なくとも古代、大陸にこっち側のどっかの集団が領地を持っていた時期が少なくと1回はあったことになりますね。 韓国にも古墳がある。 そして日本列島に秦氏が来た途端、日本列島の古墳が巨大化した。 謎だぁ。
お礼
度々回答ありがとうございます。宮崎作に限らず、映画は置いといて。秦氏や卑弥呼について紹介して頂いたサイトの1,2を見ました。 >卑弥呼の意味は、日向の女王という単純な意味になろう。 2の一部を抜粋。推測ですけど、2を読むと、どうも邪馬台国=九州って感じですね。30の部族を従え常に千人の下女が周りに居たという規模の国。 それはさておき、本日は図書館で、本を読んだり、借りたりしました。子供向けなんですけどね。イエス・キリスト(キリストの使徒達がキリスト教を作ったんですね(^^ゞ)の伝記を読んで、集英社の日本の歴史の2の弥生時代と3の大和時代。他にも借りたけど本件とは関係ないので。 とりあえず、思いつくまま書きます悪しからずm(__)m 。 まず、2400年前にヒマラヤ山脈、中国西南地辺りから、米が日本に入ってますね。で、中国の諸侯達が争いを避けて、日本に来た(亡命?)。そこでは先住日本人と交流してますね、一緒に米(ここで中国語を学ぶ?)作り。2400年前の中国。 http://www.allchinainfo.com/history/nenpyo/nenpyo.html つまり、春秋時代ですから、まさに戦国真っ盛り(詳しくないけど)、後に秦の政が中国を支配し、始皇帝になる訳ですから。余談で西洋はローマ帝国です。 日本では米が入ったはいいけど、田んぼに必要な水を争い始めますね。村から国(豪族)が出来て、それ同士が争う。で、福岡の辺りにある奴国が後漢(間に前漢とかあるから月日経ってますね、紀元57年ですし)の光皇帝に使者を送ってますね。 あと、この奴国は卑弥呼没後の大和時代初期ぐらいに朝鮮半島と貿易をしてますね。で大和政権が中国、九州地方の豪族を滅ぼし、朝鮮半島へ進出して、伽耶を攻め、百済と同盟を組む。この時、倭の5王が存在。讃が応神か仁徳か履中。珍が仁徳か反正。済が允恭。興が安康。武が雄略と。補足か次の回答のお礼へ続きます。
補足
先程、ウィキベティアを久々にアクセスしたら、出来ました(^^) 。でも、ダウンロードに時間がかかったり、すぐ重くなったりしますね(^_^;)。 何とか使えそうです。自分なりに研究し、まとまったら、No11のお礼に書きます。
- kigurumi
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No.4,5,7,8です。 >もののけ姫・・・今度観ます。 設定は中世の物語のようですが、古代日本に関連している映画だと思えます。 参考資料 その1。 http://www.geocities.com/Heartland/Valley/8116/mononoke.html この映画に出てくるサンと狼たち、イノシシ、タタラ場で働く人(包帯ぐるぐるまきの人)、エボシ御前、柿色の装束の人、タタラ場に物を買いに来て追い払われた人、神の化身の鹿、アシタカ(すいません エミシじゃなくてアシタカでした。) この人たちは誰なのか。 呪いとはなんなのか。 何故日本では鹿が神の使いとされたのか。 映画を観て、メノラーか・・・と思い当たりました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC 生命の樹です。 ヘブル語でなんという単語か忘れましたが、角という単語は他に光 という意味があります。 参考資料 2. http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp%26field-keywords=%E7%95%B0%E5%BD%A2%E3%81%AE%E7%8E%8B%E6%A8%A9%26results-process=default%26dispatch=search/ref=pd_sl_aw_tops-5_books-jp_7634496_2&results-process=default?tag2=jp-ja-google-22 情報を得た上で観ると、とても重い映画だということがわかると思います。 だから世界で高い評価を得たわけです。 >文法ですが、同じですよ。 あら、、、 中国語は語順が 主語・述語・目的語。 これは英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・ヒンドゥー語、ペルシャ語などといった、インド・ヨーロッパ語郡。 日本語は、 主語・目的語・述語。 朝鮮語やモンゴル語などの騎馬民族の語群。 でも、語群じゃなくて、古代の単語だったと思うのですが、どっかとすごく似ているらしい。 どこだったかな? 南方という印象を受けたのですが覚えていません。(古代タミル語???) >インディアンはロシアからアラスカに渡ってアメリカに辿り着いたとの事。 あーー そうですね! 日本にガド族がとどまったとすると、日本に渡らないでまだ移動をした部族がアメリカ大陸に渡った と。 だから似ているのか・・・ と一人で納得してしまいました。 えっと、日本には言霊ってありますよね。 で、昔は名前を通称で通していて、真の名を相手に隠していましたよね。 どうしてかというと、真の名が知られると、相手に呪われる可能性が出てくるから。 リーダーを殺すと、その親戚全部も皆殺しにしますよね。 なぜかというと 生き残った物が復讐するから。 真の名がわかると、相手の本質(源)がわかり、親戚を見つけ出して皆殺し。これで復讐されない。 生き残った者が生きるためには氏を新しく作り、他人として装い生き延びるという戦略。 「祟り神になっては駄目」もののけ姫のサンの悲痛な叫びです。 で、ゲド戦記の作者 アーシュラ。 彼女にはネイティブアメリカンの血が流れています。 その伝承をゲド戦記に入れました。 ゲド戦記には 真の名 という概念が出てきます。 あの世界の人々は、通称で呼び合います。 自分の真の名はよほど信頼する人にしか教えません。 なぜかというと、真の名は その人自身を表しており、相手の真の名を知ったとき、相手を手中に収めたことになるから。 ゲド戦記に龍が登場します。 ハイタカ(ゲドの通称)は龍の真の名がわからず、苦戦します。 そして調べてやっと龍の名がわかった。 それで相手にそれを告げると、龍はハイタカの手中に入ったことを知り、戦うことをやめました。 何故ハイタカは龍を殺さなかったのでしょうね。 真の名 本質 名づける という概念は、アーシュラ中に流れる部族の概念なのだそうです。 ヘブル語もそうです。 そのもの・本質を直接表す文字があのヘブル語なのだそうです。 パレスチナ・日本・アメリカ これを線で結ぶと星座のどれか意味するかもしれません。 (昔は呪術が重要視されており、伊勢神宮もそれによって移動した。) >言葉に関してはカタカナは唯一の日本に存在すると思われがちですが、 いえ、イスラエルの遺跡からカタカタが発見されています。 比較してみましょうか? http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/img3/kana.jpg ただし、そのヘブル語 日本でいくと ひらがな とか草書、、、とかそんな種類の場合だったと思います。 >去年、ラジオで聞いた話によると、映画「マトリックス」(観てません) >のタイトル画面がカタカナを反対にしたものらしい。 >で、カタカナはヘブライ文字であるとか何とか(よく覚えていません。 え? そうなんですか? 知りませんでした。 で、さっそく調べました。 あー、、、、 あの緑のネオンで雨が降るような感じですね。 ただし 日本のカタカナじゃなくて ヘブル語ですね。 ネオは目覚めてzionに行きます。 つまり覚醒して源に帰るってことです。 zionは日本ではシオンと訳されており、聖書に出てきます。 ユダヤ人の帰還運動ありますよね。 神が預言したものです。 将来全部族はシオンに戻ってくる と。 MATRIXのMAは多くの言語が母を意味するそうです。(アイヌ語もそうらしい)。 Mはヘブル語でメム。水のこと。 Aはアレフ 最初の文字です。 MAで誕生とか そういう意味になる。 だからMAに物という言葉のterをつけてMATTERとすると、本質って意味になる。 MAにtrickがつくと。。。。 ネオたちは偽の母の胎内に入れられ養分を吸われていた。 母親だと思っていたが、騙されていたわけです。 マトリックスってコンピュータ用語で配列とかそういう意味だったと思います。 映画ではウイルスの仕業でしたが、コンピュータのプログラムが流れるようにしていると思っていましたが、二重のひっかけだったんですね。 すごい! 教えていただいて ありがとうございます。 >それはともかく天皇は今の天皇が民間人と結婚しましたが。 以前 今の皇太后様じゃない人の元を辿ろうとしたことがあります。 残念ながら辿れませんでした。 が、付近の伝承を読むと、あれ? え? と思うようなものがありました。 ただ、繋がらない。 でも、全く血筋が別の家系からはもらわないと思うんです。 顔 とくに鼻が。。。。。 プリンセスの鼻も・・・・ 何故パレスチナ鼻? とか思ったりしました。 >宮崎(日に向かってるから日向という地名)出身だけど、もっと日がよく見える所へ行こうって事で移動したというのが、 そう教えてくれたのが塩じいですよね。 塩じいは、東の方から来た人がいると神武天皇に告げると、東から来たものはニギハヤヒだ と神武天皇が応えたと記紀には書いてある。 つまり 九州で勢力を持っていたのが神武天皇。 神武天皇が知らない東の国で勢力を持っていたのがニギハヤヒ。 少なくとも2つの大きな勢力があったことが伺えます。 で、神武天皇は東の国も欲しくなった。 その話を読んでいると元祖八咫烏?と思えるものが出てきた。 何者? 神武天皇は金鵄の力を借りて野望達成。 金鵄の正体は? 謎だ。 とあれこれウロウロしても、「これだ!」という決定打が無い。 で、、、おもしろいもの 見つけました。 ★任那 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3 任那日本府ってものが、大陸にあったわけですよね。 府って何? もし 北海道に東京府ってあれば、それは北海道の中に東京の土地があるってことですよね。 もしくは大使館みたいなものがある。 植民地?? 少なくとも、その当時 日本という集団があり、大陸にそこらを統治していたってことですよね。 日本ってどの集団のこと? 【倭国の属領もしくは貢納国であり、任那地域に権益(おそらく製鉄の重要な産地があった)を有しており、事実上の属領であったと考えられていた。】 そして日本にタタラ場を作った? その集団とは!? 倭国? 倭国って国名じゃないの? って悩みました。 日本という集団が大陸にあり、合併して倭国になった? 違う、倭国と日本という別々の集団があり、仲良かったのに何かあって、戦って勝った方が自分たちの名前をつけた。 と考えるのはどうでしょう? ほんと タイムマシンが欲しいですね。 最後に、あまりにも膨大なので、私自身が読めてないのですが、 どぞ。 ↓ http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_J.html 秦氏や卑弥呼に関する考察も載っています。 ただし、理解するのが大変です。 あれがこうで、これがああで ええっと・・・って(苦笑)
お礼
回答ありがとうございます。宮崎映画って自分の中ではどこが面白いのか分らないんですよね。以前はトトロとか魔女の宅急便とかラピュタ、ナウシカとか観て、どこが面白いのか分らないので「もののけ姫」から全く観なくなりました。裏目に出るとは(苦笑)。 最後の紹介URLはざっと目を通しました。確かに大変そう。 中国語は違うんですね。僕も先生に聞いた話だし、英語で聞いたし、先生も日本と韓国と中国の違いが分らないというか欧米の人から見ると区別が付かない、こっちも向こうの事付きませんしね(苦笑)。実際、欧米の描くオリエンタルの映像って怪しいですもん(笑)。 で、カタカナですけど、イスラエルのヘブル文字が日本へどうゆう訳か来たって事だったかな?ラジオの話。よく覚えてないけど。その時は上杉謙信は女だった説の方がインパクトあったし、先述の通りマトリックスという映画観てないんで。 皇室ですが・・・華族で対象が居なかったから民間になったんですかね? 確かに特徴的な顔してるし、血の濃さの現れでしょう。今の皇太子にしろ、嫁いだサヤコさん(でしたっけ?)なんかもそっくり!パーツが。パレスチナ鼻と言われても(・・?) ですけど。 塩じいって誰でしたっけ?昔そんな名前の人が居ましたね。 倭という名称は中国が勝手に付けたんじゃなかったでしたっけ? 紹介して頂いたサイトでまだ見てないのは見ます。しかし、我が家のPCではウィキベティアが無理みたい(>_<)。
- kigurumi
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No.4,5,7です(笑) >となると日ユ同祖論になっちゃうんですよね・・・・。 日本人はDNAで分けると7種類くらいになるらしいです。 日本語は、漢字も使っていますが、文法は中国とは違いますよね。 どこだったか忘れましたが、どっかの語群と似ているそうです。 (確か南方系だったような) 漢字は後から入ってきて、古代日本語に当てはめて使うようになりましたが、それでもひらがなが残っていますよね。 一つの説だと、古代どっからか日本列島にやってきて、のどかにやっていたら、大和民族が大陸かどっかから入ってきて、エイエイエイってのどかな農耕民族を「はしっこにいきなさいよ」と追いやってしまったみたいで。 でもはじっこにどかず、同化することで、いついちゃった人たちもいたと思うんです。 沖縄人とアイヌ人と大和民族の子孫?と思える人たちって、見かけからしても違うし、確かにDNAレベルでも元が違うらしい。 古代の天皇も渡来人という説がありますよね。 つまり日本人は1人種じゃない。 今日本列島に住んでいる人たちは、ミックスされている。 (天皇家や一部の豪族の子孫はもしかしたら、同族同士でしか婚姻はしなかったかもしれませんが) もののけ姫と狼は渡来人が来る前から日本列島に住んでいた人たちとして映画は描いていると思うんです。 (といってもどっかから やはり来たのだと思えるのですが) 日本の歴史は日本書記と古事記からしか見ることができない。 よく読めば古事記の一部はユダヤ教の天地創造とそっくり。 蘇民将来の物語は、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りと同じ。 偶然の一致にしては。。。。 記紀は神話っぽくなっているが、古代の勢力の活躍が神話として残っていると思えるのです。 もののけ姫ではイノシシが九州の人に例えられたように、ヤマトタケルに退治されたヤマタノオロチも 人 あるいは集団 だったと思います。 で、誰がそれらの神話・日本史の本を作ったのか。 誰が古代からあった日本の話と同化したのか。 一応 編纂者はわかっています。 が、なんでユダヤ教の天地創造や過ぎ越しの祭りなどを日本の歴史の資料に入れたのか。 誰がまるで南北の2種類のユダヤ教を同化して一つにしたかのような(和にして12支族を統一したかのような)神道を造ったのか。 ここが私が大いに気にかかるところなんです。 まったくの偶然で一切関係ないとなると すごい面白いな と思って。 で、さぐっていくとどうやら初代天皇が怪しい・・・・ 今神武天皇を調べている最中で、まだまとまっておらず書けません。 >12使徒・・・そのうちの一人が裏切ったとされるユダなんですよね。 >どう裏切ったとか詳細はまだ調べてません。 去年の4月頃、ユダの福音書が全世界に公開されました。 そこに書かれていた内容は、今まで2千年間言われていた通説をくつがえすものでした。 ただ、確かに本物らしいですが、書かれた内容が真実なのかどうかはわかっていません。 (誰も確かめようが無いから) >そもそも邪馬台国って卑弥呼以外誰も知らないから、どれくらいの勢力とか国の興亡も明らかでないし。 大和の前身かもしれないし、クーデターが起こったのかもしれないし、他の勢力と同化した あるいは 征服して勢力範囲が伸び、統治した地域が点在したのかもしれない。 そして今度は逆に滅ぼされ、生き残りが別の地位にいて、ふたたび盛り返して、大和朝廷を作ったのかもしれない。 一つ聞いた(読んだ)話だと、これまたトンデモかもしれませんが、、、 もののけ姫にエミシという男が出てきますよね。 もののけ姫のサン(日巫女?)に恋した男で、蝦夷一族の末裔です。 この蝦夷なんですが、古代奥羽から北海道にかけて住み、語源や風俗を異にし、大和朝廷にまつろわない(服従しない)人々の総称だ と。 平安初期には日本人に同化していくが、いわゆる我々が言うアイヌ人ではない と。 桓武天皇は蝦夷撲滅をかかげ、第三次蝦夷討伐でついに捕囚することに成功。 保護観察つきで留め置かれることとなった。 これが部落問題になっていったわけです。 彼らは何者か。 一つの説によると10支族の末裔。 では、大和朝廷をサポートしてきた秦氏は? 私はやはり10支族の末裔じゃないかと思います。 では、大和朝廷のトップにいた人たちは? これはまだわかりません。 しかし、神道は多神教のようで、実は一神教の特徴も持っている。 しかも、原始キリスト教の特徴も持っているように思える。 これだけ日本に入っていたら、大陸とのコネクションはあったと思えるのです。 「新羅が邪魔をして日本にいけないから、援軍派遣して!」 日本語しゃべったのでしょうか? 上陸したはいいが、右も左もわからなかったはずなのに、しっかり日本の天皇は援軍を送って、秦氏の集団を日本に来させたとなっている。 日本書記が歴史通り書いてあるのなら、確かに援軍を送ったのでしょう。 見ず知らずの者に大群を投入するはずがない。 ということは、双方とも同族だったからではないのでしょうか。 日本で成功を収めていたので、つてを頼って日本に渡った。 そう考えるのが自然じゃないかと。 >でも宮崎映画は話とそれるので、止めましょう。 あ、、、上から順番に返信していって、今読みました。 はい ではここでやめときます。(書いてしまった。関係があると思えたので)
お礼
回答ありがとうございます。ほんと詳しくて、勉強になります。もののけ姫・・・今度観ます。 文法ですが、同じですよ。これはアメリカに語学留学した時に先生から習った。日本語、韓国語、中国語、そしてアメリカインディアンの言葉は全部文法が同じ。それから、英語、スペイン語、フランス語など欧米の文法と大きく分けると2種類になる。先生も「英語とスペイン語などは兄弟だ」と言ってた。 で、前者は動詞が最後にくる。後者は主語の次にくる。 で、アメリカのオハイオ州ってありますよね。あれは日本語の「おはよう」からだそうです。それこそ、インディアンはロシアからアラスカに渡ってアメリカに辿り着いたとの事。 言葉に関してはカタカナは唯一の日本に存在すると思われがちですが、去年、ラジオで聞いた話によると、映画「マトリックス」(観てません)のタイトル画面がカタカナを反対にしたものらしい。で、カタカナはヘブライ文字であるとか何とか(よく覚えてませんm(__)m ) >つまり日本人は1人種じゃない。 今日本列島に住んでいる人たちは、ミックスされている。 (天皇家や一部の豪族の子孫はもしかしたら、同族同士でしか婚姻はしなかったかもしれませんが) 自分は2種類と聞いてます、中国系とユダヤ系だったかな?それはともかく天皇は今の天皇が民間人と結婚しましたが。それまでは華族など、限られた人と結婚してるから、血が濃い。近親配合といいますか。 神武天皇については僕も調査中。現時点で知ってるのは回答者様も既にご存知であると思いますが、天照大御神を初代とすると5代目で、初代天皇(今の平成天皇が125代目となるそうな)であり、宮崎(日に向かってるから日向という地名)出身だけど、もっと日がよく見える所へ行こうって事で移動したというのが、こないだ伊勢神宮へ旅行へ行った時にバスガイドさんから教わった話。 出来れば、ご教授を続けてください。
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No.4,5です。 返答すべく思考していたら もののけ姫 の歌が頭の中に流れてきました。 http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/mononokehime_w.htm 【悲しみと怒りに ひそむまことの心を知るは 森の精 もののけ達だけ もののけ達だけ 】 森の精= もののけ = 言霊 だけが真の名を語っている・・・ ってことでしょうか。 あの物語のような世界が古代にあったのかもしれません。 あの物語に出ているイノシシ=九州にいた民。 と解くと情況がなんとなく見えてくるように思えます。 >我が家の近くに2600年前に出来たという神社がありまして。 謎解きが必要になりますね。 神社伝承学が主張するところによると、本来の天照大神がニギハヤヒ尊だとすると、神武天皇は5代前の祖先に会ったことになるそうです。 ありえない・・・・ すごい長生きなことになる。 古代天皇は長生きだったのか? とするより、分身とすれば納得できると思うのです。 例えば、一人の神の名を5つの別名で呼ぶ。 一人の天皇を5人の別名で呼ぶ。 知っている人は、全部同一人物だと知っていますが、真の名を知られるとマズいので、それぞれ別人であったかのように装い続けるわけです。 すると一人の人が統治した期間が、5人の天皇 つまり数百年経過したかのように歴史ではなってしまうわけです。 浦島太郎の世界です。 竜宮とその他の世界では時間の流れが違っているかのようになる。 こんなエピソード。 籠神社の宮司、海部光彦氏はこう言ったそうです。 「ニギハヤヒ命とは籠神社の主祭神である火明命の別名なのです」 それで質問者が「記紀神話によれば天照大神とニギハヤヒ命、そして火明命は、まったく別の神として登場します。」 すると宮司は「神様の世界は、この現実の世界とは違います。神は空間も時間も超越することができます。ときには、御霊を分け、いわゆる分身をつくることもあります、まあ、SF的かもしれませんが、私はこれを 多次元同時存在の法則 と呼んでおります」 とにこっとして応えたのだとか。 神なら時間も超越可能? もっと現実的に考えれば、ああ、、、とわかると思います。 ということを考慮すれば、神社ができたのは2600年前じゃ 本当は無いかもしれない。 が、本当にそうかもしれない という思いもあります。 またまたトンデモなのですが、あくまで歴史からみた推測の域を出ませんが、謎がどうもひっかかるので、以下に書いてみます。 日本は山を神としてあがめています。 日本以外に山を神として祭っていた集団がありました。 イスラエル王国です。 「え? イスラエル人は山を神として拝んでいたのか?」 いえ 一部のイスラエルの子たちです。 ソロモンの時代 王国は一つでした。 がソロモンの死後 南北に分裂してそれぞれに王国ができ、それぞれに王がいた。 北のイスラエル王国は、首都をサマリアとしました。 南のユダ王国からすると北をサマリア または ガリラヤと呼んでいたらしい。 (ちなみに ガリラヤ湖のガリラヤって琵琶って意味らしいです。ガリラヤ湖=琵琶湖?) 北はゲリジム山を中心として宗教をしており、南はエルサレムに神殿をたてて宗教をしていた。 ユダヤ人とは南のユダ王国の人たちのこと。 ではイエスがいた時代に北王朝は? ありませんでした。 なぜかというと、紀元前722年にアッシリアに滅ぼされ上層階級(指導者層)の人たちはアッシリアに連行されてしまいました。 (北と南では北の方が繁栄していたので北がやられたのか。) で、連れ去られた北イスラエル王国の指導者たちは、ちゃっかり捕囚先のアッシリアで上層階級に食い込んでしまいました。 前612年 バビロンによりアッシリアは滅ぼされました。 では、元イスラエル王朝の指導者層の子孫は帰ってきたのか? いえ、 帰ってきませんでした。 山を神として崇拝していた集団の上層階級の子孫は一体どこいったんでしょうね。 ところでイスラエルの神器。3つあります。 アーク、マナの壷、モーセの杖。 神輿、古墳、国旗・・・ ・・・無理があるでしょうか。 あるユダヤ人は日本人が神輿を担いでいるのを見て唖然としたそうです。 何故古代使われていた神のいる場所、幕屋がこんなところで担がれているのか・・・と。 ちなみに わっしょいはワソイのことで、韓国の言葉からすると「来なさった」という意味にも取れるらしい。 戻って秦氏について。 紀元1世紀ころ、朝鮮半島に存在していた国家は大きくわけて3つ。馬韓、辰韓(秦韓)、弁韓。 最初は馬韓のみが存在していたが、どこからともなく大量の人間がやってきた。 三国志の東夷伝に韓伝、通称魏志韓伝という章があるそうです。 「かつて、秦の役を避けて秦人が朝鮮半島に逃げてきた。彼らは馬韓の人間とは風俗風習、言語などまったく違っていた。彼らの人数が増えてくると、馬韓の人々はこれを忌み嫌って地方の西方を分け与えた」 秦の役とはなんでしょうね。 (ちなみに大辟神社は京都市右京区太秦蜂岡町にある。秦氏の総鎮守) 秦人は非漢民族のことらしく、万里の長城より外に住む流浪の民を指していたそうです。 具体的には東北アジアからモンゴル、シベリア、そして声域の人々を秦人と呼んでいたらしい。 遊牧民族なら馬に乗っていた可能性もある。(騎馬民族) 彼らが馬韓にやってきた。 そして辰韓(秦韓)と弁韓となる国家を作り上げた。 それぞれ12の国からなっており、合計24の国ぐにからなっていた。 (12・・・・) とまだまだ続くのですが、この一部が日本にやってきた可能性がある。 >ローマ法皇はカトリックの人なので、プロテスタントなどの他の系のキリスト教徒は来ない。 えっと、、、イエスが所属していたのはキリスト教じゃありません。 ユダヤ教です。 イエスの時代 キリスト教はありませんでした。 キリスト教を作ったのはイエスではありません。 私が思うには、イエスは12支族を統一しようとしたと思えます。 12支族の中にギリシャ人やローマ人は含まれていません。 分裂したイスラエルの子らを一つにまとめようとしたんじゃないかと。 だから12使徒とは、それぞれの民族の新しい指導者として選ばれた人たちだったのではないかと。 >しかし、秦とこの隋の時代には三国時代(漢とか他にもあるけど)に >魏が邪馬台国に使者を遣わしてる訳で、これは全く別物なんですかね? >邪馬台国(弥生時代ですね)と天皇の関係が分らないし、 私もここが一番わからないんです。 多次元同時存在の法則に当てはめていいものかどうか。 3世紀末に書かれたとされていますが、原本はなく写本のみ残っているそうです。 紀記になく、中国にのみ記録が残っている。 日本の記紀を作るとき、故意に抹消された可能性もある。 邪馬台国は当て字で音読みすればヤマタイ もしくは ヤマト と呼べません? そして、もののけ姫の物語のような世界が・・・ もののけ姫 滅ぼされる・・・・
お礼
度々、丁寧な回答ありがとうございます。 >日本は山を神としてあがめています。 日本以外に山を神として祭っていた集団がありました。 イスラエル王国です。 それは去年聞きました、某異端系キリスト教から(苦笑)。詳しくは覚えてないけど。 >ところでイスラエルの神器。3つあります。 アーク、マナの壷、モーセの杖。 神輿、古墳、国旗・・・ ・・・無理があるでしょうか。 あるユダヤ人は日本人が神輿を担いでいるのを見て唖然としたそうです。 何故古代使われていた神のいる場所、幕屋がこんなところで担がれているのか・・・と。 ちなみに わっしょいはワソイのことで、韓国の言葉からすると「来なさった」という意味にも取れるらしい。 これ、今週聞きました、宇野正美のビデオより。 となると日ユ同祖論になっちゃうんですよね・・・・。 で、12使徒・・・そのうちの一人が裏切ったとされるユダなんですよね。全員の名前は知りませんし。どう裏切ったとか詳細はまだ調べてません。 邪馬台国ですが、主に大和説と九州説がありますよね。たまに違う地方からウチだって主張がありますけど(苦笑)。 自分も当初は大和説だと思ってました。でないと大和朝廷が誕生しないだろうから。ただ、自分の調べた範囲だと、当時の豪族の力関係からして、その可能性は低く、九州ではないか、らしいんですが、確証が持てません、いずれにせよ。そもそも邪馬台国って卑弥呼以外誰も知らないから、どれくらいの勢力とか国の興亡も明らかでないし。昔、卑弥呼を少年マンガ歴史で読みましたがよく覚えてません。90才まで生きたそうですけど。 ちなみに私は映画「もののけ姫」を観てません。話それますが、宮崎映画はどうも。だから、今夜の「千と千尋の神隠し」も観ませんし、ゲド戦記も観る予定はないです。でも宮崎映画は話とそれるので、止めましょう。 あと、その神社の宮司さんとは先日、同神社の伊勢神宮参拝旅行で初めてお会いしてので、親しくないので、あまり追求できないですね、現段階では。
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>言葉もわからない、中国の地理も分からない 最近出版された 「漢字伝来」岩波新書 によると当時は漢字、漢文習熟がブームでした。 教師は渡来人たちです。 遣隋使となれば容易に中国語、中国の地理に精通できた筈です。 ただその頃は家庭教師教育みたいで、教室教育になるのは後世だそうです。
お礼
回答ありがとうございます。共通してますよね。漢字、漢文。その教師が仲介人になって、向こうの皇帝らと会えたのでしょうか?
- kigurumi
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No4.です。 >ただ、我が家のPCが原因ですが、 関連があるところを【 】内に引用したかいがありました。 >最近、ブックマークするURLが増えて重くなったからかも。 私もブックマークに関しては大変な数になってしまい、やはりブラウザの開きが重いなどなり、一時ファイルを消去するなど対応していました。 (IEなら ツール→インターネットオプション→出たウインドウの上にある 全般 のタブをクリックして、真ん中の段にある 一時ファイル のところで ファイルの削除 でキャッシュが消せます) それとお気に入りにフォルダーを作ってその中にリンク先を入れてしまうと、表示数が少ないので、軽くなったような気になります。 それでも重い場合は、お気に入りのフォルダーを別な場所に移動して、空にする。 だいたい ルートは C:\document and setting\自分の名前のフォルダー\お気に入り にあります。 その出てきたお気に入りフォルダーの上で右クリック→コピー そして移動したいところ(例えばデスクトップの上にマウスをもってきて)で、右クリック→貼り付け これでお気に入りがデスクトップにコピーされたことになります。 確かにコピーされたものが開くか確認して、元のファイルを削除。 すると、またIEを開く時、勝手にお気に入りフォルダーを新しく作ってくれます。 今までのお気に入りのサイトを見たいときは、移動した方のフォルダーからアクセスする。 すると、軽くなったように思えません? さて、本題の >秦の始皇帝一族は孫の子嬰が項羽に殺されたので、血が途絶えたのでは? wikipediaに秦始皇帝の出生に関しての説が書いてあります。 私は秦氏に関してはいくつか説を知っています。 とんでも説? かもしれませんが、、、、 『秦の始皇帝の幼姓を政といい、荘襄王の子供と言われているが、華南王家出身のガド族の豪商呂不韋の実子だった。(wikiにもその説が書いてある)。 しかし、政略的見地でに因果を含められ荘襄王の養子となった。 秦の始皇帝こそ、イスラエルの失われた10支族ガド族王家の血筋を引くものだった。』 日ユ同祖論っぽい感じですが ^o^; が、まだあります。 新選姓氏録には秦氏のルーツは秦始皇帝の末裔と書いてあるそうです。 しかし怪しい。 秦の始皇帝や徐福が生きていたのは紀元前2世紀。 日本では弥生時代が始まろうとするころ。 一方、日本の紀記によると「秦氏は朝鮮半島を経由して日本に渡来したことになっている。(4~5世紀) その頃朝鮮半島には高句麗 新羅 百済 伽耶があった。 このうち秦氏が住んでいたのが百済。 朝鮮情勢が混乱してくると、彼らは安全な日本に行くために朝鮮半島を南下。 伽耶まできた。が、行く手を新羅が妨害。 困った秦氏の首長 弓月君(弓月君・融通王)は一足先に日本に渡り助けを求めた。 これに応えて、第15代応神天皇は援軍を送り、無事、秦氏を日本に渡来させた。」 となっています。 怪しい。 百済系渡来人らしくない。 秦氏が建てた日本の建物の遺跡から出てくる瓦は、百済様式ではなく、みな新羅様式。 広隆寺の弥勒菩薩像とそっくりな像が韓国から出ているが、その様式も新羅仏。 まだ怪しい。 とまだ説はあるのですが、最近知った説は、「秦の始皇帝の末裔だと名乗った者」 つまり秦の始皇帝とは本当は関係ない。 ということ。 便宜上 そう名乗った集団。 ただ、普通の集団ではない。 ありえない・・・とは思いますが、その説によると、原始キリスト教。 え? 原始キリスト教はローマ帝国に布教活動をして今ではバチカンを総本山とするまでに成長したんじゃないの? ですが、いや それはイエスに生前会ったこともないパウロ派が作ったもの。 イエスと生前生活をともにしていたのは12使徒たちで、後にパウロとは袂を分かったペトロとヤコブがイエスの思想を継承しエルサレム教会を本拠地としていて、ユダヤ戦争が勃発する直前ペラに大量に集結。 そして大移動を始めた。 という説です。 そしてちょっとずと日本に渡来しており、応神天皇の時、どっと日本にやってきた。 何世紀もかかって大陸を横断(というか移動せざるを得なかったような。ちなみにヘブル人とは流れる民という意味)そしてその一部は日本に渡来していた。 そして、応神天皇の時代に大量に渡来。 というわけで^o^; 秦の始皇帝は原始キリスト教徒の末裔という説もありますが、秦氏が秦の始皇帝の末裔だと言い出したのは7世紀以降。奈良時代に入ってから。 つまり、秦氏は秦始皇帝の末裔だと名乗ったほうが都合よかったので、便宜上(国策?)言うようになったのではないかと。 これはあくまで説です。 見つからない。 どうやら秦氏はわざと身元を隠しているふしがあるようなんです。 だから、真実を探そうとしても探せないようになっているのかも。 だってもし、古代の日本の宗教や政治の中枢にいたのは、原始キリスト教の末裔だったとなったら、大変なことになりますもんね。 ふぅ・・・ ともかく、資料からすると、渡来人とのコネクションがあったので、遠い親戚が大陸におり、コネクションがコネクションを呼び、なんとか交流ができたんではないでしょうか。
お礼
詳しい解説ありがとうございますm(__)m 。自分も最近、歴史と宗教(あと今の政治も一応)勉強してるので、必然的にサイトが増えてます。で、重くなる。 日ユ同世論は今週、宇野正美って人のビデオで聞きましたが、この人を調べると、この人も怪しいし(苦笑)。まだ、調べきれてないんですけどね、この人。この人に言わせれば、2600年前に日本に来たユダヤ人が日中のコネクションになってる・・・って話で、その人の力で遣隋使とか遣唐使が円滑に行っただの。そうでないと、自分が質問した文章のようになるでしょう?って言われて。で、こうして調べてる訳で。 秦の始皇帝に関する知識は史記でちょっとだけ、名前が政ってのは知ってますし、指摘の通り養子なんですよね、だから、彼は幼少時から周囲の人間を全く信用しなかったし、それは皇帝になってからもですね。 他に自分の知ってる範囲の知識。バチカンにあるのはカトリック教会である。ので、ローマ法皇はカトリックの人なので、プロテスタントなどの他の系のキリスト教徒は来ない。 徐福は始皇帝に不老不死の薬を探して来いと言われて、日本に来た。で、彼の墓は三重の新宮に有るらしい!? しかし、秦とこの隋の時代には三国時代(漢とか他にもあるけど)に魏が邪馬台国に使者を遣わしてる訳で、これは全く別物なんですかね? 邪馬台国(弥生時代ですね)と天皇の関係が分らないし、更に言えば、未だに邪馬台国の場所が分らないし(九州だと思う) タイムマシンが欲しいですね(^^ゞ。 最後に我が家の近くに2600年前に出来たという神社がありまして。
補足
お礼を書いてる途中で、キーボードがおかしくなって再起動せざるを得なくなりましてm(__)m 。 で、その近くの神社の宮司さんとその2600年前に出来たのは本当か?って聞いてみたんです。「2600年前と言ったら、中国で言えば、周の時代、太公望の時代ですよ!日本は縄文時代だから、原始人とかでは?」って聞く「中国の歴史に詳しいんですね。いや、貴方が思ってるよりは日本の文明は進んでましたよ、当時」みたいな事を言われました。以上、補足です。
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秦氏とのコネクションがあったから。 ★小野妹子 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%A6%B9%E5%AD%90 【推古天皇の摂政を務めていた聖徳太子の命により、第2回遣隋使として鞍作福利らと中国の隋に渡る。】 ★鞍作福利 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E4%BD%9C%E7%A6%8F%E5%88%A9 【飛鳥時代の通事(=通訳)である。 607年に派遣された遣隋使では、小野妹子の通事として随行し、翌年の遣隋使でも小野妹子に遂行したが、その後日本へは帰国しなかったと伝えられている。】 ★裴世清 【隋の煬帝の使者として来日した人物、7世紀前半に活躍した中国の官僚。 倭国(日本)は607年(推古15年・大業3年)に小野妹子らを第2回遣隋使として派遣した。煬帝は倭国の国書に立腹したが、翌608年、文林郎(日本書紀では「鴻臚寺の掌客」)裴世清をその答礼使として倭国に派遣、裴世清は小野妹子らと百済を経由して来日した。】 ★秦河勝 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B2%B3%E5%8B%9D 【6世紀後半から7世紀半ばにかけて大和王権で活動した秦氏出身の豪族。生没年不詳。 秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団と言われ、そのルーツは秦の始皇帝ともいい、古代イスラエルという説もある。 河勝は秦氏の族長的人物であったとされ、聖徳太子のブレーンとして活躍した。】 ★秦氏 【日本書紀によると応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となったというが、加羅、伽耶又は、新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。また一説には五胡十六国時代に氐族の苻氏が建てた前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある。この説に基づくと弓月君が秦の(初代の)皇帝から五世の孫とする記述に反せず、「秦」つながりで渡来した人々が勝手に「秦」を名乗り始めたと考えてもさほど矛盾はないが、根拠は少なく今後検証の必要がある。 秦氏で最も有名な人物が秦河勝である。彼は聖徳太子に仕え、 】 私の町でもてっきり日本の店員さんかと思いきや、私と話すのはまぎれもなく純粋な日本語なのに、オーダーを厨房に伝えるときは、日本語じゃない。 よく聞くと店の人全員が日本語以外でしゃべっている。 だけど、私と話す時は完璧な日本語のイントネーション。 「え? 日本人じゃなかったの?」という感じで、ある意味うらやましかったりします。
お礼
回答ありがとうございます。とても勉強になりました。ただ、我が家のPCが原因ですが、ウィキベティアを利用出来ない状態。昨日から、一昨日は出来たんですけどね(・・?) 。まあ、質の悪いPCだし。最近、ブックマークするURLが増えて重くなったからかも。 それはともかく、秦の始皇帝一族は孫の子嬰が項羽に殺されたので、血が途絶えたのでは?
1回目の人はどうしたのでしょう。 ジョン万次郎のような学問のない若者でも柔らかい脳みそで、必死でチャレンジしたら、外国語もなんとかなるものです。 小さい子なんか、かまえないから、もっと、習得は、早いです。 みるみる、日本語が話せるようになったのを見ました。 中国を心の底から崇拝しているというのは、しぐさにも出ます。 行って帰ってこられる確率が半分くらい(井上靖の敦煌より-小説だっていうのは、わかっています)、命を賭してやってくるのも、可愛げがあって見えたことでしょう。 さっと、習得して、さっと帰ってくれる人はいいけど、飲み込みの悪い人は、かなり長期間寺に置いて、食べさせてあげなければなりません。 皇帝が引き止めたくなる人材もいれば・・・ねぇ。
お礼
回答ありがとうございます。謎ですよね・・・。中国から日本・・・最初は三国時代の魏が邪馬台国に使者を送ったけど、そこから大和朝廷は全く関係ないだろうし(・・?) 。
- ANASTASIAK
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小野妹子が行ったのは2回目だからね。 その7年前のときの教訓が生かされて、通訳だの中国の 様子だのそれなりに学習効果はあったわけね。 中国は来るものは拒まずなんだよね。 自分が一番えらいと思っているから、お伺いに出向いて 来たと考えるわけね。 だからニューギニアの原住民みたいに見知らぬ人間をみたら 殺して皮を剥ぐなんてことはしないわけ。 ちゃんと手紙まで持たせてまた来いよ、とかいって でかい面してたわけでしょ。 でも、小野妹子はその手紙失くしちゃって散々な目にあったけ どね。
お礼
回答ありがとうございます。ではその一回目について詳しく教えて頂ければ、と思います。 >中国は来るものは拒まずなんだよね。 そうなんですか!?大らかですね・・・。
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お礼
回答ありがとうございます。遅くなりましたm(__)m 。そうなんですよね。色々、持参してったようです、小野妹子。 あと、秦氏の話ですが、始皇帝時代に天ロク秘ケツで。胡が秦を滅ぼすという文章をキョウド(エビス)と勘違いして、万里の長城を作ったんですよね。胡の本当に意味は始皇帝の子の胡亥だったんですけどって、既にご存知のネタかも。