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はい?はい?と二回聞いて倍の領地を貰った武将
約20年前、小学生の先生が話してくれた↓の戦国武将が何故かずっと記憶に残っています。 私はずっと伊達正宗だと思っていたのですが(小学校は仙台)よくよく調べてみるとそんなエピソードはありません。 もしかしたら一休さんとか故事成語の類かもしれません。 心当たりの有る方、情報提供お願いします。 大殿「よし、お前にx万石の領地を与えるぞ。」 武将「はい?」 大殿「だからx万石の領地を与える。」 武将「はいわかりました。xの二倍の領地ですね。ありがたく頂戴します。」 とゆう訳で武将は倍の領地を得ました。
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- tanuki4u
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曾呂利新左衛門の話は 秀吉:褒美は何が欲しい? 曾呂:囲碁版の目に米一粒、だだし、毎日前の日の二倍ください、二日目は二粒です。それで、囲碁版の目の最後までください。 秀吉:欲がないな が、2×2×・・・・で途中で莫大な量になったので、秀吉が謝った。 というやつですね。
- a-koshino
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曾呂利新左衛門の話のように思いましたが、調べても確認できませんでした。 ちなみに#1の方の話は、 水戸光圀の兄、徳川頼重が高松へ移封された時点で十二万石ですので、もし事実としても頼重の話でしょう。
- kgu-2
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父から子供の頃に聞いた懐かしい話ですが、 水戸光圀の長子は、水戸藩を継げずに(光圀の兄の頼重の子に継がせた)、讃岐高松の藩主になりました。将軍にお目見えしたときに、「6万石をやる」と言われたが、黙っていた。すると、また「6万石やる」と言われたので「合わせて12万石頂きます」と言って、讃岐12万石になった、と聞きました。 讃岐の殿様は偉かった、と父は言いたかったのかもしれません。父からしか聞いたことが無いので、真偽のほどは知りません。 そのときのイメージでは、家康から言われたような印象があったのです。が、讃岐に転封になった1642年には家康は死んでいますので、真偽は不確かです。