春が来た、池のほとりのあずまやでの一杯、これが格別、という酒飲みの歌。
まずは実際に酒好きだった王績について。
王績(585? 590?―644)は初唐の詩人。隋末から唐初にかけて下級官吏を勤めたことがあるが、酒に淫して官を辞し、隠棲した。無類の酒好きで、「酒経」や「酒譜」を著し、五斗先生と自称、酒にまつわるエピソードでも有名。唐詩選で五言律詩の劈頭を飾る「野望」がよく知られている(もっとも、唐詩選に採られているのはこの一首のみ)。
お尋ねの詩は「初春」という五言絶句。
春來たりて 日 漸く長く
醉客 年光を喜ぶ
稍ヤヤ覺ゆ 池亭の好ヨきを
偏に宜し酒甕の香
春がやって来て、日がだんだんと長くなり
酔いどれには、春光が嬉しい
池のほとりの亭アズマヤの眺めもようやく好ましくなってきた
まったくもって酒がめから漂う香りほどいいものはないよ
醉客・・・・酒に酔った人。(ここでの「客」という字には guest という意味はない。例えば、剣術にすぐれた人のことを「剣客」というのと同じこと。したがって、醉客は作者自身)
年光・・・・春光。
稍・・・・・【ようやく/やや】ようやく。次第に。いささか。
池亭・・・・池のほとりのあずまや。
偏・・・・・【ひとえに】ことさら。ひたすら。まったく。
宜・・・・・【よろしい】よい。よろしい。
酒甕・・・【シュオウ】酒がめ。
ちなみに、手元の石川忠久氏のテキストでは第四句の「宜」が「聞」になっており(偏聞酒甕香)、「偏に聞く 酒甕の香るを」と訓読され、「酒がめの酒の良い香りがしきりににおうぞ」と訳されています。(「聞」には「匂いをかぐ」という意味もあります)
※上記の訓読も訳も第四句以外は石川忠久氏のテキストによる。
なお、ご存知とは思いますが、同じ文でも訓読の仕方はその人の言語感覚により多少ことなります。例えば、第四句の「香」を「コウ」と音読みしても「香カオり」と訓読みしてもよく(私は前者の方が結句としての締りがあっていいと思う)、「偏に酒甕の香るに宜し」と読み下しても間違いではないでしょう。
お礼
大変詳しいご説明ありがとうございました。わたしも石川忠久先生のラジオ講座聞いています。でもこの漢詩記憶にありませんでした。 いい字が書けそうです。