• ベストアンサー

現在について

現在というのを変化のない刺激と思ったのですが、一瞬にして、その刺激が消えて次の刺激、そして次の刺激と変化するので、現在というものが捉えられない気がするのです。現在というものはあるのでしょうか?あまりに変化が早すぎて、現在というものが感じられないのです。 時間的に言えば、ある時とある時の間に人間は変化のない刺激を受けるんだと思います。 また、言葉の現在形というのは、ある時とある時の間の変化をその変化が終わったらすぐに言葉で表したものだと思っています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#50219
noname#50219
回答No.4

行く川の流れは絶えずして、、という句を思い浮かべます。そんなこと考えるのは人間だけかなぁ。他の生き物はこれについてどう思ってるんでしょうね。

spitzer3
質問者

補足

>他の生き物はこれについてどう思ってるんでしょうね。 確かに疑問ですね。やっぱり他の生き物はただ意識せず感じているだけなんでしょうね。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (3)

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.3

#2です。 >一瞬というのは瞬く間と同じ意味なので、時間の幅がないというのは言えないのではないでしょうか? 「一瞬」という言葉は文学的な言葉なので、厳密なことを表現するには不適当かも知れませんね。「現在」には時間の幅がないというのは、以下のような意味です。 わかりやすい例で説明すると、10年前は過去であって現在ではない。 同様に1日前も過去であって現在ではない。 同様に1秒前も過去であって現在ではない。 同様に0.1秒前も過去であって現在ではない。 同様に0.0000000000001秒前も過去であって現在ではない。 これを続けていくと、厳密な意味では「現在」に時間の幅は有り得ないことになります。従って、「現在」は概念としては存在するけれど、”実質的には”存在しないということです。 >そもそも動きというのが、マンガのように、一コマ一コマの静止画のような変化のない刺激を次々と感じることなのかどうか疑問に思っています。 「動き」と「一コマ一コマの静止画」は、全く異なるものです。「動き」は「静止画の寄せ集め」ではなく、分解不可能な存在形式です。それは、立方体と正方形が全く異なるものであるのと同じことだと思います。

spitzer3
質問者

補足

>「動き」は「静止画の寄せ集め」ではなく、分解不可能な存在形式です。それは、立方体と正方形が全く異なるものであるのと同じことだと思います。 これがよく分かりませんでしたが、ありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.2

我々は、通常、過去・現在・未来という時間軸が客観的に存在していて、それに沿って物事が推移すると考えていますが、実際には過去も未来も存在せず、「現在」だけがあるのだと思います。何故なら、過去も未来も物理的には存在していないことは明らかだからです。 ただ、「現在」というのは、厳密な意味では、「一瞬」ですから、時間の幅はありません。時間の幅がないということは、幅がゼロだということです。幅がゼロだということは、「現実的」には存在しないということです。すなわち、「現在」は概念としてのみ存在していることになります。 では、何が現実的に存在するのかというと、「過去の記憶」だけです。 日々、何が起こっているのかというと、「現在」という概念において、「過去の記憶が増殖し続ける」ということが起こっているのだと思います。

spitzer3
質問者

補足

>ただ、「現在」というのは、厳密な意味では、「一瞬」ですから、時間の幅はありません。時間の幅がないということは、幅がゼロだということです。 一瞬というのは瞬く間と同じ意味なので、時間の幅がないというのは言えないのではないでしょうか? そもそも動きというのが、マンガのように、一コマ一コマの静止画のような変化のない刺激を次々と感じることなのかどうか疑問に思っています。マンガの静止画のように自分の変化のない感じを留めておくことができないんで。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

ちょっと説明できるか分かりませんが。 現在と言う言葉の定義は私はできませんので、 意識に与えられている現在について、書いて見ます。 意識が現在と発話したり或いは内言で、現在に注意を向ける場合 概ね、安静状態か散歩とか、自らの運動に関して注意が必要のない、 不随意運動と反射運動で充分な状態でしょう。 他に注意を向ける必要もなく「現在」とはと考えます。 この時、「げ」も「ん」も「ざ」も過去のものです。 「い」も既に過去になったものです、この「げ」から「い」 までの期間が「現在」です。 ですから、現在とは実は過去を保存し持続させ、 過去を了解したり、判断したりして、未来に備える状態です。 げ・ん・ざ・いと言い、大した発見がなければ意識は流れてしまいます。 この時、例えば後ろから肩を叩かれたとします。 瞬時に振り返ったり、防御や逃亡、或いはにっこり笑って、挨拶をする準備に入ります。 「げ・ん・ざ・い」は過去に過ぎ去り「コンニチハ」が現在となります。 もし仮に、外的時間と言うものがあって、刻々流れているとすれば、 意識はその持続の分だけ、跳躍したことになります。 以下、認知科学の実験です。 「次のような実例を考えてみよう。赤の光を20ミリ秒間だけ瞬間的に点灯させ、その直後に、同じ場所で、緑の光を20ミリ秒間だけ点灯させる。このとき被験者は、どんな色を見たと思うだろうか。彼は、赤い光の直ぐ後で緑の光がひらめくので、赤の閃光を見たとは思わない。赤ではなくて、黄色の閃光を見たと思う。黄色とはまさに、赤と緑が同時に点灯したときに見える色であるからだ。・・・」 (『DNAに魂はあるのか』フランシス・クリック) 意識と言うよりは、視覚器官の問題ですが、最初の赤が脳の中で持続しているのです。 それと、一瞬の変化と申しますが、変化はA→Bと言うことですから 上の実験の例で申し上げれは、光のない状態から→瞬間的点灯という期間が必要です。 大変難しい問題ですが、意識においては時間が先にあるのではなく 意識が持続しているから、変化(哲学的には差異と表現するようです)を知覚できるし 差異を知覚したことで、時間も知覚できる事になります。 以上は、私達の意識における時間についてのことです。 ご質問者様が、私達の外にある、時間についてお考えでしたらお役には立てません。 失礼しました。

spitzer3
質問者

お礼

>「次のような実例を考えてみよう。赤の光を20ミリ秒間だけ瞬間的に点灯させ、その直後に、同じ場所で、緑の光を20ミリ秒間だけ点灯させる。このとき被験者は、どんな色を見たと思うだろうか。彼は、赤い光の直ぐ後で緑の光がひらめくので、赤の閃光を見たとは思わない。赤ではなくて、黄色の閃光を見たと思う。黄色とはまさに、赤と緑が同時に点灯したときに見える色であるからだ。・・・」 これはとてもおもしろい例ですね。とても勉強になりました。

spitzer3
質問者

補足

>「次のような実例を考えてみよう。赤の光を20ミリ秒間だけ瞬間的に点灯させ、その直後に、同じ場所で、緑の光を20ミリ秒間だけ点灯させる。このとき被験者は、どんな色を見たと思うだろうか。彼は、赤い光の直ぐ後で緑の光がひらめくので、赤の閃光を見たとは思わない。赤ではなくて、黄色の閃光を見たと思う。黄色とはまさに、赤と緑が同時に点灯したときに見える色であるからだ。・・・」 赤を感じなかったということは、赤の光をt=0~20mmsのとき点灯したときの20mms間というのは人間には見えないんですね。人間が見ているのは20mmsぐらい前に起こったことなんですね。勉強になりました。ありがとうございます。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A