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real

今日は、私がお尋ねしたいのは、皆さんのREAL、Realityの認識についてです。人は物質をリアルに感じるのは触感、経験からだけですか?またディズニーランドは現実的REALですか、それとも非現実的UNREAL(Imaginary)ですか?意見をお聞かせください。

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  • tyr134
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回答No.3

>質問があります、tyr134は経験と現実を同義に考えていらっしゃるんですか? 前の回答も含め、素人考えで恐縮なのですが、答えてみたいと思います。 「経験=現実」というように、まったく同義であるとは考えていません。 ただ、「現実は経験によって、証明される」と思っています。 しかし、ディズニーの例のように「現実ではミッキーは存在しない」と知っているにも拘わらず、私たちは「ミッキーの着ぐるみを、ミッキーとして」認識して愉しんでいます。つまり、「ミッキーはあり得る」という「経験」と、「ミッキーはあり得ない」という「経験否定」との間に矛盾が存在します。 この矛盾を「疑似現実」と考えています。 言い換えれば、「疑似体験」としても良いかもしれません。 この「疑似体験」にも二種類あって、「経験否定」し得るモノと「現実」と「思いこむ」モノとがあると思っています。 つまり、ディズニーの例は「経験否定」できますが、ニュースの例では「経験否定」出来ずに「思いこむ」事が多いと思います。 結論としては、何が「現実」かはハッキリと分からない。 しかし、私たちは「経験」によって「現実」を証明し得る。(実際の経験) ただし、私たちは観念的な生き物でもあるので、「経験」していないことを「経験」したと「思いこむ」ことがある。(疑似経験・疑似体験) そして、それが例え「現実」でなくとも「私/彼(彼女)」の中では「現実」として「認識」されることもある。(思いこみ) つまり、「real/reality」の認識の問題は、個々人の内面的な問題である。 以上、素人考えではありますが自分なりに思ってた事を文章にしてみました。 ただ、こうしてまとめてみるともう一つ付け加えたくなりました。(笑) 「現実」であり「経験」したにも拘わらず、「否定」する事もあるのではないかと、、、。 中途半端な回答になってしまって、申し訳ないです。

ken-deleuz
質問者

お礼

度々すみませんでした。現実と経験・・・”現実”はとても定義しにくいですよね。 確かに体験から見えてくる現実と、体験とは別にそこにあるから(例えばディズニーランドとかサイバースペースなど・・・これらも体験からくる現実なのかな???)、見えるものだから、感じることができるからという事実から現実を導き出して(思い込み??)るのかもしれませんね。疑似体験、擬似経験もひょっとしたら現実の一部なのかもしれませんね。フランスの哲学者にジャン・ボードリヤールって人がいるんですけど、彼の本にSimulacra and Simulationの中で、ハイパーリアル(Hyperreality)について書かれた本があるます--- 今この世の中にあるすべてはシミュレーションされているとうセオリーです。ちょっとマトリックスみたいですけどね。tyr134さんの意見も参考にし、またこの本を読み直すのもいいかもしれませんね。ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • tyr134
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回答No.2

人は『現実』と『非現実』、そして『疑似現実』の中で暮らしています。 特に、TVや新聞、ネットなどの発達した現在は『疑似現実』の割合がかなり増しています。 『現実』は実際に経験したこと、『非現実』は実際には経験していないことです。 そして、『疑似現実』は実際には「経験」していないけど、「経験したと錯覚」する事です。 マス・メディアによる情報は自己にとっての『現実』=「経験」ではありません。しかし、あたかも「経験」したと錯覚するため『現実』であるかのように感じてしまいます。 例えば、ニュースなんかで「凶悪犯罪の低年齢化」と言われると、あたかもこの世の中がそうなってしまったと思いこみます。 そして、そう思いこんだ人にいくらデータを示して「低年齢層の凶悪犯罪は増えてない。ただ、上の世代が大人しいだけだ」と言われても信じません。 つまり、データという数学的なものよりも、「TVニュースで言っていた」という事の方を「現実」だと認識してしまうわけです。 >またディズニーランドは現実的REALですか、それとも非現実的UNREAL(Imaginary)ですか? これも、「現実」ではなく「非現実」でもなく「疑似現実」だと思います。 私たちは、ミッキーマウスの中に人間が入っていることを知っています。 シンデレラはシンデレラを演じてる別人だと知っています。 故に、ミッキーもシンデレラも「非現実」であると言えます。 それでも、ミッキーはミッキーとしてシンデレラはシンデレラとして認識し愉しむことが出来ます。 これは、目の前にいる人物をミッキーやシンデレラとして錯覚しているから愉しめるんだと思います。 マス・メディアの例では「疑似現実」は「事実誤認」となる危険性を孕んでいます。しかし、ディズニーランドの例では「疑似現実」があるから世の中が楽しめるものとなっている例証でしょう。 少し質問内容とズレているかもしれませんが、参考になれば幸いです。

ken-deleuz
質問者

お礼

ありがとうございました。質問があります、tyr134は経験と現実を同義に考えていらっしゃるんですか? それと、ディズニーは”なるほど”と思いました。たしかにディズニーランドは非現実でもなく現実でもないように思います。ミッキーとかシンデレラが普通の丸の内の職場で働いているのは、おかしいと思うし非現実的・・・ 例えもう一方で彼らの中に普通の人たちが入っていたとしてもです。私達はディズニーランドで彼らに接触し”錯覚しているから”現実的に思えるってことですよね。

回答No.1

ほほ、これも、言葉の問題ですね。 言葉にできないことは、リアルでないのですか。 言葉は貨幣と同様、道具です。 では又明日。

ken-deleuz
質問者

補足

ありがとうございます。そうですね、私は言葉について興味を持っています。fishbowl66の言う”言葉にできないことは、リアル”というのは結構、的を得てるような気がします。貨幣それ自体に何の意味もなく、ただの物質だとし、言葉によって意味をつけ現実性を加えているに過ぎないのかもしれません。ただ思うに、言葉にできない、それを超えた存在、物質など英語でSublime-Sublimityって呼んでいます。これを日本語に訳して”崇高的”にすると、どうもしっくりきませんが・・・これは人間がその物質を科学的、言葉で計れないとき恐れ、慄くらしいです。これがリアルかどうかは謎ですけどね。これからじっくり調べていきます。