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日蓮の竜の口の奇跡は史実ですか

日蓮が竜の口で斬首されそうになった時、光り物がやってきて斬首を免れたとと聞きましたが、この出来事は史実ですか? 史実だとしたならば、どの書に書かれているのでしょうか。 光り物とは「雷」みたいなものですか?

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noname#115004
noname#115004
回答No.2

No.1さんの回答にある箇所は、竜の口の後日、相模の国・依知にある本間殿の屋敷での出来事です。 その、少し前の段に、「江のしまのかたより月のごとく、ひかりたる物まり(鞠)のやゆにて辰巳のかたより戌亥のかたへ、ひかりわたる。十二日の夜のあけくれ人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ。」という文があり、これこそがご質問の文面です。 私も残念ながら、日蓮大聖人、御執筆の文面にしかそれを知る事は出来ません。 当時の鎌倉では、災害の発生件数も多かった事から、唯の雷(落雷)とも考えにくいものがあります。 ただ、いづれにせよ、平左尉門頼綱の企てた暗殺が失敗に終わり、結果的には佐渡への流罪となりますが、極寒の佐渡の地で新たなる強信の信徒が現れ、必死になって日蓮大聖人をお守りし、初めて御本尊を顕され、無事赦免に名なり鎌倉へ戻られます。その事自体が、奇跡に近い事なのだと思います。 そして、日蓮大聖人が確立された「法」そのものが、現代まで途切れることなく続き、全世界200カ国近くへ、そのままの形で流布されているのも、奇跡的な事でしょう。

weber7009
質問者

お礼

大変参考になりました。 ご回答ありがとう御座います。 日蓮大聖人の出来事は奇跡の連続だったのですね。

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  • coco1701
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回答No.3

#1です、ks5519さんご指摘のように、引用箇所が違っていました 1271年9月13日の夜の部分(宿泊先での)を(本来は9月12日深夜)記載してしまいました、お詫びいたします 以下、再度記入いたします 訳文より引用 「 そのように申した時に、江の島の方から、月のように光った物が鞠のようになって、辰巳(東南)の方角より戍亥(西北)の方角へ輝き渡りました。  文永八年九月十二日の夜は明けていなかったために、まだ薄暗くて、人の顔も見えないほどでした。   ところが、、周囲の人々の顔も、全員はっきりと見えました。  私(日蓮大聖人)を切ろうとして構えていた太刀取りは、目がくらんで、倒れ臥してしまいました。  兵士どもは怖じ恐れて、氣後れする余りに、至る所で逃げ去った者が出ました。  或いは、馬から下りて畏まる兵士がいたり、或いは、馬上でうずくまっている兵士がいました。」 ・この場合は、雷、落雷の可能性は低くなります ・「月のように光った物が鞠のようになって、辰巳(東南)の方角より戍亥(西北)の方角へ輝き渡りました」とありますので、流星、その中の火球の可能性が高いようです  火球:明るい火球は満月に匹敵する位のものがあります     空がフラッシュして、影が移動するくらいの物もあるそうです     移動は比較的遅く、暖色系で黄色、オレンジ色の様です  今回の事象は、おうし座流星群?の火球と思われます  (竜の口、上記に関しては、落雷ではなく流星(火球)と訂正します) 参考:おうし座流星群(火球)の写真 http://www.k3.dion.ne.jp/~uedaueda/20051028FB.html 参考:流星(火球)の動画(中央部、NEW動画映像より) http://star.pages.jp/FB/ 参考:流星(火球)の映像、動画(徳島海南天文台) http://monterosa.pages.jp/FB/20040722/ 以上、訂正させていただきます、ご迷惑おかけしました

weber7009
質問者

お礼

再度のご回答ありがとう御座います。 火球の写真ありがとうございました。

  • coco1701
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回答No.1

日蓮自身の書状「種々御振舞御書」 原文:該当箇所 「天より明星の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝にかかりてありしかば、もののふども皆ゑんよりとびをり、或は大庭にひれふし、或は家のうしろへにげぬ。  やがて即ち天かきくもりて大風吹き来たりて、江の島のなるとて空のひびく事、大いなるつづみを打つがごとし。 」 訳文: 「天から、明星のような大きな星が下りてきて、前の庭に植えてあった梅の木の枝にかかりました。驚いた兵士たちは、皆、縁側より飛び降りて、或る者は大庭にひれ伏し、或る者は家の後ろに逃げてしまいました。  やがて、たちまちのうちに、天がかき曇り、大風が吹き渡って、江の島の海の鳴る音が、空に響き渡りました。あたかも、その音は、大きな鼓を打つようでありました。」 文書として残っているのは、上記だけではないでしょうか、他の文書は確認できませんでした 落雷が刑場にある木に落ちたのではないでしょうか 以後の文に鎌倉方面でも落雷、雷があった様な文面があります 雷の光を、光り物と後に言われたのでは 似たような事実は存在したのでは、と思います 参考:原文 http://homepage2.nifty.com/gosyo/syujyu_gen.htm 参考:訳文 http://homepage2.nifty.com/gosyo/syujyu_yaku.htm

weber7009
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。 竜の口の状況が当事者である日蓮の書のみから語られていると言う事ですが、史実としての客観性を担保する為に第三者による記述を期待していました。他の文書は確認できないということですから大変残念です。 光り物は雷の可能性があるという指摘は私も同感です。

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