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南京大虐殺

今日本でメジャーな考えはどのようなものなのでしょうか。 主に犠牲者数の視点からお願いします。

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回答No.16
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  • pbf
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回答No.15

犠牲者数にメジャーな考えなどありません。 あったかなかったかも含め、それぞれが何の証拠もなく 推測だけで述べているに過ぎないのですから。 以下は公式な数字 東京裁判における中国側検事の論告 41万   〃 判決 20万以上 南京大虐殺記念館 30万 図書館に行けばいくらでも参考書籍はありますから あとはご自分でお決めなさい。

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  • hinode11
  • ベストアンサー率55% (2062/3741)
回答No.14

>武装解除及び市民からの摘出後にいったん収容を行っている点で、事故以外の故意による(捕虜の)処分は違法性が極めて高いものでした。 捕虜収容三日後、捕虜によって収容施設が放火され、火事騒ぎに乗じて多数の捕虜が集団脱走した。こうした捕虜を捕えて処刑した。これが違法だと言うのならば、相当する戦時国際法の名称と条文を示してもらいたい。 >一寸の虫にも五分の情け、この思いこそ日本人の心だったわけで、その心を解さない不埒な人間が不法処分を命じたわけです。 戦場(殺人と破壊を善とする空間、異常な心理が支配する空間)での出来事に平時の道義的観念を持ちこむなと言っているのだ。少しでも油断すれば自分が殺される戦場、ということが解らないのか。 >『南京戦史』は、旧軍将兵が自身の心の痛みに耐えながら記憶を呼び戻し・・ 上に同じ。同じ人間でも戦場での心理と平和の時代の心理とは異質のものということだ。 >《支那人の或者は容易に「掠奪・強姦及焼打等は支那軍がやったので、日本軍がやったのでは無い」と立証すら致します。》 これは中国の伝統だった。中国史を読んだ人なら分かるはずだが、戦争における兵士の報酬は軍から支給される給料ではなく戦地での掠奪であり強姦だった。戦争の報酬は自分で手に入れるものだった。民家の「焼打」は中国軍が作戦として実行したものだ。これも中国の伝統的な戦術で、清野作戦と呼ばれる。 >松井石根は『兵の暴行によって皇威が貶められた事』に対して、泣いて怒ったのですよ。 日本軍は組織的に暴行したわけではない。個人の行為と組織の行為は区別せよ。このような非行を行った兵隊は軍法会議で厳しく処分された。日本軍の軍律は世界一厳しかったのだ。個人の犯罪は、いつの時代でも、どこの国でも、どの組織でもあることだ。 >(岡本大将は)自身が中国に着任する前に、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞いた 中国国民党中央宣伝部がばらまいたウソの情報やアメリカの新聞社の誤報が岡本氏の耳に入ったのであろう。 >一般的に、非戦闘員の殺害は犯罪という意識が希薄だった・・ 祖先を冒涜する軽率な発言。祖先を愛し、尊び、祖先に感謝する心が希薄、と言わざるを得ない。

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  • tiuhti
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回答No.13

書き忘れてました。松井石根は『兵の暴行によって皇威が貶められた事』に対して、泣いて怒ったのですよ。(参考URL) 中国兵の死体がきちんと埋葬されなかったから、心を痛めた事があったかどうかは、私は知りませんけど。まさか、この文章を、松井石根が「中国兵を埋葬しなかったから、自分は絞首刑になるのだ。他の軍人も反省して欲しい」と、刑の執行を待つ時期にに教誨師に語ったと理解する人はいないと思いますけど…。 それから、参考URLでは、『南京事件』当時は、松井石根は若干の兵士の「非行」以外は知らなかった、という東京裁判での松井自身の証言を正しいものとしていますが、その当否は別として、終戦時の支那派遣軍総司令官だった岡本大将の回顧録によれば、 ・自身が中国に着任する前に、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞いた ・まさにその大暴行をした部隊をこれから率いるのだから、軍紀の維持に努める覚悟をして、「討蒋愛民」というスローガンを掲げた。 ・上海に着いた後、「南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実」、「一線部隊は、食料等を与えるのが困難という事を名目にして、捕虜を殺してしまう弊害がある。」と先遣の参謀・特務機関将校等に聞いた との事で、中国における日本軍の軍紀には甚だしい乱れがなかった、あるいは『南京事件』そのものを誰も知らなかった(=無かった事の証左。南京事件は捏造)、という一部の説は、誤りです。岡本大将の回顧録は、一つの例に過ぎず、もっと注目すべきは、全く普通の兵士が、検閲のかかる軍事郵便で、日本宛に敗残兵狩りの際に市民も含め「いる者は皆殺し」と書いている事です。(参考URLの後の方の中の「このころは毎日、保定永定河近くに自動車にて残兵狩に出ています…」の部分。)「南京事件」に限らず、一般的に、非戦闘員の殺害は犯罪という意識が希薄だった事の証左です。 さて、質問者の方は、回答者自身の「自説」ではなく、学者・研究者の中での、現在のメジャーな見解を知りたいのだと思いますが、そういう展開には全くならず、わかるのはせいぜい、ネットでこういう質問をすると、どういう回答が量的に多いか、という事だけのように思えるのですが、そろそろ締め切られたらどうでしょう?

参考URL:
http://ww1.m78.com/topix-2/matsuiiwane.html, http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/asaba.htm
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  • tiuhti
  • ベストアンサー率66% (447/668)
回答No.12

犠牲者数の諸説については、以下のサイトをご覧下さい。学者でない人も入っていますが。 このサイトの作成者の考え方は別にして、少なくとも誰がどう考えているかはわかるでしょう。 http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html 但し、犠牲者数に関する議論の紹介なので、それぞれの学者&研究者がそう考える根拠は、ごく大雑把にしか引用されていないので、どれが最も信頼するものかをご自身で考える場合は、元の本にあたる事をお薦めします。「南京戦史」については、実際に現地にいた将校達の証言という点で、非常に貴重なものではありますが、↓にあるように、「黒・灰色証言でも、証拠不十分であれば切り捨てた」と編集者自らが言ったぐらいですから、犠牲者数について言えば、この本は「権威」としては扱われていない、と私は思います。むしろ、この本の編集に携った人達の中ですら、犠牲者数については、相当の開きがある、という事を注目した方がよいと思います。(結論から言えば、No.8の方と同じ事になりますが。) http://www.geocities.jp/yu77799/kaikou.html で、メジャーな考えが何かといえば、どれがメジャーか、とは誰も言えないと思います。ほぼ間違いなく言えるのは、 1.「30万」を支持する学者は、日本には(おそらく)いない 2.中国軍兵士の処刑のほぼ全てが「便衣兵の疑いがあったから正当な処罰だった」と主張する学者・研究者も(ほとんど)いない。陸軍元将校の親睦団体である偕行社が編集した「南京戦史」も、そうは主張しない。 の2点ぐらいでしょう。 ただ、この問題については、大学教授とは言っても、当時の南京にいた外国人の日記(研究者なら誰でも知っていて、一般人にも研究者の著作の引用でよく目にする資料)から引用する時に、「彼等は貧賤な支那人を脅迫して、我々が言ったことを否認させようとします。《支那人の或者は容易に掠奪・強姦及焼打等は支那軍がやったので、日本軍がやったのでは無いと立証すら致します。》我々は狂人や馬鹿者を相手にしているのだと時々考へます。」の《括弧内》だけを自書に引用して、略奪などが中国兵によるものだという自説の例証にしてしまう、という、普通の学問の世界では到底ありえないような事をする、大学教授の名刺を持っている人がいます。(普通の学問の世界であれば、完全な自殺行為です。) 当然、こんな『教授』は、この問題の研究者&学者の中ではまともに相手にされておらず、「南京戦史」の編集に携った研究者(=つまり、誰も「サヨク」「自虐的」などとは呼ばない)からも批判されている、というか呆れられています。 他にも、当時の日本軍司令官の松井大将の日記の内容に「自分の創作」を挿入して、南京占領後の外国人記者との会見で、日本軍の暴行について記者から質問がなかった(=だから日本軍の暴行はなかった)と、平然と主張した『研究者』もいます。この人も、まともに相手にされていません。 しかし、そんな学者・研究者の書く本でも、予め自分の求める結論が書いてある本を好む読者がいる以上売れてしまうのも事実で、そういう連中の存在まで考え、上の説明では「ほとんど」と入れました。

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  • buchi-dog
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回答No.11

「と「戦争の苦労も知らないで平和な生活ができる子孫」であろうhinode11のような人物が声高に叫ぶ一方で、松井大将は日本軍の非行に涙を流し、多くの従軍将兵が南京については後ろめたい思いを抱いたわけですから。一寸の虫にも五分の情け、この思いこそ日本人の心だったわけで、その心を解さない不埒な人間が不法処分を命じたわけです。」 松井大将が内地帰還後に私財を投じて興亜観音を建立したのは、「日本・支那両軍の戦死者を弔うため」です。勝手に松井大将に「日本軍の非行に涙を流」させないでください。 南京攻略に至るまでは楽な戦ではなく、欧米製の武器を装備してドイツの軍事顧問が指導して構築した要塞に拠る中国軍に対し、日本軍は多大な犠牲を出しました。松井大将指揮下の部隊の2万を超える戦死者は、3個師団の総人員に匹敵します。日露戦争で、旅順要塞攻略に多大な犠牲を出した乃木第3軍の死者を大幅に超えています。上海→南京戦は、当時の日本陸軍としては前例のない凄惨な戦闘でした。 それ以上に、人命を軽視する中国軍は、あちらの都合で膨大な犠牲を出しました。当時、日本国内で子供向けに刊行された「のらくろ」の序文に 「支那軍はトーチカに外から施錠して守備兵の脱出を許さず」 「支那兵が退却しようとすると後方の督戦隊が機関銃で射殺」 と、その兵の命を何とも思わない戦闘指揮を記しています。その結末が、No9さんの言われる「中国軍の唐生智司令官と幹部は、部下の中国兵に日本軍攻撃を命じたまま戦場から逃げ出してしまった」という行為です。南京陥落までの中国軍の死者はそれこそ20万くらいに上るでしょう。しかもその中には、中国軍が人数合わせの為に狩り集めた多数の少年兵が含まれていました。 (兵の命をなんとも思わない非人道的な戦闘指揮は、大東亜戦争で日本軍が米軍や英軍相手に大規模に繰り返しました。合掌) 松井大将は、南京入城までの過程で、想像を絶する量の腐敗した中国兵の死体を見たはずです。勝ち戦の日本軍の死者は日本軍が自ら葬礼を行って内地に送りましたが、誰も葬らない、そもそも処理できる限度を超えた数の中国兵の死体はそのまま放置されるか揚子江に捨てられるか「ゴミ」として処分されたでしょう。人徳を讃えられていた松井大将はそれに心を痛めたのです。 http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/gmatsui.html また、「捕虜の処分」は第二次大戦では日常茶飯事でした。ハーグ陸戦法廷の現実の運用について勉強してください。「スターリングラード大虐殺」についてはお調べになりましたか?

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回答No.10

ハーグ陸戦法規というのは、最低限の戦争法規を定めたものです。実際の戦場において、字句だけを解釈した条文では保護され得ない敗残兵・投降兵についても、武装解除及び市民からの摘出後にいったん収容を行っている点で、事故以外の故意による処分は違法性が極めて高いものでした。ただ、このような法解釈の問題は本質ではありません。なぜなら、 >彼らは全員が殺されても文句を言えない立場だったのだ。 と「戦争の苦労も知らないで平和な生活ができる子孫」であろうhinode11のような人物が声高に叫ぶ一方で、松井大将は日本軍の非行に涙を流し、多くの従軍将兵が南京については後ろめたい思いを抱いたわけですから。一寸の虫にも五分の情け、この思いこそ日本人の心だったわけで、その心を解さない不埒な人間が不法処分を命じたわけです。 『南京戦史』は、旧軍将兵が自身の心の痛みに耐えながら記憶を呼び戻し、最終的に最大で16000人という数が出たわけです。けして戦後生まれの人間が勝手に算出した数ではありません。原氏が担当となったのは、陸士出身で中国戦線の専門家である森松編纂官が当時を良く知るうえに断ったという経緯があります。

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  • hinode11
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回答No.9

元防衛大学校教官の原剛は戦後に教育を受けた人物であり、しかも左翼的リベラル思想の持ち主である。左翼には、戦前、戦中の日本は全て間違っていたという前提があり、彼の思考も常に一定の方向に偏っている。よって、彼が編纂に関与した偕行社の『南京戦史』には問題がある。ここで「最大で1万6000人」という数字を議論しても始まらないが、「不法処分」についてだけは書いておきたい。 ハーグ陸戦法規(以下、戦争法)に記されている「交戦者の資格」の条件は次の通りである。 (1)部下ノ為ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト (2)遠方ヨリ認識シ得ベキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト (3)公然兵器ヲ携帯スルコト (4)其ノ動作ニ付戦争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト 日本の南京攻略戦で、中国軍の唐生智司令官と幹部は、部下の中国兵に日本軍攻撃を命じたまま戦場から逃げ出してしまった。よって、指揮官を失って日本軍にてんでバラバラに投降した多数の中国兵捕虜は、条件(1)に欠けるために、戦争法規で定める「正規の捕虜」ではない。「正規の捕虜」であるためには、上官の命令のもと、武器を捨てて一斉に投降する必要があるのだ。従って、彼らには戦争法の保護を受ける資格がない。 また日本軍は南京城内に入って掃討戦を行った。武器を持ったまま市民服に着替えて20万人の一般市民の間に潜伏した中国兵ゲリラを摘発する作戦である。戦争法には、占領軍は占領地の治安を回復して市民の平穏な生活を保障しなければならないと定められているからだ。この時も日本軍は多数の中国兵を捕虜にした。彼らは、市民服を着用しており、しかも武器を隠していたから条件(2)、(3)に反しており、やはり「正規の捕虜」ではなく、戦争法の保護を受ける資格がない。 日本軍が「正規の捕虜」を処刑したのであれば虐殺したと批判されてもやむを得ないが、「正規の捕虜」でない彼らは戦争法によって保護されないので、彼らの運命は完全に日本軍が握っていたのである。彼らは全員が殺されても文句を言えない立場だったのだ。このことを強調しておく。 しかし、日本軍は捕虜の半数を解放した。残りの捕虜には、解放すると再び武器をとって日本軍に敵対する恐れがあった。捕虜は従順でなくてはならないが、彼らは、火事騒ぎを起こして逃亡を企てたりした。日本軍はそういう従順でない捕虜を処刑したのだ。従順でない捕虜の処刑を禁止する戦争法は存在しない(昔も今も)。これがどうして「不法処分」だというのか。どうして虐殺なのか。 原剛は間違っている。偕行社の『南京戦史』は間違っている。 この種の論争における本質的な問題は、戦時の、しかも戦争の最前線で祖先が行った事を、平時に、戦争の苦労も知らないで平和な生活ができる子孫が批判し、糾弾することにある。平和な社会の価値観や常識で、戦場(殺人と破壊を善とする空間、異常な心理が支配する空間)の出来事を議論することの”危険性”に注意して頂きたい(※)。ましてや『道義的責任』などと、ピント外れのことを言わないで頂きたい。 ※議論するなと言っているのではありません。”危険性”に注意しながら議論してほしいという意味です。

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回答No.8

南京事件について最も権威のある研究は、偕行社の『南京戦史』だと思いますが、当時、戦史編纂に携わった元防衛庁戦史研究官の原剛氏(軍事史学会副会長)は、とある歴史研究会のヒアリングに次のように答えています。 「たとえば捕虜を殺したとか、射殺したとか、そういう記録が出て来るわけですね。そうすると、これはまずいんじゃないか、ということになる…私は出すべきだという意見だったけれど、そういうことでだいぶ揉めて…200人殺したとか、300人殺したという記録も出て来るんです…最後は部長、所長もウンということになって、全部史料集に載せることになったんです。」 「だんだんこれに関する研究において、20万、30万と言う人は、いまや日本の学者にはいないですね。まあ、数万だろうと言う人はいても…研究すればわかるわけですね」 最終的に偕行社の『南京戦史』では、最大で1万6000人の不法処分という結論を出しています。 また、非行(婦女暴行、窃盗等)については、軍が南京戦での反省を元に綱紀粛正を命じていますので、多少生じたことは間違いないと思われます。ただし、これが市井における犯罪率とどれほどの差があるのかは興味のあるところです。

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  • hinode11
  • ベストアンサー率55% (2062/3741)
回答No.7

>日本政府は「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。」と言っていて・・ これは中国政府との妥協の産物です。歴史を国際政治の場で採り上げたのは、日本政府の大失政と言うべきです。対中国外交を円滑に行いたいという時の政府の思惑が、歴史事実の確定よりも優先されたのです。その日本政府も「30万人」という数字を認めたわけではないのでご注意下さい。 「非戦闘員の殺害」:日本軍が組織的に非戦闘員(一般市民)を殺害した記録は日本側にはないはずです。あるなら見せて下さい。中国側の資料は全く信用できません。中華民国の国民党は、支那事変(日中戦争)の当初から欧米の同情(支持)を得るために、組織的にありとあらゆる政治的宣伝(プロパガンダ)を行いました。「日本が中国でひどい事をしている」という悪宣伝を世界中にばらまくためにウソ八百を並べ立てたのです。 当時、この宣伝活動を行った組織は国民党の中央宣伝部でした。責任者の部長は、邵力士(しょうりきし、シャオリーツー)でした。現在、邵力士が中国共産党のスパイ工作員だった事が明らかになっています。「日本が中国でひどい事をしている」という悪宣伝は、彼の命令で実施された世論工作活動だったのです。ちなみに現在も、中国共産党中央政治局中央宣伝部は日本の悪口を、国内だけでなく世界中にばらまくための政治宣伝活動(プロパガンダ)を行っています。「南京大虐殺」は彼らの捏造です。 「略奪行為」:日本軍が組織的に中国人の財産を略奪した事実はありません。あるなら日本側の証拠資料を見せて下さい。 日本軍は「皇軍」として立派な行動をしました。世界一、規律正しい軍隊でした。私たち日本人は祖先を信じていいです。信じるべきです。

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